先日、会津に行ったら、途中でこんな店があった。
車で移動中だったので、カメラを構えた頃には隣の車の邪魔が入ってしまったけど、これ、「ガソリン・酒の店」という看板表示でした。その横ののぼりには「IN 酒・洗車」の文字。
う~ん、ま、同じような成分といえなくもないとはいえ、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」の背反の関係なのに、それを一緒に売ってしまうというのは、さすが地酒自慢の地方のなせる技か。
なんとも不思議な光景。珍百景か。地方には不思議なものがあったりする。
ところで、この会津は数年ぶり。子供の頃何度か行ったことがあって、白虎隊の碑とか、栄螺堂とか、野口秀雄の生家とか、磐梯山などいろいろ記憶に蘇る。ので、何となく町や自然の雰囲気は知っている。
でも、今回は、そういう観光的な時間はなく、単に仕事。新作仏壇をデザインしたので、その展示会があったのだ。
最近、両界曼荼羅とか仏壇とか、多聞とか、どうも仏教系だ。たまにはヒンドゥ系やインド古代叙事詩系もやらなくては。
新作仏壇とは、たとえばこんな感じ。
最初につくった壁掛け用厨子。同類の数タイプがある。案外ロングセラーだ。
床置きタイプ。3種類の木と色のパターンがある。
卓上タイプ。これが意外と重宝されている。これにも数種類ある。
茶室のなかに展示してみた。
でも、これが結構売れていて、世の中少しは変わってきた感はある。
たとえば、家を新築した人やマンション住まいで大きな仏壇は置けないような人、押し入れが狭いので、家具のように置きたい人など、動機はさまざまらしいが、様式重視というより、どうせなら、好みにあったものがいい、ということのようだ。
そういえば、勘三郎さんの家でも、裏千家でも買ってくれたらしい。
そんなこともあり、社長とは、まず、「祈りの文化」から考えましょう、ということで、Pray for Oneというプロジェクトを立ち上げ、ものや道具ではない、祈りという行為と心についての啓蒙活動から入っている。
その拠点は、ここ。4年ほど前につくったギャラリー兼ショールームだ。
仏壇というのは、いろいろ様式があるとおもっている人が多いけれど、ま、あるにはあるが、その原型は「浄土」である。もともとは浄土門系の宗派の専売特許のようなものなので、たぶん最初は、極楽浄土、平安末期の末法時代に権力者たちがつくった浄土模型であろう。
もちろん、仏舎利の箱という意味では、厨子などの装置はあったけれど、仏壇に発展するのはずっと後のことだ。
一般に普及しだすのも江戸に入ってからで、家康が檀家制度をつくり、それを固定してから本格化したといわれている。江戸時代の檀家制度とは当時の一種の住民台帳のようなものとして機能していたらしい。会津も漆や木工の技術をつかってその頃からつくっているという。
檀家というのは、檀那(だんな)をする家のこと。檀那とは布施、つまり寄付をすることだ。そこからお金をもってくる人のことをダンナ様と呼ぶようになったといわれている。だから、本来ならダーンナーである。うちの旦那は金ももってこないから、じゃ、旦那様じゃないね、ということになる。
ともあれ、ま、それ以降、宗派や寺を変えることができなくなったのだ。たぶん、その名残りがいまでもつづいているとおもわれる。
でも、実はこれ、売れなくなったという仏壇界で、いま話題沸騰の仏壇なのだ。
この世界も独特で、いいのか悪いのか、新作を発表すると、翌月には似て非なるコピー品が出回ってしまうのが常である。でも大丈夫。オリジナルはオリジナルだ。絶対同じものにはならない。
実は、これらへの取り組みを始めたのは、まだバブルの終わりの頃。だから本当は結構長い活動になるが、やっと芽が出てきたというべきか・・・。
当時の世の中は、バブルのせいもあって、「イタリア仏壇」とか「ロココ調仏壇」とか意味の分からないものもたくさんあった。仏様もブランド志向だったんだろうか? ワンレン・ボディコンの仏様なんてイケたものじゃないとおもうけど・・・、螺髪のボディコンもイケてないけど。
そう、つくってはいけないものはつくってはいけないのです。それはものをつくる人の最低の倫理だね。ものづくりと商売は別。経済も商売もものづくりもワヤンも文化が大切なのだ。
だから、いくら時代は変わっても、仏壇のデザインは一朝一夕にはいかないのだ。
そんなんで、ま、いまのところ、近未来は、極楽もこんな感じなんだろうか・・・?
まだまだいいようなそうでもないような。伝統のなかのものづくりやアイディアの組合せはいつも難しい。
でもやっぱり、ガソリンと酒は一緒にしない方がいいとおもうけど。(は/118)
おまけ。工場にあったドリル一式。タモリ倶楽部向けのマニアック感がいい感じだ。