明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

人生終ってみればすべて暇つぶし(9)いよいよ終活の時がやってきた

2023-05-21 16:19:02 | 今日の話題

私は最近になって人生の最後には、「好きな事だけ」やって終わりたいと思うようになった。私もそろそろ73歳、いつお迎えが来てもおかしくない時である。いままで自分の死期を考えた事は殆どなかったが、ようやくその時をリアルに想像できる年になったと言う訳だ。勿論まだ大分遠い先の事と思ってはいるが、ここ3年程はコロナもあって殆ど何もしていないと気が付いた。今年だって既に5月も半ばを過ぎている。時間の経つのは昔も今も同じペースの筈だが、感じ方は当然「速く」なっている。これは、一日の密度が昔はやる事が一杯あって「濃かった」のに比べ、年取ると一日中ボーっと過ごしているせいか「水みたいに薄く」あっと言う間に夜が来てしまう、という事に尽きる。私も遅ればせながら、これではいけないと最近ようやく思い始めて来た。それで私なりの「これからの人生」をプログラムしてみようと思う。何より時間が無いので「やりたい事・好きな事だけ」にターゲットを絞り、それ以外の事を一切やめるのが大事だと思う(最低限の生活についてはしぶしぶだがやる事にした)。

①  自然の中に生きる
好きな事だけをやると言っても、まず健康でなければ人生を楽しめないのは道理である。日課として一日一度は外に出たい。自転車に乗って街並みや田園風景を散歩しがてら、頬に感じる風や花々の香を満喫した後はお気に入りの「喫茶店」でコーヒーを飲む。これは外出することで自然の中に身を置き、四季の移り変わりを楽しむのが目的である。毎日家に閉じこもっていると見ている景色が「狭くて一向に変わらない」ので、結果として「時の経つ」のが分からなっていつのまにか10年が経っている、ということになるのだ。春は梅にウグイスの可憐な歌を味わい、夏は近くの山に登って抜けるような青空に爽やかな風を受け、秋は川面に映る紅葉の錦を堪能しつつ辺りを散策。冬は大晦日から正月にかけて人々の賑わいを我が事のように寿ぐ。こうして一年を多種多様なイベントで埋め尽くすように生活してゆけば、「時が経つのは速いねぇ」などという言葉は無用になる(と思う)。おまけに地元のお祭りや神社仏閣の例大祭などが豊富にあればいう事は無いだろう。

② 運動
自転車も運動にはなると思うが、やはり直接的に身体を鍛えるには「ゴルフの練習」が一番いい。ゴルフ場でラウンドするのは仲間を集めるのも大変だし、天気にも左右されて中々シンドイのだ。そこで250ヤード位のゴルフレンジでとにかく「ドライバーを振り回す」のが運動には丁度いいのである。運動は目標が無いと中々続かない。その点ゴルフは「飛ばす」ことで筋力も鍛えられ、特に身体の柔軟性を維持するのに有効だから老人には最適である。バッティングセンターなども運動には良さそうだが、ゴルフの方が「相手の事を考えなくていい」ので良いと思う。ラウンドより練習が良い理由はただ「気楽に健康維持が出来る」というだけであろう。本当にゴルフというスポーツが好きな人には、練習だけというのは面白くないかも。まあ、私だけの趣味として「ゴルフスイングを極める」というのを人生目標の一つにしている。

③ 音楽と絵画に囲まれた日常
私はもともと子供の頃にバイオリンとピアノを習っていたが、才能が無かったのか小学校でやめてしまった。その後殆ど音楽には縁がなかったが高校に入るころにベンチャーズにのめり込んで、クラスの仲間とバンドを組むほどに熱中する。まあこれも才能がなかったので途中でやめて、普通に受験勉強をして大学に入った。そして大学生の部活で「オーケストラ」を選び、先生についてビオラをレッスン。同時にクラシックに目覚めて、独学でピアノを練習したのが音楽との付き合いの始まりである。それから65で脳梗塞を発症し、右半身を麻痺するまで40年間ピアノを弾くのを趣味としていたので、クラシックは一応「良さが分かるレベル」だと自認している。しかし、人生の終わりに当たって残り少ない時間の中で「これだけは聞いておきたい」という音楽は、実はクラシックからポピュラーまでジャンルを超えて「多種多彩」である。例えばクラシックで言うと

a.好きな作曲家・・・モーツァルト、ショパン、バッハの三人
b.それ以外で好きな曲・・・ブラームスのバイオリン協奏曲とピアノ協奏曲、シューベルト・リスト・その他のピアノ曲、等々。出来れば月1位で上野の文化会館などに出かけて行って、若手の「ピアノのリサイタル」などを楽しみたい。

とにかくこれらをランダムに聴く。ポピュラーなら今は「60年代のヒット曲」にハマっていて、Spotify から適当にプレイリストを選んでBGMとして流している。特にプレスリーのスローバラードとかレイチャールスなどがお勧めだ。私は今、巷で流行っているような流行歌は全く聴かないようにしている。まあ、オールディーズ・ファンになってしまったが、それで十分だと思っている。音楽みたいに「感性がすべて」のものはその人個人の好みに任せて楽しめばいい、という考えだ。新しい流行についていけない人と揶揄されるのが嫌で無理に新しいものを聴く必要はサラサラない。特に老人は60年70年代の曲を「好んで聴く」べきだろう。流行当時から50年も経つと楽曲の評価もそれなりに定まって来て、良い曲とただの流行りの曲とが「誰の耳にも」はっきり分かれて来る。その「良い曲」の方だけを存分に楽しめば、自分の若い時の素晴らしい濃密な時間に束の間でも戻る事が出来ると言うものである。ちなみに私の今のお気に入りは、カーペンターズである(王道じゃないの!)

