明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

言ってみただけ(63)母親の息子・娘自慢は愛の証?

2024-05-16 22:13:00 | 今日の話題

1、我が子自慢は微笑ましいかも

人類が生まれた何十万年も以前の昔から、女性の我が子自慢はあったと思う。例えば他人の子を比較して、Aさんちの子よりBさんちの子の方が「美人だよね」と誉める人がいれば、いいやCさんとこの子の方が断然「頭がいいよ」と目を細める人もいて、他人の子を批評するだけで盛り上がる訳だ。しかもこれが「自分の子の自慢合戦」となる場合もおうおうにしてあるからややこしい。

私は女性が集まってガヤガヤ話しに花が咲いている時、自分の子育てエピソードを話しているようで実は「それぞれの自慢大会」になっているのを想像し、思わず苦が笑いしてしまう。これって女性特有の粘着質なドロドロの女の戦いなんだろうか?(これ、ジェンダー差別でプチ炎上しそう・・・)

しかしよく見てみるとむしろ女性が我が子自慢をている精神状態というのは、「自分の身体の中に脈々と流れる大自然の神秘の摂理を、誇らしげに実感している」状態なんじゃないか?、と私は考えたい。人類というかけがえの無い種を何万年も連綿と支え続けて来た女性達のたゆまぬ努力が、我が子という健康な個体となって今「自分に笑顔を振りまいて」くれている、そういう喜びのつたない表現が「我が子自慢」の素直な実態なのである。なんて素晴らしい命の連鎖だろうか!

我々男性は彼女等がワイワイお互いの子供を褒め合っている風景を見て、それを親バカと蔑むのではなくてむしろ「貴い愛情の表現」と捉えることこそ、社会に幸せを齎してくれる秘訣だと思います。「子供自慢は親の常」ですね。

2、恋の悩み

私は元来物事に執着しない性質で落ち込むことがあってもだいたいすぐに立ち直り、どんな嫌な事も時が経てばすっかり忘れるのが常だったように思う。若い頃、見合いした相手のことを好きになった事があったが相手の母親が私の借家住まいを理由にダメ出しして、結局その縁談はポシャッた事があった。その時は柄にもなく女性の事を諦められず夜中に家の辺りをうろついたり通勤途上に駅の改札で待ち伏せたりと、今で言えば「ストーカーすれすれ」の事までやったりしたものである(相当入れ込んでいたと今にしては思う)。ところが年取ってこの悶々とした「好きなのに一向に振り向いてくれない問題」に、一気にケリをつけるアイディアが私の貧弱な頭にも浮かんだ、という訳だ。それは何かと言うと

相手にも「選ぶ権利がある」、だった。

これである。こんなにも愛しているのになぜ彼女は分かってくれないのか?と夜も眠れず悩み続けていたのに、この言葉を自分の心に諄々と言い聞かせたら「一瞬にして」気が付いたのである。彼女の求めるタイプは「私じゃなかった!」と・・・。

実にシンプルだがはっきりと「答えは出た」のである。恋は理屈じゃないんです。そうなのだ、世界は理不尽なパトスに溢れている(やめてー!)。愛されてしかるべき私がてんで相手にされて無いことだってこの世の中では「普通に」あるんだから、愚痴を言うのなんかサッサとやめて「次行こう、次ッ!」である。

この魔法のワードを覚えてからは、振られて悩むことは一切無くなった。弱冠46歳の秋の事である(そんな当たり前のこと、それまで気が付かなかったんかい!!)。まあ、ストーカーするような男には通用しないとは思うけど・・・

3、他人に自分の意見を理解してもらうことの難しさ

今朝の「森本哲郎・スタンバイ!」を寝床でうつらうつらしながら聞いていたら、リスナーのメール紹介コーナーで「マイナンバーカードを戸籍のデジタル化から始めよ!」という意見が読まれて私は「おおっ!」と布団から思わず飛び起きた。マイナンバーカードの使い道については今までもあれこれ意見が多く出されているが、戸籍のデジタル化を指摘したものは私の知る限り初めてである。この意見は私が以前から主張している事とピッタリ同じであり、こういう「素晴らしい意見」の人もいるんだな、と感動した。世の中まだまだ捨てたもんじゃないのである。ところがキャスターの森本哲郎は「何とノーリアクションでスルー」して、サッサと次のメールを読み始めたではないか!

おいちょっと待てよ!、今もの凄く大切な事を言ってただろうが!!

と、矢も盾もたまらず布団に仁王立ちになって両の拳を震わせながら抗議した!。勿論ラジオだから私の声は、残念だが彼には届かなかったのである(隣の住人には当然モロうるさく聴こえていたと思う・・・迷惑な話です)。

その人は戸籍をデジタル化する事が社会のデジタル化の「第一歩」であり、日本が30年間低迷して他国に出し抜かれてもがき苦しんでいる悲惨な状態の「真の原因だ!」と見事に喝破しているにも拘わらず、森本哲郎には全く「馬耳東風」だったのである(マジがっかりしたぜぃ)。


どんなに素晴らしい意見を言っても「分からない人には全然刺さらない」んだなぁ、と私は腹立たしくなると同時に悲しくなった。多分森本哲郎あるいは世間の99.9999%の人の考えるマイナンバーは、個人を特定する手段を数字化して「追跡しやすくするツール」と考えているののだろう。だからマイナンバーを国民全部に広めると個人情報を悪用され、ひいては国の支配が強まって「国家権力の暴走」に繋がるんじゃないかと不安視しているのだ。

何をトンチンカンな事を言ってんの?と私は言いたいが、これが世間一般の認識なんだろう。何をか況やである。何か困ったことが目の前にあるのにある人がその問題を抜本的に解決する名案を思い付き、見事に提示したのにも関わらず「無視する」というのは何故なんだろうか?

答えは簡単だ、「考えないから」である。世の中の「議論の進まない理由の全て」がここにあるのだ。すべての意見を聞いてじっくり真剣に考えてみる事、それが民主主義の原点ではないだろうか。だが大衆は今まで一般常識から「かけ離れた素晴らしいアイディアを想像できない」ために考えないでスルーしてしまうのである。勿論説明を聞いても、大抵の人にすればチンプンカンプンだろう。コンピュータを使ったデジタル管理社会のアイディアなど「イメージすることすら」出来ないのでは、スルーするのも仕方ないとは思う。例えばコンピュータチップの回路設計を革命的に進化させるアイディアについていくらエンジニアが懇切丁寧に話してくれたとしても、大衆は「分かんないからもういいよ」と相手にしないのではないだろうか?。だがこういう話は確実に社会の進歩に影響を与えているのが現実なのである。ならば分からない也に「勉強すべき」ではないか?。私はそう思う。

結局、説明が悪いんじゃなく、「聞く方が不勉強」なだけなのだ。この問題は一朝一夕には解決出来ないし、日本は沈没し続けると思う。残念だけどね・・・



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