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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

酒のツマミ話(12)いよいよオリンピック、始まるよ〜

2021-07-18 18:16:34 | ニュース

1、コロナ自粛した飲食店への補填問題を一気に解決する

この問題はすべて、政府が金を「払いたくない」ことから起きている。金は当然「ある」。しかし政府は色々理屈を捏ねて「無い」というだろう。いま、政府に金があるかないかという議論は確かに必要だが、それを待っていては「自粛協力業者が潰れ」てしまう。政府とは、本来「国民の総意の代弁者・実行者」であるというのが民主主義の大前提だ。当たり前だが、政府は市民から集めた税金を「真っ先に市民のために使う」ことが求められる。今回のコロナのような「未曾有の国難」時には何よりまず自粛を求める業者の損害を補填して、それからコロナ対策に集中すべきではないのか?。・・・この件に関しては、私は昨年の早い時期から「コロナを激甚災害に指定すべきだ」と書いていた。そう、災害なのである。

でも、政府は「損害を補填したら膨大なお金が掛かってしまって」とても払いきれないと言う。その真偽はひとまず置いといて、それならコロナで儲けた人、また生活に影響ない人々から「一時税」を取り、酒類提供業者や観光業・航空旅客業やその他コロナで痛手をモロに被った全ての業者に「損害を補填」するというのはどうだろう?。東日本大震災の時は「復興税」を徴収したではないか。今回のコロナ禍を乗り切るためには、まずもって「コロナ対策税」を導入するのが一番手っ取り早いのである。この際、金持ち・富裕層からガッポリ税金を取り上げて、自粛で営業を中止せざるを得ない店に「売上を補填」すれば、巷に言われてるような「飲食店ばかり目の敵にして」という問題は起きないだろう。補填金で何とか生活を安定させ、皆んなで「一丸となって」コロナと戦おうというのである。酒類提供業者だって「我々の仲間」なのだから、皆んなでお金を出し合って「助け合って」頑張ってコロナをやっつけよう!。これが皆んなの心を一つにする秘策である。ところが今の日本は互いの生活を監視し、敵視し合っている。全くの「真逆」の対策だ。では何故、こんな簡単なことが出来ないのだろうか?。国会では「検討すらされていない」らしい。

・・・要するに国会議員って、私が思うに「揃いも揃っておバカばっかり」なのかしらん。

2、池袋暴走老人はいい加減観念して、刑に服せ

この間の裁判で被告が申し開きしているところをかいつまんでまとめれば、「ブレーキを踏んでも減速しないので、床に視線を落とすとアクセルが床に張り付いていた」ということらしい。アクセルが戻らずブレーキが故障して効かないまま、車が勝手に暴走して飯塚被告は為す術がなかった、という陳述である。

これを聞いて私はすぐに、以下のような疑問が頭に浮かんできた。確か被告の車は少なくとも何分間か、横断歩道に突っ込むまでに「相当な距離を暴走していた」とニュースでやっていた。では、その間に「暴走を止めるため」に運転者が取るべき安全確保義務の行動は、実際に行われていたんだろうか?、と。

a. 何故ギアをバックに入れなかったのか?
b. 何故サイドブレーキを引かなかったのか?
c. 何故エンジンを切らなかったのか?
d. 何故床に張り付いているアクセルを、床に潜って手で引き戻さなかったのか?・・などなどである。

e. そしてこれが一番悪質だが、以上の全部をやってもスピードが落ちなかった時、何故車に突っ込まずに「わざわざハンドルを切って、被害者が大量に出ると分かっている横断歩道の無防備な歩行者に突っ込んだ」のか?

これらは「やったかやらなかったか」の、単純な質問である。是非法廷で質問して欲しい。飯塚被告はそれらを全部試したと言うかも知れない。私には資料が無いので分からないが、「アクセルを踏み間違ったかどうか」を言い争っているよりも数段中身のある議論だと思うけど、ニュースを見る限り「そういう議論」はしていないようである。もしこれらの安全確保義務操作を怠っていたとするならば、飯塚被告は間違いなく有罪だろう。歩行者を守ると言うのは、運転者に課せられた「最も大切な義務」である。

彼は「思いつかなかった」と言うかも知れない。だが、彼は無実だという被告側の主張は、受け入れられることはないだろう。少なくとも運転免許を持っている運転者であれば、必ずやらなければいけない「当然の処置」を、彼はやっていなかったのである(もしやっていれば、運転記録なり車体の痕跡に残っている筈だ)。だから無実ではなく、「重大な安全確保義務違反の罪」で有罪は免れないと私は思う。その必要な処置を「しなかったせい」で、横断歩道の自転車に乗った母娘を死なせてしまったのだ。彼も無実だとはもう「言わない」であろう(少なくとも「言えない」では無いと思いたい)。

もしこれ以上、屁理屈をこねて控訴するようなことがあるならば、これは人の命への冒涜であり、法の精神への侮辱だと私は言いたい。

勿論、エンジンを切ればハンドルは効かないから、今回のように曲がって横断歩道に突っ込むこともなかった筈だが、彼は対向車を咄嗟に避けて「自分が怪我しない安全な方」に突っ込んだのである。無意識の判断かも知れないが、無防備な歩行者に突っ込むなど、運転者として有るまじき「言語道断な行為」なのだ。このこと一つをとっても、飯塚被告の「終身刑」は妥当であろう。被告はパニック状態だった、という「言い訳」は却下されて当然である。

確かに被告はパニック状態だった。惜しむらくは、同乗していた奥さんが車の知識を余り持っていなかったことであろう。彼女は車が暴走し始めた時、運転席の前に潜り込んで「必死に何かをしようとしていた」と報じられている。もし被告の主張通り「アクセルが床に張り付いていた」のなら、ハンドルは奥さんに持たせて「自分が潜って」アクセルを引き上げようとするのが、「人間の心理」としては理に適っているのじゃないかと思う。この場合は、奥さんがパニックで硬直している飯塚被告の右足を、踏み込んでいるアクセルから「どけよう」としていた、と考えるのが正しい推理である。つまり飯塚被告は制御できない車の暴走に「アワアワ」していて、妻の声も耳に入らない状態だったのだ。だから奥さんは自分でやるしかなかった。・・・奥さんが、暴走する車内で取った「必死の事故回避行動」は、結果的に実らなかったのである。彼女の霊にご冥福を祈る。

では、その間「飯塚被告」は何をしていたのか?

パニックになりアワアワしてハンドルにしがみつくだけで、暴走を止めようとか何か具体的な行動を取ったという形跡はどこにも認められないと言われている。奥さんの勇気ある行動に感謝する気持ちが少しでも彼の心に残っているのなら「素直に罪を認めて」刑に服し、刑務所での残り少ない人生を「懺悔と供養」に捧げることが、このような大事故を起こした人間の「せめてもの償い」だと私は言いたい。検察は7年の最高刑を要求しているそうだが、私は7年たっても「外には出ない方が本人のため」には良いような気がしている。亡くなった人達に心から祈り続けること。それが最後に残された「彼の人生の過ごし方」ではないだろうか。・・・でも彼は7年たったら元気に出所してきて、マスコミの前で私は無実だったなんて「冤罪を主張する」ような気がするねぇ、全く。

「やるせ無い」とは、まさに遺族の気持ちである。


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