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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

フロリダの銃乱射事件と全米ライフル協会

2018-03-02 21:30:00 | ニュース
私は最近CSで英語のニュースを見ることが多くなった。そこでは連日のようにフロリダの事件が取り上げられている。日本では一過性の話題として簡単に取り上げただけだが、アメリカでは政府の銃規制に対しての抗議も含め大問題になっているのだ。そこで私も遅ればせながら解決法を考えてみた。問題の根は相当に深いが、その幾つかについて切り込んでみることにする。

全米ライフル協会は銃を持つ権利を保証する「憲法修正条項」を盾に、絶対に譲らないと言い続けている。これは「自分を守る権利」を冒してはならない、というものだが、大量殺人事件をなくす事に効果があると言っているわけではないようだ。私も良くは知らないので勝手に解釈すれば、「おかしい奴」は何時の世でも必ずいる。そいつが武器を持って大量殺人をしようとしているのに「丸腰でどうやって戦うというのだ?」ということらしい。これは一見正しいことを言っている。完全な悪人がいて銃を乱射しているのに、それを懲らしめるスーパーヒーローが「丸腰」なんてことはありえないのだ。日本の刑事ドラマでは銃を撃つシーンなど「よっぽどの事」でない限り出てこないが、アメリカのドラマ(私も良く見ている)では、盛大に撃ち合って「主役が見事に悪人を倒し」て終わる事になっている。良いの悪いのと言う前に「風土」であり「文化」であるのだ。実際に銃による殺人事件は日本の「何十倍」起きていると言っても過言ではない。そして、ある人間が人を殺そうとして慎重に計画を練ったとして(今回のように武器を持って大量殺人をしようと計画した場合でも)、それを阻止する側が武器で対抗するというのは「現実的では無い」と言えそうである。それは

a 気違いはどこにでもいるから、それに対抗するために「善人」が常時武器を携帯する必要がある。結局全員が銃を持って歩いている社会が出来上がる。これがアメリカの現実である。

b 確かに「誰もが銃を持っていて反撃してくる」状況では、おいそれと犯罪を犯すことは出来ないであろう。だからと言って無差別殺人などの事件も減るかと言うと、彼等は概ね犯行後に自殺か撃ち殺されているから「死ぬことは想定済み」であり、「大して減らない」のではないかと想像できる。

c 要するに、最初に撃たれて死ぬ人は防げないが、「被害を最小限に出来る」と言うのが全米ライフル協会の主張である。これは一理ある。

d だが最初に撃たれる人はどの道死ぬしかないのだろうか。たとえ善人であっても撃たれて死んでは元も子もないから、殺られると思ったら「相手より先に撃つ」事になり、ちょっとした事で撃ち合いが起き、中には「間違いで発砲」することも出てくる。間違いで殺人を冒してしまった「善人」の後悔は、大量殺人で殺されるよりも辛いことのような気がする。臆病な善人ほど、この間違い殺人を冒しやすいとも言える。

e それに武装強盗のような犯罪者が被害者を脅して金品を奪うという場合、国民全員が銃を持っている訳だから「単に脅すより、殺す」ほうが安全だと思って殺人に発展するということも、多発するかもしれない。或いは普通なら脅されるだけなのに「反撃すると思われて殺される」ってこともある。

f 結局、銃を持つまたは持ちたがる人というのは、「銃が必要になる場面」を身近に感じている人ではないだろうか。で、そういう人というのは「元々闘争心が旺盛」な人でもあり、「喧嘩っ早い人」でもあるわけで、銃がないと不安な人でもある。これはある意味「怖い」とも言える。

g 例えば、学校なり会社なりに行って「周り中が銃を持っている状況」を想像してみると、普通の人は「互いに言動に慎重に」なり、なるべく揉め事を起こさないようにして「息を潜めて」一日を過ごすのではないだろうか。特に「知らない人」には警戒を怠らないであろう。だがフロリダの事件でも「犯人は生徒」であり、知らない人では無かったのである。ここがこの手の事件の恐ろしいところだ。

h とすれば、本当に信用できる人間以外とは「なるべく関わりを持たない」生き方が安全だという社会になってくる。銃を持ちたがり、危険な社会に平然と立ち向かっていく全米ライフル協会の人達のように「強い人ばかり」じゃない場合は、どうやって自分を守ればいいのか。

