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9月13日 ゴイアニア被曝事故(1987)

2012-09-13 | Weblog

ブラジル・ゴイアニア市の廃病院に放置されていた放射線療法用の放射性物質格納容器が盗まれる。250人が被曝し4人が死亡する事故に。

1987年9月,ブラジルのゴイアニア市で,廃院に放置されていたセシウム照射装置からセシウム(Cs-137)線源の入った回転照射体が2人の若者により取り外して持ち出されました。この段階から2人の放射線被ばくが始まり,2~3日後から2人は下痢,目まいなどに悩まされ始めました。1週間後には線源容器に穴を開けることに成功し,この時点から放射能汚染が始まりました。ここで2人は線源を廃品回収業者に売却しました。業者は暗いガレージの中で線源の粉末が光っているのに気付き,家の中に運び込み,その後数日にわたって家族,親類,隣人が,これを眺め,手で触れ,体に塗ったりしました。作業人とその家族全員の体の調子が次第に悪くなり,その内の1人が青白い粉に原因があると思い,ゴイアニア公衆衛生局に届けました。セシウム(Cs-137)は極めて水に溶けやすく散らばりやすいため,汚染地域が拡大し,広範な環境放射能汚染と多数の人々の被ばくが生じました。事故当時全放射能は50.9TBqでした。

精査の結果,14人がリオデジャネイロ,6人がゴイアニアの病院に入院しました。セシウムが体内に取り込まれ内部被ばくが発生していたため,体内に取り込まれたセシウムの排せつのためプルシアンブルーが投与されました(p53「内部汚染の除去剤の使い方」参照)。6才の少女,38才の女性,22才,18才の男性,計4人が4週間以内に出血や敗血症などの急性障害で死亡しましたが,その線量は4.5~6Gyと推定されました。同程度の被ばく線量で2人が生き残りました。また1名は腕を切除されました。周辺の放射能の測定も行われ,特に汚染の著しい7軒の家屋は解体し撤去され,高汚染区域の表土が入れかえられました。
http://www.remnet.jp/lecture/b05_01/3_3_1.html

他には----------------------------------------------------------------------

世界法の日(法務省)、司法保護記念日(司法保護事業団)、乃木大将の日

▲越後国一帯に地震。親不知など日本海沿岸に津波。(1092)
▲蘭学者・佐藤泰然が佐倉に病院兼蘭医学塾「順天堂」を創立。(1843)
▲天津で日清修好条規に調印。日清間最初の条約。(1871)
▲イギリスで最初の証拠指紋(1902)
▲明治天皇の大葬が行われる。同日乃木希典大将が夫人とともに自宅で殉死。(1912)
高柳式テレビジョンの公開放送(1936)
▲講談落語協会が艶笑物・博徒物などの口演禁止(1940)
スターリングラード攻防戦: ドイツ軍が総攻撃とスターリングラード市街地への突入を開始。(1942)
砂川事件 立川飛行場拡張のための強制測量実施。反対派と警官隊衝突(砂川基地反対闘争)(1955)
日本万国博覧会(大阪万博)が閉幕。(1970)
林彪事件: クーデターに失敗した林彪と家族・側近らが飛行機でソ連へ逃亡中に、モンゴル人民共和国内の砂漠で墜落死。(1971)
ハーグ事件。日本赤軍がハーグでフランス大使館を占拠。(1974)
▲警視庁が要人警護部隊(セキュリティポリス)を創設。(1975)
▲アパルトヘイト: 南アフリカ共和国のバントゥースタン(ホームランド)の一つヴェンダが成立。(1979)
▲コンピュータ・ウイルス日本上陸(1988)
▲マザー・テレサのインド国葬が開催される。(1997)
ロシア高層アパート連続爆破事件: モスクワのアパートで第四の爆破事件、119名の死者を出す。(1999)
▲国連総会で先住民族の権利に関する国際連合宣言が採択。(2007)

誕生:杉田玄白(1733) 山田洋次(映画監督1931)
   安藤忠雄(建築家1941) 井上大輔(俳優1941) 
   ジャクリーン・ビセット(女優1944) 伊藤比呂美(1955)
   玉置浩二(ミュージシャン1958) 三原じゅん子(女優1964) 
   マイケル・ジョンソン(陸上選手1967) 松坂大輔(プロ野球選手1980)
   

誕生花:やなぎ (Weeping Willow)     花言葉:素直