明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

私説「天武天皇の謎 日本国は倭国の別種なり」一巻・・・山田正巳、を読む

2017-11-14 21:50:00 | 歴史・旅行
日本のことを中国の歴史書で見るというのが古代史を勉強するものの決まりだが、魏志・後漢書・宋書・南斉書・晋書・梁書・隋書・旧唐書・新唐書と、割と細かく取り上げてある。そして「記・紀」は倭国は日本国であると記述しているが、女王卑弥呼と壹興そして邪馬壹国の記述は「一切無い」という。謎である。魏志倭人伝の存在は記・紀の編纂に携わった役人も当然知っていた筈であるのに、どういうわけなのか疑問であるというのだが結局のところ、記・紀が「嘘をついている」ということで決着するしかない。問題は「何故嘘をついたのか」である。これは難しいけれど、私なりにその「記・紀の意図」を追ってみた中で得られた知見を、前後に関係無く書いてみたい。内容はランダムになってしまうが、ご理解・ご容赦いただきたいと思う。

1 魏志倭人伝に邪馬壹国へ至る道案内が書いてあるが、九州の末廬国へ上陸してから邪馬壹国へ至る間、一度も「海を渡っていない」のである。これは邪馬壹国が九州にあるという証拠である。もちろん卑弥呼の墓も九州にある。なぜなら邪馬壹国が近畿地方にあるのであれば、どうして末廬国に上陸する必要があるのだろうか。奈良の箸墓(卑弥呼の墓だと騒いでいる)に行くのであれば、瀬戸内海を真っ直ぐ行って難波から大和川を遡上すればいいではないか。結局この一点だけで、邪馬壹国が九州に在ることは明らかであると思う。

2 奈良盆地は5世紀頃に難波の堀江が掘削され、河内湖の排水が進み大和川が直接海に排水されるようになってようやく陸地つまり湿地帯になったのであり、一般的な耕作地や居住地が広範囲に作られるようになるのは6世紀から7世紀だ、との話である。そのことても3世紀に邪馬壹国があったというのは、「地質学と人口分布」から言ってあり得ない話である。

3 西暦527年の磐井の乱は、磐井が言うことを聞かないで朝鮮からの貢納を掠めとっているとして、継体天皇が成敗した事件だが、磐井の子の葛子は磐井が斬られたあと糟屋の屯倉を献上して罪を逃れたという。おかしいではないか。元々継体天皇の支配が九州に及んでいるのなら「自分のもの」だったわけだから、わざわざ献上されるまでもない。むしろ攻め滅ぼした物部氏に与えた、というのが普通ではないだろうか。事前に物部麁鹿火と継体天皇が相談する内容が磐井殺害後の領地分割の話だから、事実は逆で倭国の王「磐井」を継体側がクーデターで襲い殺害した事件だと見る方が普通である。しかし領地を分割するまでもなく、倭国側のカウンター・クーデターに遭った継体は、皇子達と共に殺され全滅したと見られている。それは、継体天皇や物部麁鹿火が「磐井の乱」以後、歴史からいなくなっていることで分かる。

4 大化の改新があった飛鳥板葺宮はそもそも「名前の通り板葺き」だったし、他の飛鳥の旧宮居も当時の首都に相応しい「瓦葺き屋根の大極殿形式の建築群」も無くて、単なる「個人の邸宅」に毛が生えた程度であったという。奈良地方の遺跡の発掘結果も、3世紀の邪馬壹国から切れ目なく続いている筈の王朝の痕跡が「皆無」なのであるという。初めて大がかりな都市計画で作られた藤原京までは、飛鳥には「王朝がなかった」ことは事実のようである。

5 日本と中国との交流が、日本書紀の記述と全く合わないことは有名である。例えば紀元500年頃の倭武(讃・珍・済・興・武のいわゆる五王の最後の一人)の上表した内容が、日本書紀で描かれている天皇達と「年代や系図が一致しない」のである。少なくとも宋朝の順帝に開府儀同三司の授与を求めるというような堂々とした国書を送るほどの自国の天皇について、「全く触れていない」というような事があるだろうか。建国の英雄であるはずなのに「名前すら書いていない」のである。名前は「武」と中国風であるが、日本名は雄略天皇の「大泊瀬幼武」という和名を歴史家は似ているとして当て嵌めているが、そもそも推測するのではなく、日本書紀の編纂役人なら「はっきり書くだろう」と私は考える。これはもともと自国の話ではない九州倭国の王を、「あたかも近畿天皇家の王」のように話を作るのだから、所詮は無理があるのではないだろうか。

6 斉明天皇は、実は661年の白村江への百済援軍発進以前に「三年前に既に死んでいた」、と中国の新唐書日本伝という歴史書に書いて有ると言う。初耳である(私は原典を見ていないので信じるしかない)。これは勿論日本からの遣唐使の言葉を記録した、つまり「日本側の奏上」に基づいて記録されたものである。そして斉明亡き後は「天智立つ」と書かれているそうだ。日本書紀では「天智称制」で誤魔化しているが、中国には「天智が次の天皇です」と言ってたのだ。

今まで歴史学者が散々いろんな説を書いているが、こんな単純なことを「書き漏らしている」とすれば、我々素人には「真実など」見えてくる筈がないではないか。この本は、案外鋭いかもしれないので、また分かったことが出た時点で「続編」をリリースすることにします。ご期待ください。


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