明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

引っ越しする前に考える事(6)まず京都と奈良、住むならどちらがいい?・・・徹底比較 ⑤ 歴史探索・・・その2 京都

2023-07-16 14:52:00 | 今日の話題

〇 京都の魅力

まず京都に住んであちこち歴史探索するとなれば、平安から応仁・戦国そして幕末まで、どこそこで誰がどうしたこうしたというエピソードには事欠かないだろう。京都には〇〇天皇の御時に〜云々に始まり、平家物語ゆかりの〇〇やら足利義満公の何々など、政治の中心と貴族文化の足跡が「50m歩くごとに」残されているから楽しめる。

だが京都市内の歴史遺物は殆どが応仁の乱で焼け落ちてしまい、残っているものは僅かしかないということは頭に入れて置かなければならないだろう。それでも京都は政治の中心都市として長い間その権威を保ち続け、明治になって天皇が宮家を引き連れて「貴族社会そのもの」がそっくり江戸に移ってしまった後も、西の京として隠然とした重要な地位を保っていた。それは平安遷都以来1200年に渡り年々増加する年貢と物資の流通に加えて、貴族社会の趣味趣向が生み出した文化芸能の発展と伝播が齎した「機能的集積」の結果である。

だから京都に住んで市中をぐるっと歩き回れば、昔から延々と続いている芸能・文化やグルメ・道具の「殆どの本家・本元」が、店を構えて商売しているのを目にするに違いない。京都は住んでいる人の「生活そのもの」が、歴史博物館の「生きている展示品」なのである。人々は京都という巨大な博物館の中にいて、そこで昔ながらの生活を演じている「役者」なのだ。そこには太古より変わらぬ山並と川と神社仏閣、それと昔ながらの通りに囲まれた建物・庭があり、江戸時代さながらの由緒正しい行儀作法を守り続ける人々の「往来」が、全国に唯一無二たる観光都市・京都の最大の魅力である。京都では、住んでいる人と外から観光で訪れる人とでは、全くと言っていい程感覚が違っている、と思う。つまり外からやって来た人は「見せて頂く」側の観光客であり、京都の住人は「見せてあげる」側の人の違いである。この違いは永遠に埋まらないと、私には感じられる。それほど京都に住んでいる人の「都人の格上意識」は、骨の髄まで染み付いている、と言わざるを得ないようだ。

その辺りを頭に入れて、もし私が京都に移住した場合、春夏秋冬訪れてみたい場所を列挙して見よう。

① 京の日常、京都御所をぶらり一周
京都に住むのであれば先ず京都御所を外しては生活が成り立たない。その昔貴族たちは日常的に御所に出かけて、なんやかやと仕事をしていた。要するに毎日会社に行くサラリーマンなのだ。別に京都に住んだからといって貴族と同じにする必要はないが、京都とはそういうところなのである。だから私は京都に移住するなら御所から歩いて行けるところに住みたいと思っている。と言っても、まともに御所近くにアパートやマンションなど借りようものなら「目ん玉が飛び出るような」家賃になるのが必定だ。で、ちょっと遠いが「九条あたり」はどうかな?と思っている(九条は割とリーズナブルだ)。まあ、御所に行ったからと言って格別なにかする事もないわけだから、当然「御所のベンチ」などに座って日がな一日ぼんやりするのが老人の決まりのように思うであろう。しかしそこが私の特殊な所で、御所の門、例えば「建礼門」とかを見たら平家物語で有名な平の徳子の事を調べる、と言った風に歴史を探索して「その時代に入り込み」その空気を吸い、その「当時の人々の想いを尋ねて」時間を過ごすのが趣味なのだ。勿論平安時代以前が私の専門分野なので、蛤御門とかの幕末のエピソードなんかには「目もくれない」のは当たり前である(応天門なら話は別であるが)。そしてひとしきり歩き回ったり地名や建物名その他の歴史を鑑賞しネットで調べたりしたら喫茶店に入って一休みし、それからまた「ぶらぶら」と通りの店をウィンドーショッピングしながら「何か新しい発見」がないかな?と探すのだ。これが京都に住んでから私がやりたい「日常」である。京都御所は位置から言うとやや北東にズレてはいるが大体は観光地のほぼ中心にある。しかしその割には余りごみごみしていないのが「地元の人間としては」居心地が良い点であろう。これはやはり移住した人間の一番のメリットである。

