明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

遺失物とストーカー

2017-05-26 23:10:38 | ニュース
今日ニュースを見ていたら、遺失物を拾って届けた人に落とし主の住所電話番号を「本人の了解無しに教える」事が出来るんだそうだ。この法律は「個人情報保護義務の例外」だということらしい、びっくり仰天である。落とし主が若い女性で「拾った人から突然電話が入り」食事でもと誘われたと言う例が既に発生していると言う。これ、ストーカー行為ではないか。法律の趣旨は、拾った人はお礼を言われる「権利がある」ということだと言う。これまた二度目のビックリ仰天である。一体警察は何をしているのか!

1 まず遺失物を拾って届けるのは「当然の義務」である。お礼をくれなきゃ届けないと考えているとしたら、謝礼目当ての行為であるから落とし主からすれば感謝する気分ではなくなって来る。拾った人は警察に届けて義務を果たせばそれで終わり、後で落とし主が現れたかどうかは警察に任せればいい。もちろん「6ヶ月しても落とし主が現れなければ拾った人の物」というのもやめて、遺失物として国庫に入れればいいのだ。拾ったことで「何か得をする」というのは、本来あるべき道徳観念をねじ曲げる「悪癖」である。日本人は拾ったものを届ける行為を美徳といっていながら、謝礼が無いと「礼儀を知らない人で無し」みたいなことを言いふらす。いったい何が欲しいのか?私はこんなに良い事をしましたと人から褒められるだけでは満足できないのか?浅ましい! これは他人が「拾った人の届けた行為は10%位の謝礼に値する」と勝手に評価する「外野のお節介が独り歩きして」法律にまで行ってしまったところから始まっていたのだ。つまり、お節介は今すぐやめろ!

2 本人がお礼を貰うのは当然だと主張するのであれば、その人の「お礼に値する行為」というのは何だろうか。たまたま拾った行為は「たまたま」であるから、謝礼を貰う権利を主張するほどの努力があったとは認められない。では、わざわざ届けた行為が「謝礼に値する特別な行為」なのだろうか。本来は届けるのが義務である。義務に対してお礼をするのは感謝である。感謝が無いからと言って文句を言うのは「謝礼目当てで届け物をする」ということになり、これは場合によっては犯罪にもなりうる行為であると思う。何故ならその人が拾わなければ「落ちた場所にそのまま落ちている」わけで、落とし主が戻って来て見つける可能性が大であるから、本来ある場所から「拾った人は何処かへ持ち去った」ことになる。ドロボーである。つまり。本人が戻って来て見つける前に、横取りして謝礼の10%を略取しようとする悪意のある人間、とも取れるのだ。つまり、落ちてるものはそのまま放って置け!

3 日本人は何か素晴らしいことをしたら、それに相当する謝礼が支払われて「一つの完結した美談」と捉える癖がある。だからお返しが無いと「何で?」となる。「おはよう!」と挨拶すれば「おはようございます!」と返して1セットと考えるのだ。この挨拶は日常的に行われ、決まりごとのようになってめんどくさいこと限りが無い。それでも挨拶は社会人の常識といわれ、廊下でもエレベーターでも、トイレでさえも頻繁に行われて、私などはこの「無意味な挨拶の往復に」辟易していた(もうウンザリである)。この習慣を「気持ちいい」と感じる連中(日本人全般に言える)が、このストーカー行為を助長しているのである。つまり、大きなお世話だ!

では解決策を言おう

a 落とし主と拾い主は個人情報保護法の適用を受け、お互い一切の住所・電話番号等を「教えない」
b 落とし主は謝礼を一切しないことにする。どうしても謝礼をしたい場合は警察が受け取る
c 拾い主は、遺失物を本人が取りに来たかどうか、を知ることは出来ない
d もし拾った人がネコババした時は、当然だが罪に問われる
e 届け物が異常に減ってネコババする人間がやたらに増えるが、これは落とした本人が悪いので仕方がない。もともとこれが日本人の本当の姿であり、今までの日本人像がウソと偽善に隠された虚像である。落とした人は遺失物が出てこなかったのだから、「日本では落とした物は出て来る」なんて夢のような大嘘を信じてきた己の天然呆けを反省して、すっぱり諦める

以上である。

とまぁ、怒りに任せて書き殴ってしまったが、とにかく落とし主が拾い主に一定額の謝礼をする習慣ないし「法律上の義務」を負う現行のシステムは、全くのナンセンスである。昔、法律を作った時に考えた「謝礼をしない落とし主に対し、拾い主はお礼を要求するために住所・電話番号を知る権利がある」という狂った屁理屈を見直して、ストーカー犯罪が頻繁に発生している現状に余りにも無頓着な法体制を作り直すべきだと言える。このままでは、いずれ犯罪が起きても何の不思議もない。警察は市民の(特に若い女性の)恐怖をなんと思っているのだろうか。いつも思うのだが、こんな法律などさっさと作って、その素早い対応に国民から感謝されて見たらどうだろか。気分いいと思うけどねぇ。ところが、謝礼は求めないとしても、失くしたと思った物が出て来て喜んでいる落とし主から「感謝の言葉を欲しい」と思っている人がいっぱいいるのには驚いた。自分の好意に対して「他人に何かの感謝を期待する」ということ「そのことが実はストーカーの根本心理だ」という事に思い至らないのである。

一方的な好意の押し付けは、いまやレッキとした犯罪行為だ。私は現代では、もっとドライに生きるべきだと思うが如何だろうか。




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