切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

二月大歌舞伎「石切梶原」「二人道成寺」「小判一両」(歌舞伎座)

2006-04-03 00:27:30 | かぶき讃(劇評)
「今頃、二月の舞台の感想ですか?」って感じだけど、ぼちぼち順次アップしていこうかな?寝かせといてもしょうがないので!

①石切梶原

よく、歌舞伎初心者にみせてはいけない芝居として、「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」と「石切梶原」をあげる人がいるんだけど、「対面」はともかく、「石切梶原」は結構楽しめると思うんですけどねぇ~。

言ってしまえば、この演目って、主人公の梶原景時が石の手水鉢をかっこよく切る芝居に、悪役と気の毒な父娘が絡むというだけの話だけど、「石切」の場面に代表的な型が二つあって、その点だけ見てもそれなりに面白い。

後ろ向きに手水鉢を切るのが吉右衛門型で、真正面から手水鉢を切って真っ二つになったところから飛び出してくるのが羽左衛門型なんだけど、羽左衛門型は桃太郎が生まれてきたみたいだって話はこないだ紹介した「歌舞伎ちょっといい話」という本にも出てきましたね。

わたしの記憶では、吉右衛門型は幸四郎、吉右衛門、羽左衛門型は仁左衛門、富十郎、團十郎がやっていたと思う。(因みに、鴈治郎型っていうのもあるそうだけど、わたしは見たことがない。)

今回は幸四郎の梶原だったんだけど、花道の出がなくて浅黄幕が落ちたところで全員勢ぞろいという演出、さすがにちょっと味気なかった。わたしが観た日は22日なんだけど、前半の幸四郎はもうひとつ元気がなく、最後の方で盛り返してきたかあという印象。他の日はどうだったのかな?

他の役者の梶原だと、吉右衛門は腹のある大物って感じだし、仁左衛門は台詞が気持ちよくて華やかな梶原、富十郎は歯切れがよくって小気味いいし、團十郎は良くも悪くもあの特徴のある、唸るようなバリトンの梶原だった。

幸四郎はニヒルな梶原を演じてくれればそれなりにかっこいいんだけど、半端に心理主義めいたことをされると、どうも小賢しい小物にみえる。このあたりが去年のいくつかの初役や国立でやった河内山のよくなかったところ。吉右衛門の腹芸に対抗しないで、すかしてやってくれるといいと思うんですけどね…。

今回の六郎大夫は歌六。この役はしみじみとしたいい老け役で、最近だと段四郎が味わい深かったし、亡くなった吉弥なんかも情があったし、左團次のとぼけた感じもわたしは結構好き。で、今回の歌六なんだけど、これがほんとによかった。西の役者では片岡我當の老け役が最近深みを増してきたけど、東では歌六でしょ。声の渋みと年齢がマッチしてきた感じで、充実した舞台が続いていると思う。今年はいろいろ期待したいなぁ。

そして、六郎大夫の娘・梢は芝雀。わたしはこのひとが大好きで、『千本桜』の「鮨屋」のお里や「四の切」の静御前の役なんか可愛くてとても気に入っている。ただ、最近はちょっと年増の役が多かったんで、久々に可愛げのある梢の役はとても楽しめました。艶っぽい福助の梢より断然役にあってますね。特に最後の、梶原が肩衣を再び着ようとするのを手伝うところなんか。

敵役の親分・大庭三郎景親の彦三郎は、姿、声は立派だけど、もうひとつ腹がなく、人形振りの悪役みたいで…。じつは嫌いな役者じゃないんだけど、なかなか渋くならない役者ではあるな~。

奴菊平の亀寿は台詞も姿も立派でよかった。この人と亀三郎は前述の彦三郎の息子だけど、二人とも去年ぐらいから心境著しいというか、目を見張る舞台を続けていると思う。きっと草葉の陰でおじいさんの17世羽左衛門も喜んでるんじゃないかな。

