桂歌丸が亡くなった。慢性肺疾患COPDだったらしい。いろいろ病理学的にはあるだろうけど、タバコも一つの原因だと思う。歌丸はどのくらいでやめたのか分からないが、81歳という短い生涯で終わってしまったのには少なからず影響があっただろうというのは確かである。まあ腸閉塞もやっているから、全体として閉塞気味なのは間違いない。結局は運動不足だったのだろう。運動できなければ人間はほぼ死ぬ、と最近は考えることが多くなった。部屋でじっと座ったままでは、生きてるとは言えないのである。だが歌丸は缶ピースを6、70本も吸っていたそうだ。ニュースによれば72歳で肺気腫という病気をしてどうもやめたらしいが、そもそもタバコを吸わなければこの病気にはならなかったのではないか。アスベストという病気のもとも、最初は医学的な検証がされずに被害者が多く出た。タバコも体に害があると分かったのは最近である。私の子供の頃は親父はもちろんであるが、家の中で吸っていたから家族も副流煙で被害にあっていた可能性もあった。知らないということは恐ろしい事である。歌丸も平成に生まれていれば、タバコを吸ったりしなかっただろう。もちろんタバコを吸わなくても他の病気にはかかったかもしれないが、高齢者でタバコを吸っている人は高確率で肺機能が衰えるそうである。タバコを個人の嗜好品として分類していたのは昭和世代で終わっており、今は害悪あるいは薬物依存症にすら入れるべきものだという認識で固まりつつある。禁煙は政治が解決できる一番簡単な健康対策なのに一向に進まないのはなぜなのか、その原因と究極の解決策を私が提案してみよう。
タバコは「吸わなければどうということのない、単なる煙」に過ぎない。一本吸ってまた吸って・・・と繰り返すほどに習慣化し依存症になって脳内にエンドルフィンが放出されて「精神的弛緩」が生まれ、なんとなくボーッとして「満足する」。要はアルコールと同じ効能である。人間は何らかの依存症的物質を摂取しないと、イライラして同じ種族同士でトラブルを引き起こす動物なのであろうか、太古の昔から「何らかのホッとするもの」はあったのだ。だがタバコは副作用として肺気腫など「呼吸器系に悪影響がある」ことがいまでは分かっている。つまり吸わないに越したことは無いのだ。だが中々禁煙は難しい。それはタバコが「脳内に快楽物質を生成する」からである。だから一度その快楽を知ってしまったら、つまり身体がというか「脳が」覚えてしまったらという意味だが、それを打ち消すことは難しいのである。これは麻薬と同じである。美味しいという感覚は生き物本来の生存本能が身体に良いものを選ぶ指標にするために作り出した「選択基準」である。その選択基準が逆に命を縮める結果を引き起こしているとは皮肉である。とにかく「中毒になる前」しか、この人間自体の罠から逃れられないのは事実だ。といっても、私は禁煙できた。私の友人たちもタバコを吸っていたが、今では全員やめている。私は脳梗塞をやっているが、幸いにして「脳梗塞をやる前」にタバコと縁を切ることが出来たのは偶然である。もしも発症前にタバコをやめていなければ、脳梗塞からのリハビリと禁煙の両方をすることになって、今のように一筋縄では回復が進まなかったと思う。
禁煙は、出来る人には出来るレベルの悪癖である。だから麻薬とはその習慣性は同じでも、脳に対する危険度は段違いに低いのだ。そこで一気にタバコ問題を解決する方法を考えてみよう。
1 吸わせない
西暦2020年以降に生まれた人は、タバコを吸ってはいけないとする、つまり犯罪である。今はタバコを吸う吸わないは個人の自由だが、2020年以降に生まれた人に限っては犯罪として検挙され、服役することになる。大人が吸っているのを見て面白半分に吸ってみる少年も、犯罪となれば「手を出そうとする人数も激減する」のではと推測できる。第一にタバコを吸ったことがなければ、吸いたいと思うことも無いのである。興味本位で行うことも「犯罪」となれば、普通の子供はやったりしないであろう。それでも隠れて吸ったりする子供は出てくるが仕方がない、何もタバコに限らずその手の子供はいるのだから、多少の犯罪者は出て来ても許容範囲である。タバコは一度吸ってしまったらやめられないのだから、最初から吸わないことが肝心であろう。だから2020年以降生まれた人間には、タバコの害から無縁の生活を送らせるのである。タバコなどの存在自体を知らなければ、禁煙する必要も無いというわけだ。で、もう既に吸ってしまった人はどうするかと言うと、死ぬまで吸ってもらって「それで死んだら終わり」とするのだ。吸っている人は年を取るとどんどん死んでいくから、今にタバコを吸っている人は全くいなくなってしまうだろう。何しろ新しく喫煙者になる人は「2020年以降はゼロ」なのだから。で、単純計算で2019年生まれの人が100歳になる2119年には、日本はタバコを知らない人ばかりになっている筈である。タバコ消滅!
