明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

引っ越しする前に考える事(9)まず京都と奈良、住むならどちらがいい?・・・徹底比較 ⑧ その5 奈良(中編)

2024-02-13 10:19:00 | 歴史・旅行

以前京都と奈良を比較して、色々な項目ごとにそれぞれの良い点悪い点を書き出したシリーズの続きです。もし私が引っ越すとしたらどっちが良いか決めようという試みなんですが、まだ奈良でどんな暮らしが出来るか詳細の検討が終わってないので先が長そう・・・です。取り敢えず実際に引っ越した時を想定して、日々の奈良生活を考えてみます。

1、新大宮近辺
新大宮あたりにアパートを借りるとして、ここから近鉄奈良駅までは阪奈道路が通っているので道幅も広く、左右にビルや商業施設もあって開けていますね。まあ、都会です。柏で言うなら6号線沿いの南柏の辺りですかね。その外側に新大宮は位置していて、私には住み慣れた場所というイメージです。で、繁華街はJR奈良駅あたりの所謂「ならまち」エリアになるでしょうか。新大宮からは散歩範囲なのでショッピングとか喫茶店で一休みするには絶好です。そして南の京終駅あたりまでが文字通り「都の終り」になります。日常的な生活はコンビニとかスーパーとか目白押しなので、買い物に困ることはありません。というか、別に奈良じゃなくていいじゃん?って感じなので柏に住んでても変わらないから、余り引っ越しする意味ないのかも。まあハードルは低いですね。それと私事ではありますが、病院も多数あるから選び放題なのが安心材料です。

そして引っ越しする場合の一番の問題である「災害対策」は真っ先に考えておくのは当然として、次に問題になるのは「家賃」ですねぇ。これは今シリーズでも章を立てて書いたと思いますが、奈良は観光地に近い法華寺あたりでもマンションタイプ追い焚き風呂付き56平米の2LDが、何と5.9万円と「めっちゃ安くて広くて綺麗」なんです。こういう物件がめっちゃあって、場所探しの条件に悩む事は全く無いと言えます。あれこれ考えずに住むだけを考えるなら、奈良は天国と言えるかも。

2、佐保路を散策
次は普段近所を散歩するならどうなのか?という点ですが、京都のような「とんでもない数の観光客」の存在は奈良でも規模は小さいがあるとは思う。しかし「ならまち」からちょっと外れた「佐保路の裏手の方」をぶらぶらするのなら、さほど気にする必要はないのじゃないだろうか。佐保川は東大寺の北の方、「般若寺」近辺から聖武天皇陵の脇をかすめて平城京跡の手前を新大宮駅をグルッと回るようにして南下し、大和川に合流する。平城京に都を置いた古の「奈良時代の面影」が僅かに残っているのが、この佐保路界隈になると私は思っている。少し前に独りで川べりを散策した事があったが、殆ど人に会う事も無く佐保路の夏の風景を満喫したものである。しかし行ったのは15年も昔の話だから、今はもうちょっと人出も多いかな?

勿論千葉県の柏で考えている訳だからどこまで本当に残っているか心許ないが、桓武天皇が平安京に行っちゃった後でも旧都を懐かしむ貴族が多かった、というのは地理的に京都に近いからだろう。平城京跡のそばには光明皇后の法華寺や在原業平の不退寺など、当時の建物が(建築当初のままではないと思うが)残っていて調べれば色々な歴史のエピソードがありそうですね。もし奈良に引越すとなれば時間は山程あるから、たっぷりと見て回って楽しめそう。

例えば自宅の居間で業平や家持の古い伝記など読んでたとして、そこに不退寺の庭にあるちょっとした石灯籠のことが書いてあったとしよう。そんな石灯籠はあったかなぁ?と気になる時は、すぐさまサンダルを引っ掛けて出掛けて行って実際に確かめて見る、なんて芸当も「ごく当たり前に」出来ちゃったりするのだ(めっちゃ楽しい!)。で、帰りはあれこれ考えながら大極殿角の蕎麦屋で「一杯引っ掛ける」なんてのもオツですねぇ。何しろ家に帰るのに新幹線などと言う「無粋な乗り物」の世話にならないのだから、否応なしに「歴史の味わい」が深くなるってもんである。まあ、ここが観光客で溢れ返ってオーバーツーリズムに困っている京都と違って「奈良に住む楽しさ」だと私は思っています(出来れば奈良だけは外国の観光客は誘致しないでほしいけど、無理なんだろうね)。

やっぱり住むなら鄙びた風情が残る奈良かなぁ・・・(まだ決めるのは早過ぎるだろう!)