敵役の赤面・俣野は愛之助だったんだけど、挑む形がきれいだったし、台詞もまあまあ。ただし、ファンらしきひとたちが変なところで拍手するのには、ちょっと閉口しましたけどね。

この芝居というと忘れてならないのは義太夫なんだけど、今回は竹本喜太夫、三味線・鶴澤寿治郎のコンビ。吉右衛門のときの清太夫のだみ声もよかったけど、喜太夫はもうちょっと声の高い熱唱って感じ。ただ、義太夫以上にこの芝居で特徴的なのは、バチがバチンバチンくる三味線で、いいんですよね、このメリハリが。

最後に、忘れられがちな部分なんだけど、刀で試し切りにされる囚人剣菱呑助。この役って酒づくしの台詞をやる滑稽味のある役で、今回の秀調や鶴蔵なんかも印象深いんだけど、観ているうちに去年亡くなった松助のことを思い出してしまった。なんてことのない役のようだけど、こういう役を楽しく演じてくれる脇役って貴重だなって、改めて思いました。

因みに去年の一月の吉右衛門の梶原の感想はコチラ


②二人道成寺

この幕だけ凄い立ち見になって驚いたんだけど、歌舞伎の人気を支えるのはこういう「美魔乱舞す」みたいな妖気だってことなんでしょうか?

玉三郎・菊之助コンビの「二人道成寺」は前回見てるんだけど、割合評判にならなかった気がした前回の舞台には大いに感動して、舞台写真を何枚も買ってしまったほどだけど、さて今回は?

前回の舞台の記憶が曖昧になっちゃってるんで、比較はできないんだけど、ちょっと長く感じたなっていうのが正直なところ。少し詰め込みすぎなんじゃないかっていう印象なんだけど…。

花道すっぽんから玉三郎が登場して、菊之助と花道で踊った後、再び玉三郎が消えて菊之助ひとりでキイタカ坊主と問答をするくだり、白拍子花子が手を出して、「この手の内の雀が生きているか死んでいるか、当ててみやし」というところが、「娘道成寺」のなかで、じつはとっても好きなんですよね。ここは美しい白拍子が「死」という不吉なキーワードを出すところで、凄みを利かせるところ。やっぱり恐かったのは、歌右衛門と玉三郎だけど、菊之助はその点まだまだやさしい。ここ凄みが、後に続く「色即是空」という台詞の虚空へと霧散して行くイメージに繋がるので、ピリっとしたものが欲しかったところ。

能の乱拍子で烏帽子を着けて踊るくだり、田中傳左衛門の小鼓と掛け声の気迫にハッとしたけど、ここではなんといっても、玉三郎の十八番(?)烏帽子を鐘の紐に引っ掛ける妙技がやっぱりカッコよかった!菊之助は外した烏帽子を手に載せていたけど、彼の上背なら玉三郎流のやり方も将来できるんじゃあとは思いましたが…。

衣装の引き抜きから、二人で手毬の踊りが入って、菊之助一人と所化の山笠踊りでは「おじいさん(梅幸)そっくり!」という、ちょっと過分な(!)掛け声がかかったけど、この後の手拭を使った恋の手習いでは、玉三郎の完成された美意識にやっぱり目が行きましたね。

総じて感じたのは、二人で踊るくだりでは、玉三郎の高い洗練度の横で踊る菊之助はかなり分が悪かったのではということ。そもそも、玉三郎の舞踊には一種の高尚趣味が見られるのに対して、音羽屋系の踊りは俗っぽさが特徴のように思われる。どちらがどうというものではないけれど、やや雰囲気を異にする踊りに、まだ未完成の菊之助ということを考えると、ちょっと玉三郎の完成度は「大人気ない」か?でも、これだけついて来れる若手女形も菊之助ぐらいしか思い浮かばないわけだけど。