② 喫茶店で古都を味わう
特に出かける用事が無い時は家から15分程度の範囲の「お気に入りの喫茶店」に座っていつものようにコーヒーを飲み、平安文学や平家物語とか歴史にまつわる色々な本を読むのが楽しみである。これは何も京都に移住しなくても柏でも充分出来る事だが、何と言っても周囲の「環境」が全然違う。京都は周り中が歴史の塊なのだ。外に出て首をめぐらすだけで歴史が昔のままに息づいていると言っても過言ではない。そんな環境の中で読む歴史や古典の味わいは、他所では味わえない特別な物があると私は思う。まあ、少し長めの旅行でも同じような事は不可能ではないが多分、ほとんどの人にとって旅行に行ってまでわざわざ喫茶店で「蜻蛉日記」を読もうとは思わないだろう。前項でも書いたが、これは移住して「そこで生活してこそ」得られる喜びなんではないだろうか。元々私は喫茶店が大好きで、席に座って窓から外の景色や人通りを眺めるのが好きなのである。で、移住する目的はつまるところ、京都の「歴史的雰囲気」の中で喫茶店に入り、コーヒーを飲ながらボーっとしてみたい、である。歴史の勉強にちょっと疲れた時や何もすることが無い日は京都駅の2階にある喫茶店で、ヒューマンウォッチングなんてのも良いかも。そう言えば私が移住したいと思った裏には「根っからの引っ越し癖」があるのかも知れない。私には旅から旅への生活が性にあっている、そんな気がして来た。私にとっては歴史を読むことは時空を超えて当時の人間達の姿をじかに見る「時間旅行者」の楽しみであり、本当は「永遠の旅人」なのかも・・・。

③ 秋の小倉山と雪の渡月橋で和歌の真髄に触れる
観光地としての京都では、私は全山燃えるような秋の装いを纏った小倉山の紅葉が大好きである。勿論名所として名高いのは嵐山の方だ。その中腹に鎮座する大悲閣千光寺からの眺めは1200年の歴史を一望する絶景であろう。京都に行ったら一度は目にしたい観光名所だが、ほとんどの人は舗装道路を車でぐるっと上がって正面から参拝するのが通例だ。私は若かったし、そもそも正式ルートをしらなかったから裏手の崖から「山登り」して、直接観音堂の下にクマザサを掻き分けて上がって行ったのだった。当然、拝観料は「なし」である。崖下に滔々と流れる保津川と渡月橋は夏の暑い盛りで「ムワッ」と霞んで見えたが、本当の所は「崖登り」で朦朧としていたのかも知れない。今はちょっとした山道が整備されているようだが、私の行った80年代にはまだ樹木が生い茂ったままであった。まあそんなこんなで京都に何度か旅する時には必ずと言っていいほど嵐山を見に行ったものである。名臣の誉れ高い貞心公藤原忠平の名歌「小倉山 峰のもみじ葉 心あらば・・・」に謳われている小倉山は、嵐山の北岸にある標高296mの山を指す、とついこないだようやく分かったのだ(ちょっと迂闊すぎないかなぁ、まるで素人ですよ)。まあそう言うこともあるかと気にしていないのが問題ありなのだが、何れにしてもここ嵯峨野の一帯は貴族たちの遊び場であり、観光名所としても「人気が高い」場所である。私も折角京都に移住した暁には月に一度は嵯峨野に遊んで、紫式部の野々宮神社や平安時代の火葬場のあだし野念仏寺に平家物語の悲しい物語の祇王寺から二尊院・常寂光寺と続く名所を巡って、感興を新たにしてみたいものである。なお、外人に人気の「竹林の小道」は竹垣で囲ったりして「むちゃくちゃ観光ずれ」しているので、行きたいとも思わなくなってしまった。それより年の暮れから正月にかけて、雪のうっすらと積もった渡月橋が桂川に掛かる冬景色などはいつ見ても素晴らしく、「幻想的な美しさ」すら思わせる眺めだと言いたい。やはり京都は雪である。