i そこで「自分で自分を守る」社会と、「国家権力に頼って自分を守る」社会との「二者択一」になる。アメリカという国は独立戦争・南北戦争を経て「元からいたインディアンを銃で駆逐して出来た国」だから、歴史的にも「自分で守る」習慣の上に成り立っている国だと言える。だから今でも「自分の生活が国家権力によって脅やかされたら、全員銃を持って戦う」準備をしている国である。テレビの「外国人記者は見た」に出演しているイギリス人記者は、アメリカは「物事を暴力で解決する国」だと言っていたのを思い出した。根本は「まだ西部劇」なのである。日本で言えば水戸黄門である。

j それで「自分のことは自分で守る」人は、「精神疾患の審査基準を明確にして」厳しくし銃を持ってはいるが事件を起こさないようにする、という事になる。が、警官や軍はどうなのかというと、そんなに厳しい基準を適用すると「募集人員が集まらない」なんてことになり、これもまた問題である。だが警察や軍隊内部で乱射事件というのは余り聞いたことがないから、「全員武装」という選択肢もあり得るかとも思う。

k 日本などは秀吉の刀狩に始まり、明治維新から太平洋戦争で負けるまで「武器に関しては神経質なほど徹底」してきた経緯があり、戦後は「完全に銃の無い社会」が出来上がっていた。これは米軍による「武装解除」という外圧も大いに効果があったと思われる。それに比べてアメリカでは、「銃のない社会」を実現するのは難しい。

l まず「銃などの武器を持てる人を限定する」という事が難しい。自分で自分を守るという立場の人は、警察官も「敵になり得る」と考えているからだ。法を守ると言っても、「法自体が自分を違法とする」可能性がある。だから最後に自分を守るのは「自分だけ」なのである。こういう人には何を言っても無駄だし、法で銃を取り上げようとすれば「そのことが逆に銃を持つ理由」に成りかねない。結局は信念・信仰の問題になってしまい、強制することはすなわち「新しい戦争」の再開になってしまう。これは民主主義では解決しない問題である。

m で、取り敢えずそういう人は放っといて、一部のみの「善人に厳しい管理で銃の所有制限」をする方法について考えてみよう。まず持たない人から「銃を返却」して貰わないといけないだろう。それには「国内にある銃すべて」を把握して、国外からの密輸も無くし、地下製造や模造ガンも全部登録してデータベースに記録し、弾も全量を登録する必要がある。どこにどういう銃が何丁あって「誰が管理し」ていて「管理状態はどうなっているか」を全部記録しなければならない。大変である。が、何年かかってもやらねばならないのだ。

n それから何歳以上で精神疾患が無い人を対象にして「銃の管理許可」を申請・承認するのである。勿論マシンガンなどはもってのほかで、せいぜい「猟銃」ぐらいで良しとしよう。拳銃は「携帯性」があるので「禁止する」のがいいだろう。常に警察が銃器を監視して「いつでも保管状態を確認できる」と法律で決めれば、余程のことが無い限り「安全性は保たれる」と思う。日本でも銃刀法というのがあって、条件さえ整えれば「日本刀」だって持てる。だからと言って事件が多発するかと言えば、それ程でもない。おかしい奴には許可しなければいいのだ。

o そのためには最初に「違法銃器の摘発」をやらなければいけない。当然である。善人が全部銃を返して、悪人が銃をたっぷり持っているのでは「どうぞ犯罪を犯してください」と言ってるようなものである。そこでまず期限を切って「現在保有している銃と弾の登録」をしてもらう。期限後に発見された銃器は「全部違法とし没収する」。そして違法銃器を保持するものは「懲役刑」にする。密輸も製造も同様にし、新規に「銃を購入する場合は」何段階かのテストを行い専門医の診断書を付けて、完全に合格しないと「銃を買えない」ようにする。ここで甘くしては元も子もないからだ。

p 違法銃器はそれで良いとして、正常な人がまともな方法で銃を購入するのを防ぐことは「憲法修正条項違反」となり、憲法違反になるので出来ない。そこで「厳重な保管義務」と「いつでも警察が確認できる」こととする付帯条件をつけるのである。

q 正常な人とテロリストを「何もしない状態で区別すること」は不可能である。だから「銃の持ち込み禁止エリア」が存在する。それで銃器を持てるのは「自宅または許可されている屋内」に限定する。例えば射撃場などである。アメリカは今でも銃を「隠して持ち歩いても違法ではない」州があるのだ。これを無くすことが第一である。

