ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

赤線特集その一(葛飾区立石)

2014年04月05日 | 赤線・青線のある町
 10年以上前、はじめて本屋で「赤線跡を歩く(木下聡著)」を購入した時は、赤線を魔界の入口のように思っていました。しかし実際に赤線跡を訪ねて歩くと、かつて使用されていた店舗の建物はとても特殊で面白いのです。しかしここ数年、建物の老朽化による建て替えなどで、地域における赤線の記憶のようなものが無くなりつつあります。ですので、ここ数年の街歩きの総仕上げのつもりで、東京の下町~多摩、埼玉の都心周辺の赤線跡の町を取り上げてみたいと思います。(年表などの記述に事実と異なる表記などあるかもしれませんが、ご了承下さいませ。)


 葛飾区立石は、大きくうねる川沿いの土地で、度々の洪水に見舞われています。しかし意外とその歴史は古く、周辺では古墳時代の遺物が発掘されたりしています。そのうちの一つが「立石様」と呼ばれている、地中深くにめり込んだ岩石です。房州石と呼ばれる千葉県産の岩石で、江戸時代は道標などとして活用されましたが、不思議なパワーにあやかる人々が戦地に赴く兵士のお守りとして削ってしまったために、今現在は若干地上から姿を現すのみとなりました。古墳の石室を作る為に房州から持ち込まれ、石室の一部が露出しているのではないか?と言われていますが、都心部における唯一の磐座(巨石信仰)としてとても興味深いものがあります。
 
  
 

歴史の立石・・・低湿地帯の下町のイメージが一新したわ!

 
 立石の赤線は、京成立石の駅のすぐ近くを散策すれば見つける事ができます。空襲で焼け出された亀戸天神裏の遊郭の業者が作った遊郭で、戦時中昭和20年には民家を改装して既に作られていたといいます。戦後は、進駐軍の遊興の場所としてRAAに指定され、黒人兵が出入りしました。(当時は人種や地位の垣根は深かったので、白人と黒人、一般兵と将校は同じ地域では遊ばず、住み分けがなされていました。)一年後、進駐軍の出入りはオフ・リミッツ(立ち入り禁止)とされ、赤線地帯として指定されます。
  

 正面から見ると、洋風のカフェー、側面から見ると和風の遊郭のスナックつかさ。吉原や洲崎にあったような大店以外は、和風の建築に洋風の外壁を張り付けているだけの建物が殆どです。赤線時代の綺麗な豆タイルが塗装から覗いています。


  

 一つの建物に2つ戸口があります。一つの戸口につき、一名の女給さんが客引きを行えたと、法的な決まりがあったので、カフェーは沢山の入口を持っています。また二階の小部屋に上がる道筋もそれぞれ別だったようです。
 

 大通りからは見えないような小道。
 

 何度か折れ曲がる道を抜けると、開ける通り。
 

 立派な装飾、その建物をサメが見上げる景観・・・。
 

 モルタルの外壁に施された、様々な左官屋の手仕事に、「粋」を感じます。
  

  


 通りに面していたところは小料理屋風。
 

 建物のディテールが浮世離れしています。
   

 立石は、赤線跡も開発の手を免れていますが、近隣に闇市跡から青線酒場に移行したであろうスナック街も丸々残っている所が凄いです。昨年、下北沢の駅工事に伴って闇市跡が取り壊しになったので、こういう景観もまた貴重だと思うのですが・・・。
 

   

 ハートの模様が印象的な戸口。まだ残る木の電信柱。ずっとこのままで居てほしい立石でした。