④ 鹿ケ谷で歴史ドラマを堪能する
鹿ケ谷事件は平清盛が後白河院の権力を削ぐために仕組んだといわれる一大陰謀事件である。哲学の小道の中ほどから小高い山の方へ登っていくあたりが鹿ケ谷と呼ばれていて、まさに世間を揺るがす「大事件の現場」がそこにあった。私は戦国時代の城や合戦には全く興味がなく、幕末の新選組の「大立ち回り」などにもまるで興味が無い人間である。ところが平安時代のこういう陰湿な策謀を巡らした謀反がらみの事件には「目が無い」のだ。それも時代が遡ればさかのぼるほど興味の度合いが増して来る。例えば「乙巳の変」の記録には中大兄皇子が飛鳥板葺の宮の十二の御門を閉じさせて、誰も中に入れないように衛士に命じた、といかにも臨場感ある記述があるが、私が実際に行って「板葺の宮の跡」を訪ねて見た感じでは十二どころか二つでも正直作る必要がない位「小さな家」でしかなかった。まさか歴史的大事件である乙巳の変の「入鹿殺害現場」である板葺の宮の記述を、正史である日本書紀が間違える筈はない。考えられるのは乙巳の変は「実際はもっと別の場所・別の時期」に行われたクーデター事件であり、645年の飛鳥で起きた「蘇我氏滅亡」という大事件を描くのに「都合よく」流用した、ということである。藤原鎌足(当時中臣と言っていた)と中大兄皇子の大活躍で見事蘇我氏を倒したことになっているが、よく考えてみると二人共「大した働き」はしていない。私はどちらかと言うとこの乙巳の変に「流用された別の事件」の方に興味がある。・・・とまあ、とにかく陰謀事件ほど面白くて「歴史の真実」を解きあかす謎解きの醍醐味を味合わせてくれる物を他に私は知らないのだ。本当はどうだったんだろう?と。京都はこういう歴史の闇には事欠かない(乙巳の変は奈良だけど、まあいいじゃないか細かい事はサラっと流そう)。他にも菅原道真の左遷と落雷とか鳥羽院と崇徳天皇の確執など、宮廷は陰謀が渦巻き、怨霊が跋扈してまるで「百鬼夜行」の無法状態だった。しかしそれが「平安の貴族社会」の面白さであり、まさに「京都の魅力」そのものでもある。

⑤ 八坂神社の裏の方をあちこちブラタモリ
一度久しぶりに京都観光をして「高瀬川沿い」をずっと南に下って行ったことがあった(実際は坂道を登っていくのだが)。詳しいことは覚えていないが確か豊国神社の辺りをうろうろしていて、途中えらく崖になっていて「急な階段」を下りて歩いたことがあった。この辺はタモリの名物番組でおなじみの「地形が平らじゃない」典型みたいになっていて、探検っぽくって面白い。近くには三十三間堂や智積院や茶屋町などもあって一応は観光ルートなのだが、こういう「地元の人しか通らない」ような、観光バスも素通りしてしまうような「細い道」というのが、実は私の「大のお気に入り」なのである。ここから八坂神社の裏手(実は正門)に掛けてのエリアは言わば観光ルートからちょっと外れたところで、京都探題の跡地などを探してみると「歴史探検的」には格段に面白い。この辺には冥界への入り口があって参議の小野篁が夜な夜な閻魔様に会いに行っていたという「六道珍皇寺」があって、おどろおどろしい京都の「魔界伝説の宝庫」になっているのだ。勿論、夜中には東側の埋葬地「鳥辺野」あたりに今でも「人魂」が飛ぶとの都市伝説があるようで、ちょっと怖い(知らんけど)。また近くには南無阿弥陀仏の六体の像を口から吐き出す空也上人で有名な「六波羅蜜寺」があり、この辺りに「平清盛」が邸を構えて一門隆盛の日々を謳歌していたという話もあって、平安後期の政治の混乱をつぶさに実感することが出来る場所である。清盛も調べれば調べるほど人間の欲望の縮図を体現した男とも言えて、その華々しい一生は時代を速足で駆け抜けた「一代の寵児」と言っても過言ではない。少なくとも私は好きである。こういう歴史の数々のエピソードが今も土地や建物の記憶と密接につながっていて、好きな時に「尋ねる」ことが出来る、というのが私の好きな京都なのである。

