映像みました。
早弾きが凄く早いです。
でも何も感じません。
なぜでしょうか?
セクシーじゃないからでしょうか?
それとも人生経験がないから?
子供に表現力がないから?
全部かな。
優れた写実絵画は技術が優れているだけではありません。
目の前にある現実を、優れた技術と独特の感性で変えてしまっているところに感動します。
そこまで現実を抱きしめることができる作者に驚嘆します。
贋作の中にも本物を越えた物が存在します。
作っている間に触発されてしまったのでしょうか?
思いがけない出来栄えになってしまう焼き物に多いように思います。
普通廃棄してしまうと思うのですが、その出来栄えの良さに捨てることができずに残ってしまうことがあるのでしょうね。
そんなところに芸術の本質と人間の性をみることも面白いものです。
書家の書いたいかにも書でございますと言わんばかりの作品は大嫌いだ!
と言ったのは魯山人だったでしょうか。
私もそう思います。
書に対して『凄い!』と一般の人が思ってしまう書き方というのがあるわけです。
目的はそこにあるわけです。
心なんて込める必要もなく、ただちょっとだけ高度な技術でさらりと書けばよいのですから、価値なんて紙くずぐらいしかないわけです。
罰則刑がないだけで、レベル的には贋作と変わらないように思います。
手なりでやっている分だけ、贋作以下かもしれませんね。
技術だけで褒められるのはエンジニアの世界であって、芸術家の世界ではありません。
どうか天才子供ギタリストの育て方を間違えないようにしていただきたいものです。
見世物にならないように成長してほしいものです。
人生で受けるであろう、自分と同じような苦悩や記憶を背負っている人の演奏や作品に共感するところからはじまるのです。
9歳頃の記憶だと、虫捕りとか海水浴とか夏休みの宿題に追われたこととか、ですかね~
夏休みばっかり(笑)
夏休みなら拓郎の歌に感動できますからね。
書には書技の上達が必要です。
でも、それだけでは機械が書いたものと変わりがないのです。
お年を召した方々の作品には、人生の経験がそこに現れているのでそれだけで興味がわいてきます。
命に限りがある人間が、その儚さを知った中で得た『何か』を書いてこそ、本人だけでなく、鑑賞する者にとって価値ある書となるのではないでしょうか。
頑張れ9歳の天才ギタリスト!
私も頑張る~
早弾きが凄く早いです。
でも何も感じません。
なぜでしょうか?
セクシーじゃないからでしょうか?
それとも人生経験がないから?
子供に表現力がないから?
全部かな。
優れた写実絵画は技術が優れているだけではありません。
目の前にある現実を、優れた技術と独特の感性で変えてしまっているところに感動します。
そこまで現実を抱きしめることができる作者に驚嘆します。
贋作の中にも本物を越えた物が存在します。
作っている間に触発されてしまったのでしょうか?
思いがけない出来栄えになってしまう焼き物に多いように思います。
普通廃棄してしまうと思うのですが、その出来栄えの良さに捨てることができずに残ってしまうことがあるのでしょうね。
そんなところに芸術の本質と人間の性をみることも面白いものです。
書家の書いたいかにも書でございますと言わんばかりの作品は大嫌いだ!
と言ったのは魯山人だったでしょうか。
私もそう思います。
書に対して『凄い!』と一般の人が思ってしまう書き方というのがあるわけです。
目的はそこにあるわけです。
心なんて込める必要もなく、ただちょっとだけ高度な技術でさらりと書けばよいのですから、価値なんて紙くずぐらいしかないわけです。
罰則刑がないだけで、レベル的には贋作と変わらないように思います。
手なりでやっている分だけ、贋作以下かもしれませんね。
技術だけで褒められるのはエンジニアの世界であって、芸術家の世界ではありません。
どうか天才子供ギタリストの育て方を間違えないようにしていただきたいものです。
見世物にならないように成長してほしいものです。
人生で受けるであろう、自分と同じような苦悩や記憶を背負っている人の演奏や作品に共感するところからはじまるのです。
9歳頃の記憶だと、虫捕りとか海水浴とか夏休みの宿題に追われたこととか、ですかね~
夏休みばっかり(笑)
夏休みなら拓郎の歌に感動できますからね。
書には書技の上達が必要です。
でも、それだけでは機械が書いたものと変わりがないのです。
お年を召した方々の作品には、人生の経験がそこに現れているのでそれだけで興味がわいてきます。
命に限りがある人間が、その儚さを知った中で得た『何か』を書いてこそ、本人だけでなく、鑑賞する者にとって価値ある書となるのではないでしょうか。
頑張れ9歳の天才ギタリスト!
私も頑張る~