明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

明日が見えない時にすること

2017-04-02 21:00:00 | 今日の話題
日々を暮らす中で明日が見えない時がある。どうにも気力が失せていて、何か考える事すら鬱陶しい。これは人間が死ぬ時の前兆なのだろうか。テレビはついていて何かの番組が流れているのだが、見ていても何も心が動かない。傍目にはもう死んでいるも同然である。アパートで一人、ただ黙ってじっとしている老人がテレビをつけたままあの世に旅立って行く。孤独死とはこんな感じかな、などと思ってみるがボーっとして何も出来ないまま時間が過ぎていく、今朝はそんな感じの朝だった。二度ほど寝床に潜り込み、ちょっと電気敷毛布にスイッチを入れてうとうととした。こんな事が一生続いたら、終いにはほんとに死んじゃうんだろうなと思いながら気がついたら1時間ほど寝てしまった。あー、だめだ。それでコインランドリーに行く事にした。やる事があるというのは面倒臭いようで、実は生きていくための刺激になるのである。たとえそれが面白くない事であっても。

で、待ち時間に「明日が見えない時の回復方法」を考察してみた。

方法1 毎日やる事を、時間を決めて実行すること
大抵の人は仕事があるので、嫌でも(大概嫌である)7時とかに起きて歯を磨き、トイレに行き場合によっては朝食を取って会社に行く。満員電車に乗って1時間で会社に着き、またやりたくも無い仕事を夕方までやる。まったくこんな事して俺の人生なんなんだ?って愚痴りたくもなる。それで飲みに行っては憂さ晴らし、こんな所じゃないだろか。でもやることがあるっていうのは素晴らしいことだ、悩む事がない。悩みの一つは暇だから生まれる。だから私などの無職の年金暮らしの老人にとっては、ダイエット用のエクササイズなんかが最適なのだ。目標があって繰り返し出来て、一回すっ飛ばしてもなんの問題もない。少しは効果があれば、さらにモチベーションにもなる。要は余り期待しない事だ、目的は時間を消費する事にあるからである。ルーティンをこなす事で、明日を見る活力が湧いてくることもある。

方法2 何でもいいから物を買うこと
買物は最も良い明日への希望の一つである。出来れば身に着けるものがいいし、財布などの小物でも良い。物を買うのは凄く考える事になるし、スマホを買い換える時などはその後の生活スタイルをも視野に入れた、大袈裟に言えば「ライフスタイルを決める」重要な決定であるから、明日が見えないなどと言ってはいられない。私もこないだからの財布選びにとうとう決着をつけ、念願の「艶々長財布」を購入した。全てのカード類も一つに収まって、言うことなしの万々歳である。今まで買った財布は5つ、思った通りに行かないがそれなりに楽しめた。上手くいっても行かなくても、明日につながるのだ。何となれば、理想の財布などこの世に存在しないのだから。というわけで買ってはすぐに飽きて新しいものに飛びつく、これが生きているという事なのである。だから、物には徹底的にこだわる事。こだわればこだわる程、楽しみも大きくなるし結果的に長生きにもつながる。但し、1万円以下のものに限定しよう、お金が無ければ明日を見る事すら出来なくなる。

方法3 口に何かを入れる事
食べても飲んでも何でもいいが、口に入れるというのは人間の生きる為の本能だから、これに勝るモチベーションは無い。朝昼晩と三回は無我夢中で食べることに専念出来て、明日の事など「てんで頭から吹き飛んで」しまう。美味しければ文句はないが、美味しくなくても問題ない。もっと美味いものを食べたいと思えば、それが明日を見ることになるからだ。これから食べるであろう食事の事を考えるだけで、人生は生きる価値がある。だがこの方法はリスクがとても大きい。食べすぎるのだ。諸悪の根源は、すべて食べ過ぎることにある。しかしリスクがあるという事はそのリスクをコントロールし、我慢したものだけにご褒美の美味しい食事を得ることが出来るという事でもある。苦しみがあればその分喜びも大きくなるというもの。何事も「今度こそ」というシチュエーションが大事なのではないだろうか、明日が見えない人にはそれが無い。つまり絶望である。人間食べられなくなったらおしまいだ。例え病で明日をも知れない状態になっても、食道や胃腸系の病気にはなりたく無い。チューブを差し込まれて栄養を送り込まなければ生きていられないなんて2、3日ならまだしも、ずーっとだなんて私にはとても耐えられそうにない。永井荷風なんか最後はカツ丼だったそうだが、その一事だけでも彼の人生は幸せだったと言える。私も最後はカツ丼にするかなぁ。

方法4 とにかく外に出ること
部屋に閉じこもっていると、どんどん悪い方に落ち込んでしまう。だから雨の日は、気持ちがさらに落ち込む条件にピッタリハマるのだ。「雨に唄えば」なんてのは、脳天気なアメリカ人にしか出来ない芸当なんである。落ち込んで明日が見えない時は、私は買い物に出かけることにしている。買うものはなんでもいいし結果買わなくてもいい、要は出かけることが大事である。出かけて歩いている内に気分も晴れて来て、見ていても楽しくなる若く美しい女性に出くわすこともあれば、見るも無残な痛すぎる(本人はオシャレなつもりだろうが)目立ちたがりの女性を遠くから見てやり過ごすこともある。「こんな風にはならないぞ」と自戒したり、つまり色々な事が次々と出て来て、明日の事なんか忘れられるのである。要は体を動かす事、私は落ち込んだ日などゴルフの練習に行くことにしている。無心になってボールを打ち続けていると色々と問題が出て来て、格好のモチベーションになるのである。ゴルフは一人で行っても充分面白いし、楽しめるので好都合だ。野球やサッカーは仲間が必要なので、落ち込んだ時には使えない。もちろん落ち込むような人にはそもそも無理なスポーツであるが、とにかく体を動かすことが「心の病には効く」のである。心と体は表裏一体の関係だ。どちらかが調子悪い時は、もう片方も具合が悪くなる。人間て不思議だ。

で、私はこのブログを書いているうちに、何となく脱出したみたいである。元々明日など無い私にとっては、何かのモチベーションがあるのと無いのでは「1日の充実度合がまるで違う」のだ。ヤマハレディースの三つ巴の優勝争いをテレビで見ていたら、「よーし、明日はゴルフ練習場に行って打ちまくるぞ!」という気分になって来た。これで今夜は「ダウンブローの完成を夢見て」ぐっすり眠れるはずである。67歳にもなった今は、過去は全部捨てて未来の事だけ考えて行くのがいい。死ぬ時は夢の途中、というのが私の理想である。







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