⑥ ちょっとした所に思いもかけない歴史がひっそりと残っている
以前、西大路を北に歩いていて大通りからちょっと入った所に「紫式部の墓」を見つけたことがあった。まあ、紫式部の墓と言えば当然「一大観光名所」になっても一向におかしくないわけで、それがこんな奥まったところに「ひっそり」と誰一人弔うものもなく残っているというのも「不思議」である。もし本当なら世の「源氏物語ファン」の巡礼の場所として、連日観光バスが列をなして並んでいる筈なのに、そんな光景は全くなかった。というわけでこれは私の記憶違い、「ガセ」だったと決着した訳だが、では誰の墓だったのか?。もう一度訪ねてしっかり確認しなくては死んでも死にきれない、というのは大袈裟だが、今一度「行って確かめたい」というのは本当である。今度はしっかり写真を撮れるだろうから、間違いない。確か私の知っている歴史上の名前を刻んだ墓がもう一つあったように記憶しているが、それもはっきりするだろう。こういった観光名所にもなっていない歴史の遺物が、実はあちこちにまだ沢山埋もれて居るのである。というか、埋もれてはいないが宣伝もしていないので、「あまり知られていない」というのが実態だろう。多分、市役所の観光課にでも行けば懇切丁寧に教えてくれるんじゃないだろうか?、知らんけど・・・。私は移住したら市中をくまなく歩き回り、個人宅の庭や軒先の陰に隠れた遺跡までを全部細かく調べ上げて、京都「裏観光マップ」みたいなものを書いてみたいと思っている。こういう楽しみも移住ならでは出来ることではないだろうか。

