明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

健康になるために気を付けること(2)音読が脳を活性化させる?

2023-07-15 20:49:00 | 生命・健康・医療

1、正しい歩き方

私は脳梗塞を発症して以来、右側の片麻痺の後遺症から「歩き方」がイマイチ分からなくて困っていた。普通の人には理解できないだろうが私は歩いていてどうも右足が「左足より短い」んじゃないか、という変な感覚に悩まされているのである。それで色々と足を出すタイミングとか上体の傾け方とかまたは着地する位置など、色々と考えて工夫して歩いているのだが未だに「これだ!」という歩き方には至っていない。これだ!と言うのがどんな歩き方かは説明しずらいが、要するに「何も考えずにスタスタと歩けて、何の違和感も無い状態」がそれである。昔は歩くのに「努力」などはいらなかった。今は一歩一歩「どういう歩き方が正しい歩き方」なのか、考えないで歩くことは「先ず無い」のである。

こないだネットに出ていた記事に驚いたのだが、歩き方にも「正しい歩き方」と間違った歩き方の両方があるらしい。どう違うかと言うと、1つは「踵から着地」する方法であり、もう一つは「爪先から着地」する。だそうだ。で、どちらが正しいかと言うと、実は私は勘違いしていたのだが、何と「爪先」から着地する方であった。ウッソ〜!

私は長いこと踵から着地してそれが正しい歩き方だと信じて疑わなかった人間であるが、今日ネットでその間違いが「根底から」覆された訳だ。これには実は伏線があって、以前からリハビリを続けている右足の動きがちょっと良くなり、麻痺が殆ど消えて「空中に飛び上がる」ことが出来るようになったのである!(それでもまだ数cmか浮くだけなのだが)。

私はこの足の麻痺に関して最近気が付いたことがあって、よくテレビで見る奈良公園にいる鹿の「後ろ足」をよくよく観察すると、皆んな「爪先立ち」で歩いているってことなんである(皆さんは当然「常識じゃん」と思っているでしょうが、私は最近気が付いたのである。何と間抜けなのか!)。人間で言う「踵」は殆ど使ってなくて、長い脚の中間部分の「出っ張った箇所」がそれである(これは私の個人的な考えなので、正確な知識はネットで調べて下さい)。つまり踵は地面から高い位置で完全に浮いており、朝から晩まで地面を蹴っているのは実は「爪先」なのだ。自然界の摂理として「人でも動物でも」すべて歩行する生き物は歩く時地面に着くのは「爪先」の筈である。

そう考えてここ2、3週間程「爪先立ち」で歩く練習をしていたら、いままで出来なかった「爪先立ち」が自然と出来るようになっていたのである!、やったぁ〜!

まあ爪先立ちが正しいかどうかは別として、これが「アキレス腱と脹ら脛の強化」にはつながったものと思われる。それに爪先立ちで歩いていると姿勢が良くなり、腰や背中が「シャンっ」となって背筋が伸びたのである(ちょっとオーバーかも)。

とにかく爪先立ちで歩くと「坂道を登って」も余り疲れなくなった(健常者には「坂道という程」の坂には入らないだろうが)。いままで踵から着地して歩いていた時には、長く歩いていると腰や上半身まで疲れが伝わって来て、途中でちょっと休まないとダメだったのが「爪先」で歩くようになってからは疲労が足だけに限定されて、太腿より上には「上がってこなくなった」のである。多分、疲労物質の除去とか回復が足を使う事によって「足の内部で循環」出来て、それを腰や上半身で処理することが必要なくなったせいかな?、と勝手に考えている。それに歩幅が広くなり歩くのも「速くなった」のだ!。

