明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

言いたい放題(54)栃木しもつかれ賛否両論

2024-03-24 19:30:25 | 今日の話題

1、味覚は十人十色


数あるバラエティ番組の中で世の中のグルメブームに物申す看板番組と言えるのが「秘密のケンミンSHOW」です。各地に特有の食事文化を取り上げては笑いを誘う手法は、ある意味地方へのオマージュでもあります。今回は栃木と北関東全域で愛されている「しもつかれ」に焦点を当てていました。「しもつかれ」というのは私は食べたことはありませんが、どうやら魚臭くてどちらかと言うと酢漬けの部類の味覚だと私は理解しました。

私はグルメじゃないのでどんなもんか試しに食べてみよう、などとは全然思ってないですが、そもそも動物の感覚器官というのは「対象物がどういう物か」を見極める為の物ではなく、単に自分に取って「敵か味方か、あるいはエサか毒か」を見分ける為の識別器官なのだという考えに大いに賛成する者です。だからどっちか分かれば良いのであって、それ以上でも以下でも無いんじゃないでしょうか。世界にはそれぞれ地域に合った食材というものがあり、それを食べて生活している人にとっては「地域に豊富で安価な食材」が美味しいと思うように、子供のうちから育てられている筈です。

ところが世界中のどんな食べ物でもスーパーに行けば簡単に手に入るような安楽な暮らしに慣れてしまった現代人が、グルメという言葉に踊らされて「これが本物の味だ」とかを求めるようになり、いまや小学生のガキの分際で夕食を食べた後に「今日の料理は美味しかった」などと偉そうにコメントするようなたいそうな時代になってしまったのです。ああ、世も末だ・・・。

私の時代には食事に美味いの不味いのと批評がましく文句いう子供は一人もいなかったと思う。お腹いっぱい食べられればそれ満足したのである。それが今じゃ世間がこぞって「どこそこの何何は絶品!」とか言って、料理人か芸能人みたいにいっちょ前に食レポするのがお約束になっているではないか。いったいお前、普段どんだけ美味いもん食ってるんだ?って聞きたくなるってもんでしょう。まったく・・・。

とまあ、多少の毒は吐き出してデトックスするとして、私の言いたいのは「味覚は人それぞれ」という事実です。例えば人間の目は虹の7色を見分けることが出来ますが、動物の中にはフクロウみたいに「赤外線」で物を見分けている生き物もいるのです。昆虫は綺麗な花を見てもそう沢山の色を見分けている訳ではなくて、昆虫に必要な「蜜の在り処」だけがクッキリ際立っているような「単色か2、3色の識別力しかない」そうですね。勿論それが生存に適しているからそうなってるわけで、人間の言葉で言うなればその色が「美味しそう」に見えているはずなのです(間違ってるかもしれないので心配ならお調べ下さると助かります)。

では、北関東全域で特に「お年寄りに絶賛」されている「しもつかれ」が、何故若者達や他の地域の人々には「オエ〜」と敬遠されるのでしょうか。エスキモーの人々は雪の中にトドやアザラシやカモメなどの肉を貯蔵して、それを発酵させたものを食べて長年生活していた歴史があると言います。東南アジアでは芋の一種を主食としてそればっかり食べて健康に暮らしている民族もいるそうだ。要するに、それぞれの民族それぞれの地域に「豊富にある安価な食材」で生活するというのが、一番楽で「正しい、良い生き方」だ、と言うことです。

で、私は野菜が自分の味覚に合ってるらしく、野菜中心の「手間のかからない食事」を食べて、これと言って不満なく生きているわけですね。キャビアもフォアグラもフカヒレも食べたことが無ければ、ステーキも松茸もアワビも、世の中のありとあらゆる「絶品料理」というものを食べたことが無い人間であります。つい最近になって「椎茸の美味さ」に気付いたぐらいで、とんと味には鈍感人間なのです、ホント。