⑦ 清水坂で掘り出しの焼物を見っけ~
清水寺は京都屈指の観光名所である。参道を歩くとまるで原宿みたいに「雑踏のるつぼ」に放り込まれた心地がして、京都の「大人びた風情」というものはどこに行ってしまったのかと怪しむこと日常茶飯事だ。しかしこれは驚くに値しない。京都の観光地は今や人混みの中を掻き分けて、何とか前に進まなければ永久に目的の場所に辿り着けない「養鶏場のエサ箱」みたいになっているのである。世も末だ・・・。が、私は「神社仏閣」や仏像などには全く興味がないので、こういう「観光地獄」にはトンと出会わなくて嬉しい限りである。で、清水に行く時には寺には行かず、参道に立ち並ぶ焼物屋を物色して、何か安くて品が良い「酒器」を探す事にしている。お好みは「盃」だ。随分前に京都に行ったとき、とある店で「5万円の盃」を買ったことがある。高いなと思ったがどうしても欲しくなり、翌日もう一度見に行ってとうとう買ってしまった。今思えば大したものじゃないただの器なのだがその時は舞い上がっていて、有り金はたいて購入した思い出がある。それにしても30歳当時の5万円というのは相当な金額である。それでも京都という「ブランド」に惑わされて、役にも立たない盃なんぞに大金を注ぎ込んだわけだ。それからしばらくはその盃で酒を飲んでは「やっぱ美味い」などと悦に入っていたのだが、その盃は残念ながら何度目かの引っ越しの時に割ってしまった。また別の時、浅草の陶器市で「万暦赤絵」の盃を買ったことがあった。勿論、万暦赤絵というのは私が勝手にそう思っただけで、そんじょそこらの浅草くんだりの陶器市などで売っている代物ではない。しかし私は、焼物の知識は無いが何故か品物の名前だけは知っていた「生かじりの焼物ファン」だったので、その真っ赤な土色に飛びついたわけである。これが万暦の赤絵だ!、と。まあ、知ってる人にしてみれば「何言ってんの?」という話なのだが、とにかく大振りで豪快な感じも気に入ってた私は先ほどの5万円のと合わせて「飲み比べ」をしたりして、しばらくは焼物に熱をあげていたのだ。その頃仕事で九州長崎に1月ほど出張した折にも一日休みを取って、電車にのって有田にある「九州陶磁博物館」などに行くほどの焼物好きであった。そのあと柿右衛門の窯元まで展示品を見に行った時には、何れこういう名品を「一つくらい」は持ちたいと思ったものである。翻って京都と言えば、京焼・清水焼が有名だ。私も仁清風の盃など買ってみたいな、というのが夢である。もち、本物でなくて結構。仁清風の「華麗で優雅な焼物」であれば満足だ。もし京都に移住したら、是非とも自分へのご褒美に一つ買って「我が家の家宝」にするのも一興である。

⑧ 人並みに観光名所を巡るのもいい
折角京都に移住したからには、友達の前で恥を掻かないくらいには「名所旧跡」を知っていないと恥ずかしい。それに観光都市である京都はお客さんがどんどん来てくれればくれるほど「お金が儲かる」仕組みになっているので、市を挙げて観光に力を入れているのは移住者にとっても「当然協力すべき」ことなのだ。ところでちょっと思い出したが、以前に「京都市役所」が内部の装飾に「億単位」のお金を掛けて、市民から「バカの無駄使い」と糾弾されていたっけ。歴史的価値の全くない市庁舎などにいくらお金を掛けても人は集まらないって、市長ともあろうものが分からなかったのかねぇ。要するに世間でもてはやされている「京都観光の魅力」が全然分かってなかったようだ。人々は昔の京都の「お公家文化と日本らしい幽玄な雰囲気」が好きなのである。人々はそれに対してお金を払って見に来るわけだ。それを市庁舎なんぞに金かけやがって・・・と叩かれたのである。当然だろう。少なくとも京都観光のツアーに入っているような名所でなければ、遠く北海道から九州・沖縄はおろか「世界中から」人々が見に来る「筈がない」のである。逆に言えば、京都の名所は「住んでいる者は熟知している必要」がある、と言う訳だ。例え移住したてのお上りさんであっても「知らなかった」では済まされない。名前と場所、それに「名物」位は覚えておくのが京都に移住した者の「最低限の礼儀」であろう。京都は市全体が「歴史博物館」であるから、住民は最低でも「学芸員」程度の知識は持っていないと馬鹿にされる。そこで年に5、6か所ずつは名所というお寺や神社や旧跡を巡って勉強することになろうか。シンドイけどこれも移住者の勤めと諦めなければいけない。特に他所から来た観光客にはお寺や仏像はもとより、何より「庭」に造詣が深くないと「通」っぽくなくて、一向に脅しが効かない。出来れば「なるほどねぇ~」と感嘆符つきで感心されれば言う事なしである。まあこれは移住したての2、3年の間には、一通り済ましておきたい。但し、鈴虫寺で鈴虫の鳴き声を聴く・・・なんて「無意味なこと」はしなくてもいいか、と思っている。

