甚大な被害が日を追うごとに明らかになって、ニュースは台風の爪痕一色の感である。被害にあった人には誠に申し訳ないが、天災は誰にでもやって来る悲劇と正直思わざるを得ない。幸い今回は私の所は殆ど台風の影響を受けなかったが、我々は今後の対策を含めて、「自然災害との付き合い方」を考える必要がありそうだ。
自分のことで言うならば、まずは危険な場所には極力「住まない」ことである。九州や山陽など毎回のように台風・集中豪雨の被害にあっている地域は、我々東京に住むものとしては「遠い地方の事」と簡単に受け止めていたのは紛れもない事実である。火事などの人為的なものは別にして、雨・風・雷・竜巻は勿論のこと、地震・津波ですらも「頻発する所」と「殆ど来ない所」とがあって、東京都心部と周辺地域は比較的安全だ、との認識が心のどこかにあった。先月台風15号の被害で未だに苦しんでいる千葉にしても、どちらかと言うと都会から離れた「ビルよりも瓦屋根の多い」地方の田舎町である。今回の台風19号で河川が氾濫した場所というのも、多摩川下流といった比較的都心に近い地域でありながら、実際は防災の面で言えば「危ない条件が揃っていた」とも言えることが徐々に分かってきた。
○多摩川氾濫
a. 二子玉川地区は以前に料亭が立ち並ぶ風流な場所として栄えたという歴史があり、堤防を作るときにも「景観が失われる」と言って、住民の反対があったらしい。それがようやく折り合いがついて工事を始めようという矢先の堤防決壊で、泣くに泣けない事情だという。聞けば聞くほど、残念な事故である。反対していた住民は「それ見ろ、言わんこっちゃない」と散々に言われてグーの音も出せず「うなだれている」だろうが、自然を甘く見た「奢り」の結果であることは間違いないだろう。堤防さえしっかりしていたら被害は防げたのかというと、それも「?」マークのつく微妙な問題だが、今更終わったことに文句を言っても始まらない。私が以前住んでいた北千住のマンションでも、新宿の高層ビル群の向こうに「朝日に照り映える富士の姿」が正面に見えて、最高に気持ちが良かったのだが(私は6階に住んでいた)、目の前に10階建ての都立アパートが建設されて「景観が失われた」ことがあった。マンションの不動産価値も下がるので不愉快だがしょうがない。景観というのは、いつかは失われるものである。ましてや今回は災害対策であるから、サッサと高い堤防を作るべきだったのではないだろうか。テレビを見ているほとんどの人がそう思ったに違いない。まあ、結果論ではあるが。
b. 武蔵小杉のマンションでの被害は、地下に電気関係が置かれていたために「まさかの全電源喪失」という事態に陥った。都会の最先端をゆく理想のタワーマンションが「あっという間に陸の孤島」と化したわけで、電気が来ないとテレビや冷蔵庫はおろか「風呂・トイレ」といった生活基盤そのものが使えなくなってしまう。このマンションは22階建てだというから、上層に行くほど「悲惨」な状態だ(マンション分譲価格は逆に高い)。せめてもの救いは1階のトイレが使えたことだというから、私などは前立腺肥大症の為に1時間おきにトイレを使わねばならず、「冗談抜きに」マジ生活が出来なくなってしまうから怖い。まあ、お金がないので間違ってもタワマンなどに住む気遣いはないから安心だが、何から何まで便利至極な生活は、何かあった時に「どうしようもない」というのが良く分かった事例である。今回は地下に電源があったために冠水で被害にあったわけだが、住むならやはり地上3階位までが限界であろう。ちょっとタバコを買いに行くのに「階段を47階も上り下りしてた日にゃあ」あなた、死にますよ!?