でも私はそれを不満に思ったことは人生で「ただの一度も」無いから不思議です。食事は健康に生きられればそれで満足というのが私のモットーです。「何と面白味の無い人生なん!」と人から笑われようと気にならないまま70年生きて来ました。勿論、美味しいと感じるだけの味覚はあります。が、今食べている物でちょっと美味しく感じられる程度がベストであって、美味しさを求めてあれこれ探し回るようなことは「時間もなければする気も無い」ということでしょうか。今行っているスーパーで置いている物で一生満足ですね。

翻って考えてみれば美味しいものを食べたい!という欲求は、本来「人類に備わっていたのかどうか?」という疑問に行き当たります。美味しいものを求めるという行動は、本来生き物にはプログラムされていないんじないだろうか?とさえ思っています。

結論として人生は短く、喜びは少ない。

自分にとって一番欲しいものに向かって、その残り少ない時間を有意義に使おうではないか!・・・とか大層なことを言うつもりはサラサラ無いが(言ってるじゃないか!)、少なくとも「十人十色という多様性」だけは受け入れようと思っています。そう言えば昔、とにかく野菜が嫌いで、ピザから「野菜を箸で取ってから」食べていた先輩がいました。その先輩も先日76歳でガンで亡くなりましたが、別に野菜嫌いだから・・・と言うわけじゃなかったんじゃないかと思っています。逆に、野菜を一切食わなくたって76歳まで生きた!とも言えます。それ位、人間は適応力があるって事ですね。つまり

食い物だけが人生じゃないよ・・・と私は思うわけです。もっと他にやる事ある筈、ですね。

2、探訪番組、只今増殖中

テレビが主なニュースソースの独居老人の私にとって、バラエティ番組は生活の潤滑油です。前項でも書いた通り、グルメも旅行も興味が無い私には「古典の読書と古代歴史探求とミステリードラマ」だけが楽しみと言っても過言ではありません(ゴルフにサッカーなどのスポーツ視聴もあるが、これは万人共通のものだろうと思っています)。そしてちょっと空いた時間にボーっと見るのが今回のテーマの「探訪番組」というわけなのです。

いつも見て楽しんでいる中にこの頃「新規に増加しているみたい」と感じたのが喫茶店や蕎麦屋の探訪番組なのだ。ただのグルメ番組じゃない「喫茶店や蕎麦屋」という、どこにでも在って特にミシュランなどと無縁の、庶民に親しまれている「普通の場所」を毎週訪れてちょっとコメントするだけ、というのが私には大変癒されるところですね。そんな中で特に最近「見始めた番組」があるので是非とも紹介したいと思います。

それは
「飯尾和樹のずん喫茶」と「どらんく塚地のふらっと立ち食いそば」です。別に何か中身があって真剣に見るのではなく、他に何かやりながらチラチラ見るでも構わない「お気楽番組」なのですが何故か「ほんわか」しちゃう、とてもニッチな心温まる素晴らしい番組じゃないかと思っています。是非ご覧あれ。

その他には、「渡辺篤史の建もの探訪」に「小さな村の物語イタリア」、それと「世界ふれあい街歩き」を加えて現在、テレビ生活を満喫しるという訳です。そして以前から見ている番組で「中山秀征の楽しく1万歩!」と「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」があるので結構忙しいのです、ハイ。なお、今まで見ていたが惜しくも終了してしまった番組に「火野正平のこころ旅」と「タモリのブラタモリ」があるけど残念至極です。お二人には長い間お疲れ様と言って、名誉ある卒業を見送ってあげたいと思います。まあ、健康面とか諸般の事情でいつまでも続けるわけにはいかないのも分からないでもないですが、淋しい限りですね。何か世の中全てのものが「若者対象」に代わっていくというのは、いつの時代でもある事ですが「我々年寄り」にとっては残念な気がしますね。これでもう「用済み」なのかな?と思う時もありますが、「なんのなんの、これからが本当の人生だ!」とも思ったりも実際するわけです。

人生いろいろ、「万人に気に入られるようにしよう」などと思わないで、自分勝手にやりたい事をやって「人生を謳歌」しよう!・・・というのが今の偽らない気持ちでしょうか。まだまだ元気です!



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