2 売らない
タバコ産業は2020年以降は順次縮小し、その後は最後の喫煙者が死亡すること(2119年予想)をもって廃止にする。タバコ原料の栽培と製造機械の新規導入それに工場労働者の採用・補充は、吸う人の減少とリンクして減らしていって最後には「手作業での製造」の形で消滅させる。いまはJTタバコ産業が相当の売上規模と雇用を担い「たばこ税」による税収補助の大役を仰せつかっている。御用議員は必死に既得権益を守ろうとするだろうが、タバコが「犯罪」になってしまえばそれを諦めざるをえないであろう。現在残っている喫煙者に対する非難はやめて「どうぞ吸ってください」とし、他人に迷惑にならない程度に吸ってもらって無用の軋轢を回避する。それとともに新タバコ法への協力をお願いすれば、むしろこれから生まれてくるタバコを吸わない人への「反面教師」として、格好の教材となってくれること請け合いであろう。一方タバコが消滅するとなれば、闇市で法外な値段で取引されるのは目に見えているし、逆に犯罪の温床にもなりかねない。だからタバコは、現在吸っている人には「ふんだんに供給して」在庫が枯渇しないように努力する必要があるのだ。要は吸う人がいるから(需要があるから)値段がつくのである。誰も吸わなければ、タバコなど「タダのゴミ」である。勿論これは日本国内の法だから、外国に行けばいつでもタバコが吸える。ハワイやLAで銃を撃つツアーが人気を博しているが、海外ですることを止められないのが現状であるから仕方ないだろう。既にタバコの味を脳が覚えてしまった人には、タバコをやめることは強制しないことにする。ただ、これから新しく生まれる人に国内で犯罪とされている事実を理解してもらうしかないのだ。ここは抜け道ではある。とにかく100年経てば日本国内で「タバコを吸っているのを見ること」は、めったに無くなるのだ。タバコ撲滅までは「後たった100年」である。そんな気の長い話とおっしゃる向きもあるだろうが、それでは今の「社会で喫煙者を囲い込み・虐める嫌煙運動」が効果的な成果を挙げているかというと、人間関係がギクシャクしてそれほど効果が上がらないやり方には疑問が残るではないか。私のタバコ撲滅プログラムを実施することで、初めて確実にタバコが無くなる日が見えてくるのだ。
3 抵抗を許さない
タバコは悪である。だが法律で犯罪とするには抵抗が大きい。頭でわかっていてもやめられない人達は、何とかして吸う権利を守ろうと必死の抵抗を試みるであろう。先日国会で肺ガン患者に野次を飛ばした議員が謝罪していたが、要は「やめられない」人の気持ちも大事にしてほしいのである。だから吸っている人を悪者にするやり方では、抵抗が大きくて混乱をきたすと思う。いいではないか、自分の人生である、肺ガンだろうが肺気腫だろうが、なりたいようになればいいのである。喫煙者にも優しい喫煙環境の整備も重要であろう。土台他人の人生だ、我々に文句を言う筋合いはない。だが、「吸っていない人または子供に吸わせようとする行為は、重罪」としていいのではないか。いまでも麻薬ディーラーは重罪であるが、密造・密輸・密売は、30年位の刑にでもするのが妥当である。現在タバコ産業は利権の温床になっているが、今すぐやめると言えば猛烈な抵抗に会うのは必死であろう。それならば2020年から始めて100年かけて徐々にやめていくということにすれば、案外すんなりと納得してくれると思うのだがどうだろう。とりあえず税収は2020年からは無税とし、タバコの値段もその分「安くする」とでも言えば、喫煙者はホイホイ乗ってきて、法案の通過も抵抗なく進められるであろう。何かを新しく行うためには、美味しい餌も与えなければならない。これ、勝海舟が行った明治維新の教訓である。
以上「タバコ消滅の日」と言うことで提案しました。私個人としては、もう一度死ぬ前までには一箱ぐらいはタバコを吸ってみたい気もするのだが、こんなこと書いていて皆さん許してくれるかな?