最後の、キイタカ坊主を掻き分け掻き分け鐘入りするくだりは、わたしが道成寺で一番好きな、躍動感あふれるところなんだけど、ここは二人で絡むせいか、通常の道成寺ほどには切迫感がやや希薄。ここは綺麗にみせるより、野蛮な緊張感でいいんじゃないかって気もするところ。でも、二人揃って鐘に上がった姿には、恍惚とさせてもらいましたが…。

さて、これはこれでいいけど、ぼちぼち本興行で菊之助の「道成寺」が見たくなってきたな、っていうところがわたしの感想ではありますね。

③小判一両

はっきりいっちゃって、いいですか?これはつまんなかった。天下の名優・菊・吉にこんな芝居させちゃいけないよって心底思ったなあ…。

端折っていえば、町人にお金を恵んでも貰った浪人が、わが身の情けなさに自殺するという話なんだけど、戦前なら「武士のプライド」を描いた芝居と解釈されたかもしれないこの芝居が、自殺者三万人社会の現代では、「人間って何が原因で自殺しちゃうかわからないね」という感じ方しかされないのでは、って気がしたなあ…。

芝居自体は、菊五郎、田之助、権十郎と芸達者揃いだし、町家女房の吉之丞なんかいい味出してたんだけど、子供が凧を盗んだというたわいのない話を、これだけのメンバーでやるのはなんとももったいなく感じてしまいましたね。

二幕目は、小判一両を浪人の子に恵んだ安七(菊五郎)と、それを見ていて感動したという侍・浅尾(吉右衛門)が、和気あいあいと料亭奥座敷で酒を飲む場面。

ここを見ていて思ったのは、初演当時このニ役を演じた六代目菊五郎、初代吉右衛門のこの幕を見てみたかったなということ。

おそらく、当時の観客はライバル同士であり、友人でもある二人の名優が、本当に奥座敷で酒を飲んでいる姿を想像しながら舞台を見入っていたに違いない。それに、作者の宇野信夫もそんな楽しい想像をしながら筆を進めたのだとわたしは思う。でも、今回の舞台では芝居の外の想像力を働かせる余地がないし、今の菊五郎、吉右衛門がいくら芝居がうまいといったって、脚本自体の物足りなさはどうにも補えなかったというのがわたしの印象でしたね。

最後の幕、安七と浅尾が自刃している浪人を発見するくだり。ここは現代の感覚からすると、世の無常感というより、子供を残して自刃する浪人にまったく共感できないので、感情が宙吊りにされてしまったような感覚。

正直言って、これは再演しなくていいなあっていうのが、偽らざる心境でしたね。平成の菊・吉コンビなら他に演目もあろうものだし…。戦前までの貧乏悲惨話と格差社会状況との<生活感覚の差>ってものについて考えさせられた芝居ではあったかな?

PS:当分、「蔵出し劇評シリーズ」続きます!!

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2 コメント

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道成寺 (papageno)
2006-04-03 22:23:10
いや、すつかり、忘れてしまった芝居の内容を、

お富さんの劇評で思い出しました。

どうも、ありがとう、

これからの見聞録の蔵出し期待してます。



途中の「真如の月を眺めあかさん」での

烏帽子の扱いですが烏帽子を月に見立てて

綱に引っ掛けるのを「成駒屋型」

烏帽子を中啓の上に載せて運ぶのを

「菊五郎型」とあり、菊之助は「菊五郎型」で

これからも舞うと思います。

うまく、引っ掛けるとかっこいいのですが。
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小判一両 (おまさ)
2006-04-05 16:57:08
こんにちは。

わたしも、「小判一両」には納得いかなかったクチです。いくら、世話物の名手・宇野信夫さんの本でも、これは今の世には、ちょっと通じないなぁと思いました。幕切れは「え、これで終わりなの???」状態でしたし。

「二人道成寺」は、前回の方がわたしは好きでしたね。菊之助の「娘道成寺」は、ぜひ近いうちに見たい演目です!
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