明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ニュースに一言(5)大学入試共通テストで、不正するバカさせるバカ

2022-01-27 16:50:06 | ニュース

問題点は2つ。このような不正は絶対に許さないとして「がんじがらめに対策を施す」という考え方と、もう一つは「そもそも試験などは行わない」とする考え方である。

最初の不正防止の方法については、
① 試験会場には通信機器の持ち込みを「物理的に」完全防止する
② または妨害電波を流して、通信出来なくする
③ 筆記具等を持ち込ませず、何も所持しない状態で「支給品」のみで試験する
④ とにかく不正がバレたら、今後二度と大学への入学は出来ない厳罰主義を導入する等々、

考えつく限りの対策を取るしか方法はない。これは警察と犯罪者の戦いと同じであるから、経費度外視して「徹底的に対策」を立てればいい。但し、「監督官の人数」を増やすというのは効果がないのでやめること。何でも人間の能力に頼るという考えは、成果にバラつきが出るし、試験というような「平等の概念」と馴染まないから、対策としては「殆ど役に立たない」と考えていいだろう。とにかく私が思うに、こんな風にあれこれ対策を取って試験を実施しなければいけないというのは、実に「非生産的」極まりないと言えるのではないだろうか。

それでは、「そもそも入試を行わない」という選択肢はどうだろうか?。

内容としては
① 入試はやめる
② 高校3年生から大学選択を始める
③ 行きたい大学の講義は、同時に「いくつでも」取っていい
④ 人気のある講義は5万人でも10万人でも入れる野球場や国立競技場のような大規模施設を使用して、入場制限は一切しない
⑤ 学費は講義単位で払う
⑥ 先生の収入は生徒の入場料を直接受け取るか、或いは大学という「マネジメント会社」から受け取るか、選べる。この辺は芸能人と同じである。
⑦ 大学は、1=職業訓練専門大学と2=学問研究大学及び、3=教養スポーツ大学の3種類に分けて複数所属して良い。
⑧ 職業訓練専門校は企業が支援してそれぞれの職種に必要なスキルを徹底して教え込み、即戦力を育てるのが狙い。学問研究校は将来も学問の道に進み、ノーベル賞を目指す。教養スポーツ大学は社会人としての一般知識や、趣味やスポーツを通じて仲間を作るのが目的。人脈作りなども可能である。
⑨ 現在の大学は「良い会社に入社する」ためのステップでしか無いのだから、職業訓練専門大学在学中に「会社に雇って使える人材」かどうか「4年かけて選別する」のは企業として正しい方法。だから入社試験というのはなくて、4年間のうちの「いつでも採用可能」とするのは当然である。
⑩ 一方、学問研究大学は勉学に集中し、年齢に関係なく実力主義で飛び級もある。2年、3年と進むうちに教育内容はどんどん専門化していき、4年生になると「先生の研究チーム」に入って給料を貰うか、独立するか、全然就職先が見つからなくて路頭に迷うか、いずれかを選択することになる。
⑪ 結局「自分のやりたいこと」を高校2年迄に決めて、それに「適した」大学に行くことが「最も正しい方法」になるであろう。

以上、何かを学ぼうとする人間が考える「基本戦略」に立ち返って、今の「学校制度」を新しく作り直すことが、一番手っ取り早い「不正対策」である。共通試験という「一発テスト」に人生を賭けなきゃならないから、何とか不正をして受かろうという不心得者が後を立たないのだ。つまり、入学試験などで不正を行うのは「制度が間違っている」からだと私は考える。

学生に「学ぼうという気持」が少しでもあるのなら、そのチャンスを学校側が奪ってはならないと思う。お金が無くて学べないというのであれば、その場合「成績に関わらず」一年間は国で学費を支給すれば良いのでは。授業について行けない学生はそのまま大学に残っていても「企業から採用される可能性が無い」のだから、早いうちに「もっと自分に合った」大学に振り替えて、実力を身に付けるべく努力するだろう。すべては「入社」という結果に現れるのだから、入試などという「有名大学名を得るためだけ」の無意味な試験は、早晩「廃れていく」筈だと私は期待する。勿論これは企業の「採用における手抜き」を大学が補填しているという「間違った連携」にその原因があるわけだ。

だから一番の悪弊は「新卒採用」という、採用における「変な機会平等」と年齢制限にある。そもそも一定の基準に達した人間は、一切の制限なしに「いつでも採用」して良い筈である。もし採用が数社バッティングしたら、採用条件で競争入札するのが自由資本主義のルールだと思う。芸能人などの場合はどんなに若くても「利益を生むのであれば」そこに入社の制限はない。であれば一般の企業も、同じように制限などなくせばいいのではないか。私は小学生でも素晴らしいアイディアを生む力があるのであれば、どんどん企業が採用して良いと思う。但し、入社する側でも自分の才能に自信が持てるかどうかを考えて、じっくり「その力に磨きを掛けて」より一層の価値を身に付けるなり、あるいは起業するなり、洗濯は自由である。

私は、今の日本の学校制度が「何のためにあるのか?」といえば、一にも二にも「良い会社に就職する」ためだけにあるようにしか思えないのである。ならば、その目的に「完全にシフト」して、トヨタでも SONY でも自由にスカウトしていい、という学校制度が望ましいではないか。もうそろそろ大学が学問を極める場所だとかの「おかしな幻想」をキッパリと捨て、高校生でも「トヨタに入社」するような優秀な人が出てきてもいいと思う。第一、東大を出たからといって、それが優秀の証しだなんてこと、ハッキリ言って「全然無い」です(これは断言します。東大生にもバカがいますから)。ただ、平均して「バラ付きがなく程度が良い」というだけでしょう。大学の名前だけで就職が決まるなんてことは、実社会では有り得ません。ただ東大を出ているという訳のわからない人よりも、実際に企業に役立つ専門知識を持ち、広くコミュニケーション能力に長けた意欲ある人材を選んだ方が、「よっぽど使える」と思いませんか?

大体からして有名大学にピョコンと入って、社会人としてのノウハウを「一から全部教えて貰おう」なんて魂胆は、虫が良すぎると思う。何を学び、どう能力を磨くかは「本人次第」ではないだろうか。大学生が一目置かれた「伊豆の踊子」世代の話は、もはや小説や映画の世界である。

時代はすでに「実力勝負」の段階に入っているのだということに、いい加減気付こうよ。だから犯人君、自分の為にならない入試不正など、している暇は「無い」と思うよ。マジで。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