明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

血液型性格研究!

2017-05-23 20:30:33 | 生命・健康・医療
日曜日の「外国人記者は見た」で血液型の話題を取り上げていた。もちろん他に北朝鮮ミサイル問題やアメリカFBI長官解雇問題とか共謀罪強行採決問題とか話題はいろいろあったが、私の意見が何かの役に立つわけでもないので割愛させていただき、今日は長年の血液型研究の成果をゆるゆる述べてみようと思う。ところで街頭インタビューで「血液型の性格に与える影響は全く無関係」と答えていた女性の言い分が、「千差万別の人間の性格をたった4つの血液型に分類するのは不可能」というものだった。人間は工業製品では無いのだから当然である。人間の性格を4つに分類できたら、それは人間はロボットであると言うに等しい。こんな当たり前のことを理由に持ち出して血液型を云々するのは科学を知らない人の言葉では無いか。私は思うのだが、このような血液型人間分析への誤解が蔓延しているのには、日本人の血液型分布が特徴的だということも大いに関係していると言える。外国人は大体において自分の血液型など知らないで生きているらしい。実際に必要ないのだという。では何故日本だけが血液型について騒いでいるのだろうか(韓国や中国でも、最近はあれこれ言うようになったらしい)。そもそも「血液型占い」というような本が売られていること自体が日本だけのことであり、諸悪の根源も其処にある。当然だが、血液型の研究は「科学的」でなければならないのだ。

では何故人々は「A型は几帳面」とか「O型は図々しい」とか平気で言うのだろうか?私はA型は几帳面だと「言う人の血液型は」何型なのか?を問題にしたい。何故なら几帳面とは科学的な事象を説明する言葉では無く、あくまで「主観的な印象」を述べる言葉であるからだ。几帳面と言われる所作を100人が100人とも同じように感じたとしても、それが「本人が几帳面な行為と自覚している」かは別問題である。つまり血液型の問題は「本人の自覚とは一致しない特質を他人から指摘される事」にある。人は他人の秘密をこっそりと知りたがるものであり、それが血液型によって一律にしかも一方的に暴露されてしまうことに、人知れず快感を覚えて話題にするのである。「Aさんって雑よね」「だってO型だもの、しょーがないのよ」、見事に断罪して反論しようのない性格「診断」である。雑と思ったので調べたらO型だったのか、それともO型だというのでちょっと注意深く観察したら「案の定雑だった」のかはこの際どちらでも良い。肝心なことは「彼が雑だ」ということと「彼がO型だ」ということが、血液型によって十分説得力のある事実となっている、という点である。これは殺人事件の現場において残忍な殺し方をした犯人が「キチンと後片付けをして」帰っているからA型の犯行だ、というのに等しい「非科学的な判断」である。血液型の研究を科学的に行うという事は、血液型に関する誤った過去の知識を一度全てクリアーしてからに取り組むべきである、と私は考える。

では、どのようなアプローチから始めるのが正しいのだろうか。それは番組内でも登場された藤田紘一郎先生が言っておられるごとく、血液型が「細胞の免疫システムの種類」であることから出発すべきである。およそ動物は、ウィルス等の侵入に対し抗原抗体反応という免疫システムで身を守っている。これはタンパク質に突起物が付いていて、その物質によってA型O型B型AB型という4つの血液型に分けられる。O型が基本形で何も無く、A型とB型が後から派生した。ちなみにゴリラやクジラや亀は全部B型で、魚はA型、ブタやチンパンジーは殆どがA型だそう。だからなんだって言うわけでは無い、あくまで「型」なのである。動物の足が4本で人間の足が2本だというのと大差ない情報である。余談だが魚類は全部A型で動物は大まかに言ってB型が優勢であると言うのは、免疫システムとの観点から見ると考えさせられる点が多い。とにかく血液型に「偏り」があるということは、生物が生きていく環境に適応する上で獲得した「特質である」と言えるのではないか。そこで少し科学的に血液型にアプローチしてみよう。

血液型が免疫システムだと言うことは分かった。では当然のことながら「同じ血液型のものは味方」であり、「違う血液型はその血液型によって敵だったり無関係だったり奴隷のように利用する関係だったり」するのじゃないか、と言う事が出来ると思うのである。ただし、これを人間の血液型と考えるからすぐ自分の知っている人に当てはめようとする人が出てくるので、あくまでアメーバのような物質のレベルの話として考えて欲しいのだ。つまりO型は基本的に抗体を持ってないので、A型でもB型でも「無警戒に」近寄って来るということが言える。で、A型はO型に対しては危険を感じないので平気だが、B型に対しては「違和感を感じて」緊張し、ある種の戦闘モードになると想像出来る。そしてB型はA型の逆で、O型には安心するがA型には「不思議感覚を持って」接するのである。これらの反応の違いは、理屈では無く実際には個体差があるので一概には言えないが、概ね当たっているように思う。じゃあAB型はどうなるのかというと私の想像だが、A型の要素とB型の要素を合わせ持つというより「別のタイプの新しい型」であると見るべきじゃないかと思う。材料はAとBだが、出来上がるものは「むしろC型」と呼ぶに相応しい新型である。事実AB型は紀元1000年位に発生した新種だそうだ。この辺は生命の不思議さであろう。