タバコは「吸わなければどうということのない、単なる煙」に過ぎない。一本吸ってまた吸って・・・と繰り返すほどに習慣化し依存症になって脳内にエンドルフィンが放出されて「精神的弛緩」が生まれ、なんとなくボーッとして「満足する」。要はアルコールと同じ効能である。人間は何らかの依存症的物質を摂取しないと、イライラして同じ種族同士でトラブルを引き起こす動物なのであろうか、太古の昔から「何らかのホッとするもの」はあったのだ。だがタバコは副作用として肺気腫など「呼吸器系に悪影響がある」ことがいまでは分かっている。つまり吸わないに越したことは無いのだ。だが中々禁煙は難しい。それはタバコが「脳内に快楽物質を生成する」からである。だから一度その快楽を知ってしまったら、つまり身体がというか「脳が」覚えてしまったらという意味だが、それを打ち消すことは難しいのである。これは麻薬と同じである。美味しいという感覚は生き物本来の生存本能が身体に良いものを選ぶ指標にするために作り出した「選択基準」である。その選択基準が逆に命を縮める結果を引き起こしているとは皮肉である。とにかく「中毒になる前」しか、この人間自体の罠から逃れられないのは事実だ。といっても、私は禁煙できた。私の友人たちもタバコを吸っていたが、今では全員やめている。私は脳梗塞をやっているが、幸いにして「脳梗塞をやる前」にタバコと縁を切ることが出来たのは偶然である。もしも発症前にタバコをやめていなければ、脳梗塞からのリハビリと禁煙の両方をすることになって、今のように一筋縄では回復が進まなかったと思う。
禁煙は、出来る人には出来るレベルの悪癖である。だから麻薬とはその習慣性は同じでも、脳に対する危険度は段違いに低いのだ。そこで一気にタバコ問題を解決する方法を考えてみよう。
1 吸わせない
西暦2020年以降に生まれた人は、タバコを吸ってはいけないとする、つまり犯罪である。今はタバコを吸う吸わないは個人の自由だが、2020年以降に生まれた人に限っては犯罪として検挙され、服役することになる。大人が吸っているのを見て面白半分に吸ってみる少年も、犯罪となれば「手を出そうとする人数も激減する」のではと推測できる。第一にタバコを吸ったことがなければ、吸いたいと思うことも無いのである。興味本位で行うことも「犯罪」となれば、普通の子供はやったりしないであろう。それでも隠れて吸ったりする子供は出てくるが仕方がない、何もタバコに限らずその手の子供はいるのだから、多少の犯罪者は出て来ても許容範囲である。タバコは一度吸ってしまったらやめられないのだから、最初から吸わないことが肝心であろう。だから2020年以降生まれた人間には、タバコの害から無縁の生活を送らせるのである。タバコなどの存在自体を知らなければ、禁煙する必要も無いというわけだ。で、もう既に吸ってしまった人はどうするかと言うと、死ぬまで吸ってもらって「それで死んだら終わり」とするのだ。吸っている人は年を取るとどんどん死んでいくから、今にタバコを吸っている人は全くいなくなってしまうだろう。何しろ新しく喫煙者になる人は「2020年以降はゼロ」なのだから。で、単純計算で2019年生まれの人が100歳になる2119年には、日本はタバコを知らない人ばかりになっている筈である。タバコ消滅!