c. 川崎内水氾濫と支流バックウォーター
とにかく台風や集中帯状降水帯などにより河川が氾濫するのは良く聞く話である。そのために昔の人は堤防を作り自然災害と常に向き合って生活していた。生活様式が今ほど整備されて無く、電気・ガス・水道などのライフラインがお金を銀行に振り込めば「いつでも簡単に供給される」都会とは違い、すべて自分で調達していた「自足自給」に毛が生えているくらいの時代である。だから洪水で家や田畑にダメージを受けても、なんとか立ち直って生活してきた。日本人は自然災害を天災として「嫌々ながらも受け入れざるを得ない」国に住んでいるのである。それがいつのまにか「災害なんてものをすっかり忘れて」しまい、マロニエの散歩道にあるお洒落な喫茶店でコーヒーを飲む映画の主人公にでもなったつもりでいたのだ。なんと恐ろしい。川崎の下水管の排水弁を閉じるという災害対策は一応それなりに機能したようだが、それはただ、増水した多摩川の水が逆流するよりマシというだけで、結局は内水氾濫という耳慣れない災害を引き起こしてしまった。やはり「想定外の事態」をどう「想定するか」という想像力が、必要になってくるのだろうか。今に国レベルの災害対策が必要になって来るかも知れない。その時、想定外などという言葉を使わなくてもいいように、我々市民も「自助努力を求められている」と思う。
○千曲川氾濫
千曲川は下流が信濃川といって「日本有数の大河」である。島崎藤村の「千曲川 雲白く遊子かなしむ」の名詩で知られる風光明媚な田園地帯でもある(はて、北原白秋だったか?)。そこが今回は堤防決壊し、氾濫した。一面の水没映像とともに「北陸新幹線が水に浸かっている」のを見た時には、現代最高の技術の結晶と海のように広がった泥水のコントラストが目に焼き付いて、台風による損害の甚大さを改めて思い知らされたのである。しかし県で発行されているハザードマップを確認すると、洪水が起こった際には「このあたりは何メートル水没」とはっきり書かれているそうだから、ちょっとでも「もし氾濫したら」と誰かが想像力を働かせていれば、もっと違った対応が出来た「かも」しれない。ちなみに福島原発事故でも「同じこと」が起きたわけだが、東電幹部は裁判所で「無罪」になった。事故の原因を「誰か個人に押し付ける」のは無意味だとは思うが、「想像力を働かせるべき役職」にいた3人の業務責任を問わないで、どうやって日本を「安全・安心な国」に出来るのだろう。罪ではない、「しかし責任は取らねばならない」と私は思う。今回の北陸新幹線の損害が沿線の経済に計り知れない大打撃をもたらしたことを思えば、担当者がもっと想像力を働かせて「車両を分散避難」させておけば、と悔やまれる。勿論、罪ではないが。こうした危機的状況に置いては、本当の「人間力」が試されるのだと言いたい。
○那珂川氾濫
私の生まれ故郷でもある水戸市でも、那珂川の氾濫で大きな被害を被った。先祖代々の墓がある「清巌寺」は駅の南側で、桜川という「堤の桜」で人気がある一級河川が流れている。が、途中に「千波湖」という大きな池があって、天然の防災設備となっていたので氾濫はしなかったんじゃないか、というのが私の勝手な推測である。何にしても被害がなかったのは不幸中の幸いだ。問題の那珂川は駅の東口の近くを流れており、茨城県では相当大きな河である。決壊した場所は水戸駅よりもっと北の方の田園地帯であるが、常陸大宮市でも決壊しており、さらに久慈川も越水して「大混乱」になっていたらしい。国土交通省は対応に大わらわで決壊情報をスムーズに出せなかったとして陳謝しているが、「大混乱している時こそ正確な情報」というのが政府機関に求められる役目ではないだろうか。人員を増員して対処の万全を図る所存だと言っているそうだが、後の祭りである。100年に一度の超大型台風と「ニュースで散々取り上げていた」にも関わらず、堤防を越えるほどの雨量というのは「やはり想定外」なのだろうか。