今の人類がアフリカのコンゴ辺りで生まれ、地球規模に分散して行った何十万年も昔の枝別れ以前はO型ばっかりの生命であったのか、それとも3タイプの血液型が存在していたのかは分かってはいない。ただ地中海からヨーロッパ方面に分れていったものにはA型が多く、インドや中国方面にはB型が多くいたのではないかというのは想像である。或いはA型の動物とB型の動物が存在するように、人間もそれぞれの型が別々に発生して発達して来た、ということかも知れない。ゴリラが全部B型だと言うのはゴリラの生活環境と行動とがB型に合っていたからとも言えるし、チンパンジーはA型(とO型)が優勢なのはチンパンジーの組織にA型合っていたからと言えるのである。当然だが頭がいいかどうかは別問題で、彼等の脳は「彼らにとって必要なだけの能力を持っている」と言える。つまり完成された生物なのだ。仮にゴリラの身体に「人間の脳」を持った状態を想像してみて欲しいが、多分彼は仲間から「バカ扱いされる」のじゃ無いだろうか。要するに血液型は生物にとって「生きていくのに必要な特質」という事であり、結果として頭が良くなったわけではない。そもそもどの血液型が頭が良いとかは議論として前提条件が大雑把すぎて成り立たないのである。(ただO型の人はO型は頭が悪いと言われて気にしてる人がいるみたいで、その時点で頭が悪いと言われるのもしょーがない気もしないでもない)

だが単に生きていくだけでは無く社会生活を営むようになった人間には、血液型の役割もまた変化せざるを得なくなってきた。そもそも人間は生まれる前の母親の胎内では「血液型が無い状態」であり、血液型は2〜4歳くらいまで「はっきりしない」と医学的に言われている。つまり赤血球内の抗原に引っ張られて血漿の抗体が出来上るのが遅い子で4歳頃だと言うことである。このことは余り知られていないが、血液型が一つの免疫システムだという事の証拠でもある。つまり子供が成長し後天的に獲得してゆく特質が血液型免疫システムだと言うことである。もちろんAとOの間に産まれた子供にはBは産まれない、これは事実である。だから後天的に獲得すると書いたが、真実は本来あるものが姿を現してくる、というのが正しい。そこで環境の影響が考えられるのだ。生まれてから同じ「血液型の仲間」としか生活していないものと、各種の異なる血液型のコミュニティで育てられたものとでは自ずと「同じ血液型であっても、その特徴の発現の仕方は違って」来ることは容易に想像できる。

私の同僚のY氏は、おじいちゃんおばあちゃんまで含めて家族全員A型であった。もちろんそれを不思議と思ったことは一度も無いという人である。逆に私の友人のT氏の家は、O型同士の結婚なので家族全員がO型である。全然違う環境ではないか。またゴルフ仲間のS氏の家庭は、全員B型だと言う。ちなみに部屋の中のゴミ箱に家族の一人が紙くずを投げ入れてそれがたまたま入らずに床に落ちてしまった時は、「そのまま放っといて、誰かが傍を通る時まで片付けないよ」と真顔で仰り自慢げにすら見えた。B型の私は「それもアリだな、やはり家族がいるというのはいいもんだ」と、その合理性に感心したが、同じくゴルフ仲間のもう一人のS氏は、「ええーっ、信じらんない!」と気持ち悪いものを見たように驚いていた。これを綺麗好きとか無責任とかの人格的評価で捉えるのは、B型としては「放っといてくれ」と言いたいのだが近年話題になっているゴミ屋敷のこともあるので、「それはその場で拾って捨てるのがいいんじゃない?」と、内心不満ではあるが一般的な意見に賛同することにした。これをB型の無精と決めつけ、A型の社会的正義や清潔さと対比させるというやり方が大体の血液型性格判断の傾向であると思う。まあ日本人の4割のA型と3割のO型に受ければ出版社としては大成功であるので致し方ないとも言えるが、私は異なる血液型の人間を「同じ土俵で戦わせて優劣をつけるやり方」は血液型研究の科学的アプローチにはそぐわないと思っている。そもそも人間の持っている殆どの精神的な行動パターンは、多かれ少なかれ全部の人が持っている。例えば几帳面な性格というが、大抵の人は社会人になる頃には何かしら几帳面なところがあるものであるし、どこかの部分では雑に放ったらかして気にも留めない事がある。要は「何に対して几帳面かの違いでしか無い。