⑨ 北野天満宮の梅祭りと京の年中行事を楽しむ
京都と言えば年中行事が目白押しで、見て回るだけでも1年があっという間に過ぎてしまう程である。春夏秋冬それぞれに祭りがあって、どこそこで例大祭が・・・とか、あちらでは月並祭がとか、枚挙に暇がない。祭りに合わせて旅行するのも悪くは無いが出来れば大文字焼きなどは「自宅の二階」から、浴衣がけで「うちわ」なぞあおぎつつ眺めて楽しむに限るのではないか?。真っ暗な闇の中に「大の文字」があかあかと燃え上がるのを眺めて、近所の居酒屋なぞで乾杯のジョッキを挙げるのもこれまた粋である。また季節ごとに大きな催しがあるのが京都の魅力でもあり、春まだ早い2月から3月下旬に北野の天神さんで行われる梅苑「花の庭」は梅の香りが辺り一杯に漂って、気分も浮き立ち「最高!」という評判である。当然「ウメッシュ!」で乾杯と行きたいところだがそこは人それぞれ、私は目下とても気に入っている「白鶴まる」で一年の無病息災を願い、グイっと一気に飲み干して「乾杯!」と行きたい。とくに移住していいなと思うところは「あれっ、こんな催しあったんだ!」と見つけたらすぐに「自宅から出かける」ことが出来ることである。これが柏からだと前々から計画して新幹線に乗り、ホテルやら何やらを予約して早足で目的地を巡り食事をして後ろ髪を引かれながら、また新幹線で帰京しなくてはならない。何か「慌ただしい」のだ。やっぱり時間を気にせず思いっきり京都を満喫したいではないか。まあそれでも10年もしたら飽きて来ることもあろうかと思う。その頃にはまた東京に戻って来てもいいし、あるいは寿命が尽きて「オサラバ」するかも知れない。何れにしても、体力があって「歩ける間が華」である。そう考えると移住も早くしないと・・・。

⑩ アパートが観光名所?
ホテルじゃなくて「自分の家(勿論アパート)」が京都という大観光地の、例え片隅であれ、その中に位置しているというのは自慢である。朝目が覚めて窓のカーテンをサッと開いたら「もう観光地」なのだ。これって凄くない?。この感覚は東京でも味わうことが出来ない気分なのだ。東京は何かを「味わおう」とする客と、それを有料で「提供する店」が極端に密集する世界有数の都市である。唯一、江戸という都市自体の歴史が「浅い」ために「ロクなエピソード」が残っていないところが欠点だ。あるとすれば忠臣蔵と桜田門で殺された井伊直弼、それに振袖火事の名でも知られる「明暦の大火」ぐらいでしょうか。火事と喧嘩は江戸の華!なんてことを言ったりする、あの「火事」です。淋しいもんじゃあ、あーりませんかぁ?、それに比べて京都は・・・「言わずもがな」であります。まあ、比較するのが「アホちゃう?」ってことで、小学六年生の時から60有余年東京に住んで、その間歴史に感動した思い出は「ただの一度も」無かった、と断言出来るレベルだ。そんな私が歴史の宝庫の真っ只中に居を構える日が来るなんて、と思ってしまう。細かい所は行ってみないと分からないが、少なくとも「観光する場所」に困ることは当分(というか20年位は)無いだろうことは先ず保証出来ると思う。京都、魅力が満載の都市には違いない。

以上、ざっとこんな感じである。もちろん京都は現在も進化し続ける大都市であるから、住んでいて普段の買い物に出歩く時にも「新たな発見」があるのは間違いはない。その辺の奥深さが千葉の柏辺りの田舎とは全然違うところである(柏の皆さん、ごめんなさい。だが事実なのよねぇ)。これはあくまで「歴史という視点」から両方の土地柄を比較したのであって、特にそれ以外に深い意味はないと言い訳しておこう。が、それにしても・・・、である!

ああ、又しても移住する意欲が湧いて来た!。柏も良いところには違いないが、それでも京都・奈良と比べてはいけませんよね?

・・・・・・・・・・・

次回は奈良編です、こう御期待!



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