なお、 絵画・美術・工芸品の鑑賞なども月1位は上野あたりの美術館に出かけて行って「美しい物」に触れる機会を絶やさないようにしたい。これは外出にもなって身体と心の健康に役立つ。

④ 読書三昧
最後に、何はなくとも「読書」である。読書は私にとって子供のころからの「心の友人」と言っても過言ではない。とくに古代史は晩年になって私の「ライフワーク」と思うようになった。歴史の勉強というと何年に何があって・・・と、ひたすら年号を丸暗記するのがセオリーのように考えている人が世の中には大勢いるが「とんでもない間違い」である。歴史とは今生きている現代と違う別の時代の出来事を「他人の目で眺め、生きてみる」ことに他ならない。つまり平安時代を「藤原道長になったつもりで」体験するのである。そうすれば昔の事件などもまるで「目の前で起こっているかのような」新鮮な驚きで捉えられる。例えば壬申の乱などもそういう風にドラマ化して想像することが、歴史の理解にとっては重要な事なのである。私は小学校の頃に「大化の改新」という陰惨な大事件を子供心に習って以来、すっかり古代史にハマってしまって今に至っている。そして古代史を探求すればするほど、歴史の謎は深まって来るのだ(だから面白い!)。今は九州王朝から「倭の五王」に興味の中心が移ってきて、例えば370年から530年の頃までの「倭国と朝鮮半島における権力の盛衰」にターゲットを定めるに至った。いわゆる魏晋南北朝、つまり漢が崩壊して隋が中華統一するまでの「激動と文化爛熟の時代」である。私は人生「最後のテーマ」として、これに辿り着いた。

よって、このテーマに関係の無い「平安・鎌倉・室町・戦国・幕末・太平洋戦争」については、徹頭徹尾「完全無視」である。勿論外国の出来事例えばテンプル騎士団なども興味はあるのだが、研究対象として取り上げるのは「残念ながら諦めた」のである。結局研究するだけの時間が残されていない訳だから、今は私にとっては「歴史という範疇」に入らないと思って断念した。これらをすべて「スッパリと切り捨てる」事で、中国「魏晋南北朝」に集中出来る。もし幸運にも南北朝を極めて倭国との関係を当時の人物の立場に立って俯瞰することが出来たとするならば・・・、まあそういう新事実の発見は期待できそうも無いだろうから、私にとっては「永遠の謎」のままお迎えが来ることも十二分に有りうる。取り敢えずはその日が来るまで、大好きな「歴史の探求」を続けて行きたいと思っている。取り敢えず毎日10頁でも本を読む事。それ以外の本は読むのを諦める事である。それを続けて行けば、最後には何とか思ったような知識が得られるのではないか?

以上だ。で、上に書いた「好きな事」をやるためにそれ以外の事はすべて全部「無関心」に放っておくことに決めたのである。つまり、家は8帖一間のアパートにし、ファッションに関してはここ3、4年下着以外は何も買ってない。勿論流行なども無頓着で全然頭にも入ってなくて、このまま一生「破れない限り」は同じものを着続けるつもりである。また、グルメも興味なくて美味しいものを食べたいという気持ちも最近はなくなった。食べる物は健康に良いというものに限定し、お酒も夕食時にビール一杯だけ飲んでいる。まあ「衣食住」に全然気を使わなくなると、お金って黙っていても貯まるもんですね(感じ悪っ!)。旅行などもあちこち行くのは楽しいものだが、私は京都や奈良に旅行するよりも「旅行先に逆に引っ越す」事で済ませようと考えている。この方が安上がりだし、今真剣に奈良に住もうと考えている。アパートに住んでいるから、引っ越しは自由自在だ。問題は奈良にするか京都にするか、である。いやー、気楽なもんです。

そんなこんなで今、私は年金だけで生活してるが、使っているのは光熱費以外には「食費とケーブルテレビとゴルフパートナーだけ」である。だから全然減らない。もしお金が苦しくなったらテレビとゴルフを諦めて、「食費だけ」にすれば何とかなるだろう。ということで、お金については全く心配はしていない。心配なのは唯一「気力と体力」である。最近調子の良い日と悪い日がはっきりしてきた。出来たら後10年位は、どこも悪くなく「元気に」生活したいものである。

元気でいれば何でも出来る!・・・これ、草笛光子がコマーシャルの中で言っている言葉だが、実に深い言葉である。とにかく夢は「魏晋南北朝時代」に生きる!、だ。人間は好きな事をやる権利がある!



最新の画像もっと見る

コメントを投稿