誰のせいでもないけれど・・・という、テレビに写った被害住民の「すべてを失った茫然自失の横顔」が辛い。そんな、心が押しつぶされそうな人々を目の前にして「マイクを差し出すテレビの報道局の社員」は、内心はどうなのか知る由もないが、坦々と被害の大きさを伝えているのが妙に現実離れしていて実感が沸かなかった。災害ニュースのすぐ後に、ラグビー日本代表の破竹の快進撃を取り上げるのがワイドショーの限界であろう。今更ではあるが、日常生活とは「こういうもの」なのだとしみじみ思う今日この頃である。
取り敢えず、柏は拍子抜けするぐらいに台風の影響がなかったが、我々の日常にも台風の被害で「コンビニの弁当類が品薄」になっていたので、影響はずっともっと広い範囲に及んでいることが推測される。普段水がないところで「胸の高さまで水没する」というのは、想像を絶する光景であるが、それが1分も立たないでやって来ると言うのが恐ろしい。しかし水の被害というのは人間の生活を「根本から根こそぎダメにする被害」である。水害は単に水が引けば元に戻るというものではなく、畳や布団・家具から電化製品や台所にいたるまで「生活の全て」を容赦なく奪っていく。今回の台風被害は77人もの人命を奪った(もっと増えているかも知れない)が、土砂崩れや用水路に落ちたなどの、言わば人災とも言えるような「避けられた事故」ではない所に恐ろしさがある。地震や噴火や津波など、日本はとにかく「災害大国」なのだ。
そこで、私はこのような災害から命と財産を守り、残り少ない天寿を全うするために「取るべき行動」を再確認しておこうと思った。幸い私は年金生活者で、アパート住まいの独身者である。つまり住む所を自由に選べる立場にあるのだ。6畳一間の生活だから家具もなく、テレビと冷蔵庫ぐらいがあるだけの「断捨離生活」そのものである。大事なものと言えば、「少々の本」があるだけだが、それとても図書館で読んだり「電子図書」の形で読んだりして、何も自分で所有する必要はなくなって来ている時代である。畢竟、私に取って大事なものといえるのは、「スマホとお金だけ」のようだ。これを人は「身軽」と呼ぶ。
考えてみれば、身の回りの問題はクリア出来ている。そこで私は今度引っ越す時に選ぶべき「土地の条件」を考えてみた。
海から遠く山からも遠く、河川から離れていて地震断層帯も走っていない。出来れば原発避難区域ではなく、余り田舎ではない「そこそこ都会」の平野部で、工場などの有害廃棄物排出の危険性もなく、畑が広がっていてイザという時に近所の農家から作物を分けてもらえて、トイレなどは「近くのヤブ」でも済ませられるほどの自然にあふれた環境だが、実はお洒落な喫茶店も「自転車で行ける範囲に点在する」立地というのがベストである。しかも未開ではなく「そこここに風流な景色が残っている文化的なエリア」とくれば、もう奈良しかないではないか。今回の災害で一番心に残ったことは、人間にとって「場所」が全てだということである。住めば都と人は言うが、「そうなる前に場所選び」しておくのが賢明というものだ。私はかれこれ15回ほど引っ越しをしているので、住んでいる場所に愛着を感じて困ったことはあまり無い。よく秘境めいた限界集落に住む高齢者の話を耳にすることがあるが、住み慣れた土地に執着する老人が多くなればなるほど「市町村のサポート費用」は馬鹿にならないくらい肥大するのである。人里離れた寒村で「医療も介護もないような」取り残された区域に住むのはもう諦めて、人間は「都会の中」に効率よく守られて住む時代になってきたことを認めようではないか。
結局ニュースを見ながら考えたことは、場所は「奈良」が最良である、だった。