2 売らない
タバコ産業は2020年以降は順次縮小し、その後は最後の喫煙者が死亡すること(2119年予想)をもって廃止にする。タバコ原料の栽培と製造機械の新規導入それに工場労働者の採用・補充は、吸う人の減少とリンクして減らしていって最後には「手作業での製造」の形で消滅させる。いまはJTタバコ産業が相当の売上規模と雇用を担い「たばこ税」による税収補助の大役を仰せつかっている。御用議員は必死に既得権益を守ろうとするだろうが、タバコが「犯罪」になってしまえばそれを諦めざるをえないであろう。現在残っている喫煙者に対する非難はやめて「どうぞ吸ってください」とし、他人に迷惑にならない程度に吸ってもらって無用の軋轢を回避する。それとともに新タバコ法への協力をお願いすれば、むしろこれから生まれてくるタバコを吸わない人への「反面教師」として、格好の教材となってくれること請け合いであろう。一方タバコが消滅するとなれば、闇市で法外な値段で取引されるのは目に見えているし、逆に犯罪の温床にもなりかねない。だからタバコは、現在吸っている人には「ふんだんに供給して」在庫が枯渇しないように努力する必要があるのだ。要は吸う人がいるから(需要があるから)値段がつくのである。誰も吸わなければ、タバコなど「タダのゴミ」である。勿論これは日本国内の法だから、外国に行けばいつでもタバコが吸える。ハワイやLAで銃を撃つツアーが人気を博しているが、海外ですることを止められないのが現状であるから仕方ないだろう。既にタバコの味を脳が覚えてしまった人には、タバコをやめることは強制しないことにする。ただ、これから新しく生まれる人に国内で犯罪とされている事実を理解してもらうしかないのだ。ここは抜け道ではある。とにかく100年経てば日本国内で「タバコを吸っているのを見ること」は、めったに無くなるのだ。タバコ撲滅までは「後たった100年」である。そんな気の長い話とおっしゃる向きもあるだろうが、それでは今の「社会で喫煙者を囲い込み・虐める嫌煙運動」が効果的な成果を挙げているかというと、人間関係がギクシャクしてそれほど効果が上がらないやり方には疑問が残るではないか。私のタバコ撲滅プログラムを実施することで、初めて確実にタバコが無くなる日が見えてくるのだ。
3 抵抗を許さない
タバコは悪である。だが法律で犯罪とするには抵抗が大きい。頭でわかっていてもやめられない人達は、何とかして吸う権利を守ろうと必死の抵抗を試みるであろう。先日国会で肺ガン患者に野次を飛ばした議員が謝罪していたが、要は「やめられない」人の気持ちも大事にしてほしいのである。だから吸っている人を悪者にするやり方では、抵抗が大きくて混乱をきたすと思う。いいではないか、自分の人生である、肺ガンだろうが肺気腫だろうが、なりたいようになればいいのである。喫煙者にも優しい喫煙環境の整備も重要であろう。土台他人の人生だ、我々に文句を言う筋合いはない。だが、「吸っていない人または子供に吸わせようとする行為は、重罪」としていいのではないか。いまでも麻薬ディーラーは重罪であるが、密造・密輸・密売は、30年位の刑にでもするのが妥当である。現在タバコ産業は利権の温床になっているが、今すぐやめると言えば猛烈な抵抗に会うのは必死であろう。それならば2020年から始めて100年かけて徐々にやめていくということにすれば、案外すんなりと納得してくれると思うのだがどうだろう。とりあえず税収は2020年からは無税とし、タバコの値段もその分「安くする」とでも言えば、喫煙者はホイホイ乗ってきて、法案の通過も抵抗なく進められるであろう。何かを新しく行うためには、美味しい餌も与えなければならない。これ、勝海舟が行った明治維新の教訓である。
以上「タバコ消滅の日」と言うことで提案しました。私個人としては、もう一度死ぬ前までには一箱ぐらいはタバコを吸ってみたい気もするのだが、こんなこと書いていて皆さん許してくれるかな?
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