1、国葬はまだ早い?
事件の衝撃が大きかっただけに、政府の国葬決定には「反対を許さない」という感情的な部分もあって、議論がなされないうちに決定だけが独り歩きしている。そこで私の提案だが、取り敢えず「国葬ノミネート」状態にしておいて、10年後に判断する、が良いんじゃないかと思う。国葬というのは国に多大な貢献をした人に対して、国家として「ありがとう」という意思表示のセレモニーだから、その貢献が実を結んで、国が「安定・繁栄した」頃合いを見計らってから行うというのが正しいと思う。
国葬という行事は国民が自国の歴史を振り返った時に、あの時に〇〇さんが何々してくれたから今の我々の幸せがある、と思ったらやればいい。そもそも国葬とはそういうものである。ノーベル賞は業績を顕彰するのに、何十年かかけてやっと認められるという。もし安倍元首相が真に国葬に値するかどうかを議論するのであれば、いまだ混乱と低迷の真只中で呻吟している日本の現状を考えると「時期尚早」となるのではないか。何より国葬というのは「国をあげて、晴れやかな感謝の気持ちを表すパレード」が相応しい。
だから今は「国葬ノミネート」で良いんだろうと思う。もしどうしても安倍さんに国葬をプレゼントしてやりたいと岸田さんが思っているのなら、まず国の景気を立て直し、雇用と給料アップを「実現して」から、それは安倍元首相がレールを敷いてくれたからだ、という理由で国葬すればいいのでは?。それが本来の国葬の姿であろうと思う。
国葬とは、何よりも「歴史の評価」であること。個人の一時的な感情で行うものではない(つまり、ノーベル賞みたいなもんである)。
世の中には安倍さんが可哀想だから手厚く葬ってあげたい、という気持ちで賛成している人が多いとは思うが、もしそういう感情を表現したいのであるのなら、 自民党の「党葬」にするべきである。勿論、自民党員でなくても参加すればよい。むしろ、その方が安倍さんも喜ぶと思う。なぜなら彼が最も貢献したのは、「自民党一党独裁政治」であることは間違いのないことである。一方、自分の政治家人生がきちんと評価され、それが歴史上に足跡を残す偉大な功績だ、と言われて国葬になったのであれば、これは党の違いを越えての栄誉であるから、これはこれで嬉しいことはないだろうとは思う。しかし議論が定まらない中で見切り発車というのはどうなんだろう。いや、安倍さんは日本にとって素晴らしい貢献をしてくれたんだから国葬だ、というのなら、その評価を確定するために時間をかけるというのは、むしろ処理方法としては「妥当だ」と思う。単に死に方が「悲劇的」だからというんでは、逆に安倍さんに失礼ではないだろうか。死に方ではなく「功績を見てほしい」、と安倍さんに言われそうである。だから、ここはしっかりと評価が定まってから、国葬するかどうか判断しても遅くはないと思う。たとえ10年かかったとしても、彼は待ってくれると信じたい。
結論:国民から人気があるということと、功績があったというのは「別」である。一時的な感情に流されて国葬するのではなく、国葬というものの価値を「十分理解したうえで」議論しよう。
2、ぶらぶら美術の歴史感覚
長屋親王と書かれた木簡が出てきた場面で、博物館の案内の人が「長屋王は天皇の孫なのに云々」と言って色々説明していた。ここは長屋王の父親である高市皇子が、実は「天皇だった」と、教科書の教えを覆す「大新説」を打ち出す絶好のタイミングだった筈なのだが、彼女は当時の長屋王が権勢を持っていた証拠であるなどと誤魔化して、何事もなかったようにスルーしてしまった。単に無知なのか、はたまた歴史を見る目がないのか、それとも学会の権威を恐れているのかは分からないが、何とも歯がゆくて「だらし無い番組」だという印象は拭えない。山田五郎も確かに博識ではあるが、同じくこれをスルーしたことで、「中身のない雑学屋」でしかないことが白日の下に晒されたのは、当然の報いであろう。
例え長屋王がどれだげ権勢を持っていたとしても、父親が天皇でなければ「親王」と呼ばれることは「絶対に」無い。安倍元首相が如何に実力があろうとも、「陛下」と呼ばれることが無いのと一緒である。大昔の社会というのは、こういう決め事は「絶対間違えたらいけない」お約束事なのだ。荷物の宛名の木簡であるから猶更である。いままで古い時代の歴史署に「親王」とか「皇子」とか「王子」とか色々な文字表記が出てくるが、私は浅学なためか「父親が天皇じゃないのに親王と呼ばれた例」は一度も見たり聞いたりしたことが「ない」のである(逆に、あったら教えてほしい)。だが歴史を教えている先生方は、今に至るまで何故か「この事実を」認めようとしないのである。これでは歴史を研究する資格がないではないか。
日本の歴史学会は天皇制一元史観をやめて、いい加減に真実に目を開け!(でも無理だろうな、と思っています。だって連中「バカ」なんだもん)
3、自分の親を呼ぶ言葉
いつも思っている事だが、自分の親をよぶ時には「お母さん」と言うのか「母さん」と呼ぶのが正しいのか。世の中の言葉の使い方はどうも「お母さん」と言う方に傾いているようである。日本語の正しい使い方で言うならば、自分の親をよぶのには呼び捨てにするのではなく「丁寧語」の母さんを使い、他人の親を呼ぶときには「尊敬語」の「お=御」をつけてお母さんと言うのが正しい(と私は思っている)。これを声高に言うのは少々うざったい気もしないでもないが、最近テレビなどで耳にすると妙に気になって仕方がないのである。どうやら私も細かいことにうるさい「狷介な老人」の仲間入りをしたのかな、・・・やれやれ。
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