徹底的に断捨離をして、テレビ・エアコン・冷蔵庫それにトイレ、で家財道具一式は終わり。これらは「いつでも取り替えられるもの」だから、万一死亡した場合でもメーカーが何とかしてくれるだろう。布団は粗末なもので充分であり、空気を入れてふくらませるタイプの簡易ベッドなどは持ち運びも楽だし、今度奈良に行ったら購入しようかなと思っている。要は持ち物を減らすことである。持っているものが少なければ、失うものもそれだけ減るというものだ。そして、これが私の一番声を大にして言いたいことだが、家は「借家に限る」である。家は住めば住むほど「モノ」に溢れてくる。そしていつしか人間より「モノ」を大事に考える習慣がついてしまうのだ。台風19号から得た教訓は、人間の価値は「モノ」にあるのではない、でした。
自分のことで言うならば、まずは危険な場所には極力「住まない」ことである。九州や山陽など毎回のように台風・集中豪雨の被害にあっている地域は、我々東京に住むものとしては「遠い地方の事」と簡単に受け止めていたのは紛れもない事実である。火事などの人為的なものは別にして、雨・風・雷・竜巻は勿論のこと、地震・津波ですらも「頻発する所」と「殆ど来ない所」とがあって、東京都心部と周辺地域は比較的安全だ、との認識が心のどこかにあった。先月台風15号の被害で未だに苦しんでいる千葉にしても、どちらかと言うと都会から離れた「ビルよりも瓦屋根の多い」地方の田舎町である。今回の台風19号で河川が氾濫した場所というのも、多摩川下流といった比較的都心に近い地域でありながら、実際は防災の面で言えば「危ない条件が揃っていた」とも言えることが徐々に分かってきた。
○多摩川氾濫
a. 二子玉川地区は以前に料亭が立ち並ぶ風流な場所として栄えたという歴史があり、堤防を作るときにも「景観が失われる」と言って、住民の反対があったらしい。それがようやく折り合いがついて工事を始めようという矢先の堤防決壊で、泣くに泣けない事情だという。聞けば聞くほど、残念な事故である。反対していた住民は「それ見ろ、言わんこっちゃない」と散々に言われてグーの音も出せず「うなだれている」だろうが、自然を甘く見た「奢り」の結果であることは間違いないだろう。堤防さえしっかりしていたら被害は防げたのかというと、それも「?」マークのつく微妙な問題だが、今更終わったことに文句を言っても始まらない。私が以前住んでいた北千住のマンションでも、新宿の高層ビル群の向こうに「朝日に照り映える富士の姿」が正面に見えて、最高に気持ちが良かったのだが(私は6階に住んでいた)、目の前に10階建ての都立アパートが建設されて「景観が失われた」ことがあった。マンションの不動産価値も下がるので不愉快だがしょうがない。景観というのは、いつかは失われるものである。ましてや今回は災害対策であるから、サッサと高い堤防を作るべきだったのではないだろうか。テレビを見ているほとんどの人がそう思ったに違いない。まあ、結果論ではあるが。
b. 武蔵小杉のマンションでの被害は、地下に電気関係が置かれていたために「まさかの全電源喪失」という事態に陥った。都会の最先端をゆく理想のタワーマンションが「あっという間に陸の孤島」と化したわけで、電気が来ないとテレビや冷蔵庫はおろか「風呂・トイレ」といった生活基盤そのものが使えなくなってしまう。このマンションは22階建てだというから、上層に行くほど「悲惨」な状態だ(マンション分譲価格は逆に高い)。せめてもの救いは1階のトイレが使えたことだというから、私などは前立腺肥大症の為に1時間おきにトイレを使わねばならず、「冗談抜きに」マジ生活が出来なくなってしまうから怖い。まあ、お金がないので間違ってもタワマンなどに住む気遣いはないから安心だが、何から何まで便利至極な生活は、何かあった時に「どうしようもない」というのが良く分かった事例である。今回は地下に電源があったために冠水で被害にあったわけだが、住むならやはり地上3階位までが限界であろう。ちょっとタバコを買いに行くのに「階段を47階も上り下りしてた日にゃあ」あなた、死にますよ!?
