和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

古墳群のある公園

2014-07-08 15:01:23 | 日記
『多摩川台公園』です。



田園調布の高台にある公園です。

地理学的に言えば、国分寺崖線の峰にあたる位置です。

国分寺崖線とは太古多摩川の流れに削られて出来た崖です。
その頂上部分が上野毛あたりでは環八になっています。

よりわからないかも(笑)

とにかく川に近い場所で風通しもよく、みはらしもよいの場所です。
湧き水も多くすみやすかったようです。

ここら辺では、古墳も沢山見つかっています。

既に盗掘されているとはいえ、この近所には
『マイ古墳』
なるものが庭にあるお宅もあるのです。

とにかく、のどかです。

今日は台風来る前のよい天気なので、バイクでやってきました。



高台なのでご近所さんしかおらず、静かです。

木陰のベンチでゆっくりできる、お気に入りの場所になりそうです。




今朝のラジオ体操は

2014-07-08 11:34:02 | 日記
第二でした。

確か小学生の時は第一で、中学生になってから第二になったと思います。

ところが記憶にあるのは第一のほうばかり。
いい加減な中学生だったということですね(笑)

しかし、高校の時に覚えさせられた、その私立独自の体操など、1ミリも記憶にありません。

更にいい加減度が増したということでしょうね。

そんな薄いう記憶のラジオ第二ですが、なんとか最後までたどり着きました。

身体の硬さを思い知らされながらの10分間は、私の身体を目覚めさせてくれます。

昨日はブルーでしたが、今日のお姉さん達のコスチュームはグリーン。

新人もいたような気がします。

その後でテレビに登場した『少女時代』メンバーの身体のきゃしゃな事といったら、不健康に見えてくるばかりです。

太ももは太くなくちゃだめです。
ウエストも太いほうかよいです。
その上で姿勢が良くなくちゃだめです。

ラジオ体操は振り付けはもちろんですが、その解説もピアノも生。
その点だけでも、口パクの『少女時代』とは、大きな差がありますね。

ラジオ体操のメンバーに勝手にグループ名つけたくなりました。

『ラジオ体操健康娘』

どうですか?

だめかな?(笑)


『少女時代』

2014-07-08 09:20:08 | 日記
あの『少女時代』が久々テレビに登場!

ついつい見てしまいました(笑)

しかし見分けがつかない、、、

おっさん全開なのであります(笑)


口パクはやめてくれないかなぁ~

ダンスで息上がりながら歌う様が見所だと思うのですが、、、、

ま、そんなことはさておき、政治の世界は政治の世界、庶民の文化交流では盛んにやるべきですね。

いいものはいいですからね~

アルバイト募集

2014-07-08 08:05:31 | 日記
和翠塾では特別な師範コースなるものは設けておりません。

天位下級で初等部師範検定。
天位中級で師範代検定。
天位上級で師範検定を行い、合格者には和翠塾の雅号をお渡しします。

検定と言っても、日頃のお稽古や研修の回数、その内容で決めるものなので、『テスト日』というようなものがあるわけではありません。
もちろん費用も一切かかりません。

師範になって雅号つける時にも費用はかかりません。

明朗会計な和翠塾なのであります(笑)

将来和翠塾を継いでいただける方々を沢山育成して、日本を書道で再生させたいのです。
少しオーバーですね(笑)

書道を職業するには難しい時代とよく言われます。
それでも日本に書道は必要です。
無くなることはないはずです。

現代の書道塾は、時代の流れに合っていない様に感じます。
それを合わせることができれば、多くの方々が書道に寄り添いながら、仲間やお友達を作る事が出来き、幸せな時間を過ごせると思うのです。
そこに過度な時間制限や、過度な費用をかける必要もないのです。
書道は大衆のものであり、一部の特権階級の為にあるわけではないのです。

江戸時代、寺子屋で読み書きそろばんを
庶民に教えてました。
そのおかげで庶民の学問に対する知識や関心はとても高く、明治維新とその後の富国強兵の原動力になったとも言われています。
富国強兵政策の良し悪しは別として、庶民が読み書きから書道まで親しんでいた事に驚きます。

江戸時代に門下生一万人を超える隆盛をほこった書道塾があったようです。

その主催者の名前は、
巻菱湖 まきりょうこ

新潟出身の江戸後期の書家で、幕末の三筆の一人です。

江戸時代の人口から侍を引き、さらに寺子屋に通う若年層人口をひいて、残った数から、他の書道塾に通う人数をひくと、、、、、多分、中々の大所帯な書道塾ですよね(笑)

侍も門下生にいたかもしれませんが、、、、

多くの手本を残し、明治以降の日本の書家に大きな影響を与えたのです。

将棋の大きな大会で使われる駒の文字は、巻菱湖の書体だそうです。
ちなみに、和翠塾の祖である小野鵞堂先生の書体も将棋の駒に使われているようです。

巻菱湖は七体の書を自在に扱ったと言われています。

現存する作品をみると、楷書はなんかイマイチなのですが(笑)、草書作品には綺麗な料紙を使い、雅さを演出していたものが目立ちます。

その線はメリハリをつけた、すこしでっぷりとした豊かなものが多く、楷書作品とは真逆な筆使いです。
つまりTPOに合わせて変えることの出来る腕前だったのでしょうね。

千年に一人の書家と言われるだけの、自在性があったのだと思います。

小野鵞堂先生も影響受けたであろう他の作品も見てみたいものです。

新潟に記念館があるようなので、いつかいってみたいと思います。
天才の作品をこの目でちゃんと見たいと思います。
楷書がイマイチ、なんて言われたんじゃ本人にも失礼ですし、、、


と言うわけで、バイトを募集したところ二名の応募があり、近々面接することにいたしました。

もちろん実技テストもあります。

よい人と出会えますように!