2年ほど前に、かみさんと渋谷のBUNKAMURAで白隠の展覧会を観たことがあった。
白隠慧鶴(はくいんえかく)は江戸中期の禅僧である。臨済宗中興の祖などともいわれているが、宗派にはよく中興の祖というのがいて、江戸時代、あまりパッとしなかった臨済宗の場合は、白隠によって、復興したということだ。
もともと禅宗は、鎌倉当初は大小20以上の宗派があったらしいが、明治以降は、曹洞、臨済に二分されたわけで、黄檗(おうばく)を含めた三宗を数える場合もあるが、見解はいろいろ。流派的には、この臨済が最も多いといわれている。
ちなみに、曹洞宗の開祖はご存知道元、臨済宗は栄西、黄檗はいんげん豆の隠元である。
ただし、鎌倉から室町にかけて、日本の諸芸はこの臨済宗の僧侶の影響が大きかった。とくに茶道との関係は深く、墨跡や書、禅画や山水画、文芸には歴史的な進化を遂げた。
室町の後半になると、一遍を開祖とする時宗=同朋衆・阿弥衆の遊行するものたちの活躍が目覚ましいわけだけれど(ここは長くなるのでカット)、その端緒は、臨済宗であったのだ。
だからまあ、歴代スターも多い。圜悟克勤や無学祖元や一休宗純や夢想疎石・・・、安国寺恵瓊も一応そういうことになっている。
建長寺を筆頭とする鎌倉五山や南禅寺を筆頭としたいわゆる京都五山や大徳寺も鹿苑寺(金閣)も慈照寺(銀閣)も臨済宗。夏目漱石の「門」に出てくるのもこの臨済禅である。
ちなみに、我が良寛は、曹洞宗の僧であったけど。
ま、ともかく、禅は、座禅、教科別伝、不立文字、以心伝心な人たちである。
白隠筆。すたすた坊主。
で、白隠は、無数に描いた達磨図で有名だが、我が家で気に入っているのは、この「すたすた坊主」だ。
すたすた坊主とは、笹と桶をもち、注連縄をまいただけの裸坊主で、基本的には物乞いだが、金持ちの代理で寺社に参拝するバイトをする坊主のことだ。
どうも、故郷である沼津近郊には、本当にこうした坊主がいたらしく、人々の幸福を願って代参する様を布袋になぞらえたものである。
他にも、寿老人やふざけた布袋なんかもいろいろあってユニークだ。悟ってないとこういうのは描けない、のだろう、きっと。
山水画の祖といわれているのは、如拙である。雪舟がそういったかららしいけど、唐絵の祖である。その如拙に「瓢鮎図」がある。いまでは国宝になっているが、なぜ、ひょうたんとナマズなのか、謎が多い。
たぶん、これに起因してか、江戸時代には「大津絵」というのもあった。東海道五十三次の五十三番目の宿、大津がルーツの土産物絵であるが、ま、へたうま、というか、素朴絵の一種でもあるが、これも禅僧の手になるものたちであったそうだ。白隠もきっと観ただろう。
如拙筆「瓢鮎図」。鮎は鯰の古字。
ちなみに、東海道五十三次は、華厳経から来ている。華厳経の最終章「入法界品」で、善財童子という少年が文殊菩薩の指示によって53名の知者を訪ね、最後に普賢菩薩によって法界に入る、というストーリーのもので、起承転結があり、どうも最後に組み込まれた可能性が高いとされている。
厳密には、55箇所訪ねるんだけれど、説法しない人物や文殊そのものが再登場だから、一般には53ということになっている。
20代の頃は、参禅もしていたけれど、こういうのは訳もわからずよくトライしていた・・・、要は理解したかったのだけれど。
東海道は、天海あたりか、幕府がこれになぞらえて街道を整備したものである。でも実際は二週間程度の行程だったらしいので、すべての宿に泊まるわけではない。ただし、旅なんて滅多にしないので、最初と最後の宿には必ず泊まるのが常識であった。だから品川は栄えたのだ。
歌川広重の「大津宿」。
昔は安藤広重といったけど、いまは歌川が主流だ。
日本の華厳宗総本山は、奈良の東大寺。東大寺は別名総国分寺でもあって、全国の国分寺のヘッドクオーターでもある。我々のスタジオのある国分寺とも遠い因縁があるわけだ。
何か縁がある。
大仏は毘盧遮那仏だから、要は太陽仏、大日如来(摩訶毘盧遮那仏)ともアマテラスとも「てぃ~だがま」とも通じている。
何か縁がある。
この華厳の世界観は壮大だ。大仏の台座の蓮弁には、須弥山世界が線画で描かれているけれど、華厳では、本来、須弥山はひとつではない。
簡単にいうと、ひとつの須弥山世界が千個集まったのが小千世界、それが千個集まって中千世界、それがさらに千個集まったのが大千世界。これが世にいう「三千大千世界」というもので、ひとつの三千大千世界に須弥山は10億あることになり、これが一人の仏(=如来)の力の及び範囲とされていた。それが融通無碍で相互につながり合っている、というわけだから、眼がくらむ。
これを仏国土、つまり「浄土」と呼んでいたのである。毘盧遮那仏は、この三千大千世界の蓮弁の上に結跏趺坐されているわけである。
まあ、だいたい銀河宇宙のようなもので、とりわけ、お隣のアンドロメダ銀河は、阿弥陀の極楽浄土という感じだろうか。恒星の数ほど須弥山はあるわけだ。
スタソーマが修行に行ったのはどこの須弥山だろうね。
何か縁がある。
ま、その大津絵、俗な世界の話なので、仏画とは関係ない題材もあったらしいが、この瓢簞鯰が注目だ。たぶん、如拙の「瓢鮎図」のパロディーだとおもわれる。だから人が猿になっている。茶化したいときはいつもそうだ。
ま、パロディーも立派な反芸術ですが。
歌舞伎の「暫」にも鯰坊主が出てくるし、江戸時代には、地震や災害を鯰が起こすと考えられていたので、それと戦う鯰絵というのもあったけれど、どうもこういうもののルールはこの辺にありそうだ。
ナマズは悩ましい。
大津絵の代表的題材のひとつ。瓢鯰図。
という次第で、現代でも禅僧はいろいろ表現していて、妙心寺の住職が描いた墨跡に、こういうのがあった。「のらり くらり」。
朝ドラの大泉洋のようでもあり、ある意味、泯さんのようでもあり、なかなか普通の人には達成できない境地だ。
一方、こういうのもある。
右は「気は長く、心は丸く、腹立てない、人は大きく、己は小さく」、
左は「気は長く、心は丸く、腹立てない、口つつしめば、命ながかれ」と読む。
まあね・・・。(は)
おまけ。
ナマズではないけれど、赤塚先生のウナギイヌというのも何か「それ」に通じるものがある。
「泥棒猫」のイヌのお父さんは、盗みに入った魚屋でウナギのお母さんに一目惚れして、駆け落ちの挙げ句産まれたという設定になっている。イヌだけれど、身体がヌルヌルしていて掴みようがないそうだ。
一時は浜松のマスコットになっていた時期もあったそうだから、
何か縁がある。