c. 川崎内水氾濫と支流バックウォーター
とにかく台風や集中帯状降水帯などにより河川が氾濫するのは良く聞く話である。そのために昔の人は堤防を作り自然災害と常に向き合って生活していた。生活様式が今ほど整備されて無く、電気・ガス・水道などのライフラインがお金を銀行に振り込めば「いつでも簡単に供給される」都会とは違い、すべて自分で調達していた「自足自給」に毛が生えているくらいの時代である。だから洪水で家や田畑にダメージを受けても、なんとか立ち直って生活してきた。日本人は自然災害を天災として「嫌々ながらも受け入れざるを得ない」国に住んでいるのである。それがいつのまにか「災害なんてものをすっかり忘れて」しまい、マロニエの散歩道にあるお洒落な喫茶店でコーヒーを飲む映画の主人公にでもなったつもりでいたのだ。なんと恐ろしい。川崎の下水管の排水弁を閉じるという災害対策は一応それなりに機能したようだが、それはただ、増水した多摩川の水が逆流するよりマシというだけで、結局は内水氾濫という耳慣れない災害を引き起こしてしまった。やはり「想定外の事態」をどう「想定するか」という想像力が、必要になってくるのだろうか。今に国レベルの災害対策が必要になって来るかも知れない。その時、想定外などという言葉を使わなくてもいいように、我々市民も「自助努力を求められている」と思う。
○千曲川氾濫
千曲川は下流が信濃川といって「日本有数の大河」である。島崎藤村の「千曲川 雲白く遊子かなしむ」の名詩で知られる風光明媚な田園地帯でもある(はて、北原白秋だったか?)。そこが今回は堤防決壊し、氾濫した。一面の水没映像とともに「北陸新幹線が水に浸かっている」のを見た時には、現代最高の技術の結晶と海のように広がった泥水のコントラストが目に焼き付いて、台風による損害の甚大さを改めて思い知らされたのである。しかし県で発行されているハザードマップを確認すると、洪水が起こった際には「このあたりは何メートル水没」とはっきり書かれているそうだから、ちょっとでも「もし氾濫したら」と誰かが想像力を働かせていれば、もっと違った対応が出来た「かも」しれない。ちなみに福島原発事故でも「同じこと」が起きたわけだが、東電幹部は裁判所で「無罪」になった。事故の原因を「誰か個人に押し付ける」のは無意味だとは思うが、「想像力を働かせるべき役職」にいた3人の業務責任を問わないで、どうやって日本を「安全・安心な国」に出来るのだろう。罪ではない、「しかし責任は取らねばならない」と私は思う。今回の北陸新幹線の損害が沿線の経済に計り知れない大打撃をもたらしたことを思えば、担当者がもっと想像力を働かせて「車両を分散避難」させておけば、と悔やまれる。勿論、罪ではないが。こうした危機的状況に置いては、本当の「人間力」が試されるのだと言いたい。
○那珂川氾濫
私の生まれ故郷でもある水戸市でも、那珂川の氾濫で大きな被害を被った。先祖代々の墓がある「清巌寺」は駅の南側で、桜川という「堤の桜」で人気がある一級河川が流れている。が、途中に「千波湖」という大きな池があって、天然の防災設備となっていたので氾濫はしなかったんじゃないか、というのが私の勝手な推測である。何にしても被害がなかったのは不幸中の幸いだ。問題の那珂川は駅の東口の近くを流れており、茨城県では相当大きな河である。決壊した場所は水戸駅よりもっと北の方の田園地帯であるが、常陸大宮市でも決壊しており、さらに久慈川も越水して「大混乱」になっていたらしい。国土交通省は対応に大わらわで決壊情報をスムーズに出せなかったとして陳謝しているが、「大混乱している時こそ正確な情報」というのが政府機関に求められる役目ではないだろうか。人員を増員して対処の万全を図る所存だと言っているそうだが、後の祭りである。100年に一度の超大型台風と「ニュースで散々取り上げていた」にも関わらず、堤防を越えるほどの雨量というのは「やはり想定外」なのだろうか。誰のせいでもないけれど・・・という、テレビに写った被害住民の「すべてを失った茫然自失の横顔」が辛い。そんな、心が押しつぶされそうな人々を目の前にして「マイクを差し出すテレビの報道局の社員」は、内心はどうなのか知る由もないが、坦々と被害の大きさを伝えているのが妙に現実離れしていて実感が沸かなかった。災害ニュースのすぐ後に、ラグビー日本代表の破竹の快進撃を取り上げるのがワイドショーの限界であろう。今更ではあるが、日常生活とは「こういうもの」なのだとしみじみ思う今日この頃である。