最終的に血液型の特性は「免疫システム」という所に落ち着くのでは無いだろうか。それから導き出される違いは、個体或いは種の環境適応能力と防御能力である。当然、血液型によってそれぞれ「想定される生活環境が違って」いても不思議ではない。私のいま思っている想定される環境はB型では、「自分にとって居心地の良い」環境を求めるのに対し(あくまで個人の居心地であって、他の人の居心地は無視である)、A型は種族にとって理想の居心地の良い環境が目標であり、皆で力を合わせて作りあげることが大事である。そこでは自分の居心地は「コミュニティが保障する」ものであり、そのコミュニティが環境として整備されて来れば、その中にいるA型は安心しきって生活できる。要は、他人から非難された時に守ってくれるのが「B型では自分独り」であり、A型では「コミュニティ全体のコンセンサス」であると言える。血液型が免疫システムだというのは、こういう所に現れてくる。そしてO型はA抗原もB抗原も持たない「A型B型が発生するよりも前から存在したタイプの血液型」であり、他から非難された時に守ってくれる「既製のの防御システムを持っていない」ために、外部からの敵に対しては「自分達で団結して守ろうとする傾向がある。言わば原初的な生存形態である、と私は考えた。

これをまとめると
1 O型は血縁的部族や友人同士のまとまりを大事にし「個々の力より数の力」を使って生き残ろうとする
2 A型は宗教や常識といったような「個々の力よりも強い社会的ルール」を使って生き残ろうとする
3 B型は理論や科学といったような「個々の力を超えた次元の合理性」を使って生き残ろうとする
というイメージである。

それぞれに想定した環境下では、上手く機能するやり方だと私は思う。ただ「他人が見てどう思うかは、事実よりも印象であるから」、血液型性格研究の範囲外であることは言っておきたい。なお、ちょっと暇つぶしにネットで調べた結果を書き出したので参考にされると良いと思う。ちなみに私がなんとなく気に入っている人が「意外とB型に多く」、「綺麗だなと思っている女優さんがA型に多かった」のは偶然では無い気がする。私がB型であるということそのものが、A型女性を「魅力的に」見せているのであれば、まさに自然界の不思議さである。

ではネットの情報だが
◯B型の有名人は、長嶋茂雄 イチロー 野茂英雄 清原和博 野村克也 北島康介 ジャンボ尾崎 青木功 松山英樹 宮里藍 稀勢の里 羽生結弦 浅田真央 福原愛 安倍晋三 小沢一郎 田中角栄 伊達政宗 夏川りみ 都はるみ 八代亜紀
◯A型の有名人は、ダルビッシュ 錦織圭 上田桃子 桑田圭佑 長渕剛 宇多田ヒカル 松田聖子
◯O型の有名人は、王貞治 落合博満 松井秀喜 中田英寿 中村俊輔 貴乃花 武豊 ジャイアント馬場 高橋直子 荒川静香 浅尾美和 石川遼 福山雅治 森進一 安室奈美恵 美空ひばり
と、こんな具合である。AB型は割愛させていただいた。

俳優タレントは数が多いので厳選して、
◯B型 明石家さんま 及川光博 大橋巨泉 高橋英樹 船越英一郎 三宅裕司 渡哲也 綾瀬はるか 有村架純 井川遥 小倉優子 きゃりーぱみゅぱみゅ 高島礼子 堀北真希 南野陽子 森光子 米倉涼子
◯A型 いかりや長介 梅宮辰夫 織田裕二 加藤茶 加山雄三 久米宏 高倉健 田村正和 ディーンフジオカ マツコデラックス 水谷豊 麻木久仁子 芦田愛菜 杏 石原さとみ 樹木希林 桐谷美玲 さとう珠緒 沢尻エリカ 戸田奈穂 長澤まさみ 能年玲奈 藤田ニコル 水野真紀
◯O型 石坂浩二 尾上松也 北野たけし 武田鉄矢 タモリ 寺脇康文 上戸彩 片平なぎさ 北川景子 小泉今日子 剛力彩芽 壇蜜 菜々緒 広末涼子 深田恭子 和田アキ子
◯AB型 市川海老蔵 小泉孝太郎 反町隆史 渡瀬恒彦 佐々木希 名取裕子 橋本マナミ 広瀬すず ベッキー
などなど。それなりに印象の分かれるところが面白い。B型の女子は気安いお友達らしい雰囲気だが、A型女優陣はおしとやかである。橋本マナミなぞはエロを前面に押し出しているはずなのに、結果は不思議とどっちつかずなところが如何にもAB型らしい。まあ先に血液型を聞いての上の印象なので、ただ「ふーん」と聞き流していただきたい。この血液型性格研究は、次回は一段踏み込んでみるつもりなのでご期待下さい。


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