r では学校には何故「銃を持ち込めたのか」。私は最初っからこの点が疑問だった。当然銃器持ち込みをチェックしていれば、乱射事件などは起きてはいない、包丁を振り回したというのでは無いのだ。ニュースを聞き漏らしたせいか、未だに疑問は解けていない。インターネットで部品を調達し、3Dプリンタで改造した自動小銃を学校に持ち込んだのである、チェック体制が「無い」に等しいではないか。この点をアメリカのニュースでも「問題視していない」ことに私は「一種の不思議さ」を覚えるのである。航空機に持ち込むのは厳重にチェックされるのに、教室に持ち込むのは「簡単」だというのでは、生徒もたまったもんじゃないだろう。これは少し調べる必要があると思っている。

s 銃が無くて安全という人達と、銃がなくては不安だという人達では、天と地の開きがある。確かに事件は完全には防ぐことは出来ない。テクノロジーによって徐々に交通事故が減って、銃器がないことで「銃で死亡する人が交通事故よりずっと少ない」日本のような安全な社会は、「島国だから」ということもある。アメリカは「メキシコみたいな常時犯罪社会国家」と国境を接しているわけだし難しいとは思うが、皆がやろうとすれば出来ないわけではない。50年かけてもやり抜く根性があれば(世代交代も含めて)、何時の日にか達成出来ると私は信じている。

t 車の運転免許では事故を起こしても講習を受ければまた運転できるが、銃に関しては「持ってないと仕事が出来ない」という職業はそうあるわけではない。だから「一回でも犯罪を犯せば永久に許可は出ない」としても良いと思っている。要は、「家から外に持ち出さない」ことである。だから拳銃は勿論「分解できる銃」も禁止する。そして「いつでも身体検査」が行われるように法改正するのである。全米ライフル協会は反対するだろうが、ここは法で押し切れば良い。

u そこで問題になるのが「議員の態度」である。全米ライフル協会からいくら貰っているか知らないが、批判を浴びて当然である。全米銃販売大手のDKNが銃の購買を21歳以上に引き上げたのに続き大手スーパーマーケットのウォールマートも21歳以上としたらしいが、たかが2、3年引き上げたぐらいでは「抑止効果は疑問」だと言える。問題はアメリカ人の「縛られる事が嫌いなマインド」にあるからである。フロリダの事件は悲しい、しかし銃を規制されるのは嫌だという事である。悪いのは「精神疾患を見抜けなかった警察だ」というのが、正直なところの大方の意見であろう。

v 話はそこでストップして、具体的な改善策は出てこない。過去に何度もこのような銃乱射事件が起きて、その度に「同じような意見に収束して」忘れ去られた経緯がある、アメリカ人は「馬鹿なのだろうか?」。答えは「yes」だ。はっきり言って「何とかしようと言う気はあっても、問題を犯人の精神疾患にもとめている」間は、永遠に解決しないのである。

w だがアメリカ人と言えども「一度も銃を使った経験が無い」人も含め、銃禁止にして「生活の上で困る」人はそれほどいないのではないだろうか。一部の人のみの意見で「このような痛ましい事件」を放置しているようであれば、アメリカも「理想の国」とは言えなくなって来よう。既に理想の国では無くなっているとも言えるが。

x だがこれほどの事件が続いているのに頑なに銃保持の権利を主張する全米ライフル協会とは、そもそもどんな団体だろうか。KKKのような時代錯誤の団体であろうか。ようやくアメリカの民衆も「変わってきた」と感じることが「あちこち」で起きてきている。あと10年、この問題も自然と解決するのかも知れない。

y またアメリカの世論が「銃で解決する」ことを良しとしない社会に近づいてくれば、その時は「北朝鮮問題」や「ロシア・中国問題」も解決しているだろう、とも思うのである。

z 結論は今回は出なかったが、とりあへず私はアメリカ旅行は遠慮しておこう。勿論中東も駄目である。中国・インドも法治国家ではないので御免だ。じゃあ、どこにも行けないではないか!という声も聞こえてきそうである。ではお答えしよう、日本国内である。まだまだ知らない所が一杯あるのだから、今は日本で十分である。銃の無い社会を満喫しつつ旅行が出来るという喜びを、全米ライフル協会の連中にも教えてやりたいくらいだ。

もちろん彼等には「そんな幸せは必要ない」だろうが。

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