取り敢えず、柏は拍子抜けするぐらいに台風の影響がなかったが、我々の日常にも台風の被害で「コンビニの弁当類が品薄」になっていたので、影響はずっともっと広い範囲に及んでいることが推測される。普段水がないところで「胸の高さまで水没する」というのは、想像を絶する光景であるが、それが1分も立たないでやって来ると言うのが恐ろしい。しかし水の被害というのは人間の生活を「根本から根こそぎダメにする被害」である。水害は単に水が引けば元に戻るというものではなく、畳や布団・家具から電化製品や台所にいたるまで「生活の全て」を容赦なく奪っていく。今回の台風被害は77人もの人命を奪った(もっと増えているかも知れない)が、土砂崩れや用水路に落ちたなどの、言わば人災とも言えるような「避けられた事故」ではない所に恐ろしさがある。地震や噴火や津波など、日本はとにかく「災害大国」なのだ。
そこで、私はこのような災害から命と財産を守り、残り少ない天寿を全うするために「取るべき行動」を再確認しておこうと思った。幸い私は年金生活者で、アパート住まいの独身者である。つまり住む所を自由に選べる立場にあるのだ。6畳一間の生活だから家具もなく、テレビと冷蔵庫ぐらいがあるだけの「断捨離生活」そのものである。大事なものと言えば、「少々の本」があるだけだが、それとても図書館で読んだり「電子図書」の形で読んだりして、何も自分で所有する必要はなくなって来ている時代である。畢竟、私に取って大事なものといえるのは、「スマホとお金だけ」のようだ。これを人は「身軽」と呼ぶ。
考えてみれば、身の回りの問題はクリア出来ている。そこで私は今度引っ越す時に選ぶべき「土地の条件」を考えてみた。
海から遠く山からも遠く、河川から離れていて地震断層帯も走っていない。出来れば原発避難区域ではなく、余り田舎ではない「そこそこ都会」の平野部で、工場などの有害廃棄物排出の危険性もなく、畑が広がっていてイザという時に近所の農家から作物を分けてもらえて、トイレなどは「近くのヤブ」でも済ませられるほどの自然にあふれた環境だが、実はお洒落な喫茶店も「自転車で行ける範囲に点在する」立地というのがベストである。しかも未開ではなく「そこここに風流な景色が残っている文化的なエリア」とくれば、もう奈良しかないではないか。今回の災害で一番心に残ったことは、人間にとって「場所」が全てだということである。住めば都と人は言うが、「そうなる前に場所選び」しておくのが賢明というものだ。私はかれこれ15回ほど引っ越しをしているので、住んでいる場所に愛着を感じて困ったことはあまり無い。よく秘境めいた限界集落に住む高齢者の話を耳にすることがあるが、住み慣れた土地に執着する老人が多くなればなるほど「市町村のサポート費用」は馬鹿にならないくらい肥大するのである。人里離れた寒村で「医療も介護もないような」取り残された区域に住むのはもう諦めて、人間は「都会の中」に効率よく守られて住む時代になってきたことを認めようではないか。
結局ニュースを見ながら考えたことは、場所は「奈良」が最良である、だった。
徹底的に断捨離をして、テレビ・エアコン・冷蔵庫それにトイレ、で家財道具一式は終わり。これらは「いつでも取り替えられるもの」だから、万一死亡した場合でもメーカーが何とかしてくれるだろう。布団は粗末なもので充分であり、空気を入れてふくらませるタイプの簡易ベッドなどは持ち運びも楽だし、今度奈良に行ったら購入しようかなと思っている。要は持ち物を減らすことである。持っているものが少なければ、失うものもそれだけ減るというものだ。そして、これが私の一番声を大にして言いたいことだが、家は「借家に限る」である。家は住めば住むほど「モノ」に溢れてくる。そしていつしか人間より「モノ」を大事に考える習慣がついてしまうのだ。台風19号から得た教訓は、人間の価値は「モノ」にあるのではない、でした。
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