ちなみに佐保路は大伴旅人やその他の貴公子達いわゆる当時の大宮人にとっては「裏庭」みたいな気楽な遊び場だったらしく、そこかしこに香り高い花々が咲いており、環境的には一条路を西に流れている「清流沿い」に蝶とか虫が多数生息しているとの街角情報もあって、のどかな貴族の生活を窺い知るには「絶好のエリア」だと私は目を付けているのだが。こういう雰囲気はもう京都では「とっくのとうに」失われて久しい。

3、仏法への想い
折角ならに住んだのだから近場ばかりじゃなくて少しは遠出もしたくなる。そこで天気のいい日に愛用の自転車に跨って「奈良自慢の三重塔巡り」に出掛ける、なんてのはどうでしょう。ただ歳を取ってくると自転車で遠出するのも難しくなってきます。どうも平衡感覚が鈍って来るようで交通事故なんかに遭う可能性もある訳ですね。だから自転車で行くなら「早くしないと」ダメなわけで、こんなブログなんか書いてないでサッサと引っ越すべきなのだが私の「出不精の性格」が邪魔して中々踏ん切りがつきません。とにかく奈良と言えば仏教の都市ですから、それこそ100歩も歩かないうちにお寺にぶつかる町なんです。そんな「寺だらけ」の奈良にあって私はこよなく愛する塔が「法起寺の三重塔」なんです。勿論、女人高野と親しまれた室生寺五重塔や凍れる音楽の薬師寺東塔西塔、そして法隆寺の古びた五重塔など「有名な塔」はいっぱいあります。しかし「愛すべき」と言える塔はこの法起寺をおいて他には無い!と私は思うのです。

それはまだ私がまだ若かった30代の終わりごろ、独りで京都奈良を巡った記憶の中に今でもはっきりと思い出させてくれる微笑ましい姿です。あの日法隆寺を見ようと思って何故か道に迷った私は、近くの田んぼの畦道を歩いて「とある寺」の境内を抜けようとしていました。そして低い土塀の脇を通り過ぎた時にふと目を上げると田んぼの稲の向こうに「法起寺の三重塔」が小さく霞んで見えているじゃありませんか!。その時一瞬時間が止まったようになって、塔と風景の「混然一体となった荘厳な絵画」に魅入られたように立ち止まって固まっていたのです。それが法起寺との「奇跡の出会い」の最初だったと記憶しています。そのような経験は後にも先にもなく、この法起寺の三重塔が最初です。そして法起寺と共に「法輪寺と法隆寺」の塔も遠くに見えて、のちに「奈良の三塔」と呼ぶようになる私の大好きな塔が三つ、まるで一服の絵画のように視界の中に鎮座していたのは忘れられない思い出でした。10数年前にもう一度見ようと奈良巡りをした際にはすっかり整備されて綺麗になっていて、駐車場や道路わきのフェンスなどが妙に生々しくて興ざめしてしまいました。やはり思い出は遠くにありて・・・ですねぇ。

まあ、そんなこんなで観光地にありがちな造作が気分をぶち壊すという「良い例」でした。元々仏教にはまるで関心が無い私なぞが云々してもしょうがないのですが、奈良に住んであちこち尋ねるというのに神社仏閣は「いらない」かも知れません。そういう現代人の用途に合わせた建造物は本当に歴史に触れたいと願っている私にしてみれば「ミュージアムにでも飾っておけばいい」お土産ものに見えるんですね。それより奈良で感じたいことは「奈良の風景」という、千年変わらぬ景色に肌で触れ空気を吸い「当時の人々への想い」に浸るってことじゃないでしょうか?

というわけで奈良仏教は頭から完全に消し去って、物部守屋が蘇我馬子の拝んでいる中国伝来の阿弥陀仏を勢いよく浪速の海に投げ込んだ故事など思い出しながら、今夜はたらふく酒を呑んで寝るに限る。明日目が覚めたら自転車で甘樫丘に行ってみようかな、ついでに近くの喫茶店でも寄ってマスターに奈良時代の話など聞くのもアリです。



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