歩幅が広くなると「健康寿命」がそれだけ伸びると言う。それにスピードが加わると、更に若々しくなるのである。最近は街歩きをしても、それほど流れに置いて行かれる感じはしなくなった。少し寿命が延びたかも知れないと思うと、何だか嬉しい!。それに一番の鬼門である「下り階段」が、ちょっぴり速くなったのである!。今までは転落の恐怖で「手すり」から手を離すことが出来なかった。勿論手すりは今でも手を掛けていつでも掴める状態で下りてはいるのだが、それでも「イッチ、ニィ、イッチ、ニィ、」のリズムまで速度が上がったのである。これは私にしてみれば「画期的なこと」だったのだ。それに今まで感じていた階段に対する「恐怖感」が、ちょっと薄らいで来たのも嬉しい。

私はリハビリは一生続くものだと思っている。どこまで回復するか分からないが「回復している」という感覚がある間は、多分やり続けられるだろうなぁ、とボンヤリ思って日々過ごしている。いつか歩いている自覚がなく「あれっ、俺歩いているじゃん!」って瞬間が来るんじゃないか?、というのが私の夢である。

2、音読と滑舌

脳梗塞の後遺症で私は「飲み込み」が悪くなった。いわゆる嚥下障害である。だいぶ改善されたがそれでもまだ色々と不都合が出てきている。例えば「レモンサワー」がどうしても「むせてしまい」飲むことが出来ないのだ。それで飲むときはハイボールかお茶割またはシークヮーサーを飲んでいる。それと降圧剤を服用しているので「グレープフルーツ」も絶対ダメなのである(これ知らない人が多いと思うが、私は病気になって知った)。勿論、何か飲むときには「むせないように注意して」タイミングを調整して飲むのが日常になった。こう考えると昔は何でも「考えず」にやってたなぁ、と思う。

そんな後遺症の中でも「構音障害」というのが一番厄介である。つまり「言葉がしゃべれない」のである。最初は全然しゃべれなかったが、1か月ぐらいしたら急に名前が言えるようになった。それから1週間ほどの間は段々と言葉が言えるようになって、一ヵ月ほどした頃にはなんとか他人に通じるぐらいには回復していた。勿論発音はなかなか聞き取れなくて、何度も聞き返されてようやく通じるという状態ではあったが、「何とか喋れる」ようになったのである。だがそれから回復の速度がガクッと落ちた。何故かと言うと「しゃべらない」からである。

私は一人暮らしで年金暮らしなので放っておくと「殆どしゃべらない」日がずーっと続く。1週間のうち言葉を口に出すのが2、3回というのはザラである。これが家庭を持っているとどんなに会話が無いと言っても何だかんだと会話はする。当然、会話をすることで「しゃべる」能力がどんどん改善されるのだ。私はしゃべれないけれど治らない障害だとは思っていない。だが努力して普通に会話できるようになろうと一生懸命になる、と言う訳ではなかった。で、脳梗塞になってから9年もたつというのに、未だに「アウアウ状態」なのである(ちょっと盛った)。

ここで本題の「音読」の話になる。会話は相手が必要だが、用も無いのに話し相手になってもらうのはいくら友達でも難しいと思う。それで本を「音読する」のだ。本を読むというのは目で追えば済むわけで、わざわざ口に出すというのは「無駄以外の何物でもない」と私は思っていた。それが音読をすると「脳が活性化」されて、高齢者の一番恐れている「認知症予防」に抜群の効果があるというのだ。これって凄くない?

というわけで本を毎日一定量「音読する」ことにしようと思う。私の家はアパートなので、部屋で音読するのは無理である。それで屋外でどこか適当な場所で本を持って行って「1時間ほど」音読することにした。とりあえず場所探しから始めることにする。まあ、世の中にはブツブツ独り言をいって「不審がられる老人」が多いそうだから、そうならないように場所選びには気をつけたい。これで私の滑舌が改善されて、友人との会話も楽しめるようになったりして・・・。

まあ発音の方は多少良くなると思うけど、何より「読んだことがしっかり頭に入る」というのが私にとっては一番の効果だと思っている。これでまた一歩「読書量が増え」たら万々歳なんだが、何かリハビリも「副次的な効果」が期待できると楽しくなってくる。これから1週間で1冊、気合を入れて読むぞーっ!



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