
だいぶ時間が経ちましたが、一応簡単に感想。
①新薄雪物語(合腹・正宗内)
まず、合腹。仁左衛門、幸四郎、魁春ですが、わたしが一番面白かったのは魁春の梅の方。
両脇にいる二人の男が子供のために切腹して、尚且つ女に「悲しむな、笑え」と言う、グロテスクともいえる場面だけど、芝翫の梅の方の場合が、無理やりオホホホと笑う感じだったのに対し、とにかく今回の魁春は笑わない。笑えない。笑った方がある意味不気味で古怪ともいえるんだろうけど、笑えないという笑いの方が人間味があってリアルではある。いつになったら笑うんだろうと、ひやひやしながら、ほとんど笑わない行き方があるんだと、ライブで観て感心しました。
次に仁左衛門の兵衛。使者が持ってきた血の点いた刀を持ってキッとにらむくだり。他の役者がやったらクサいぐらいに大げさだけど、仁左衛門だとなんだか爽やかに見えて嫌みがないから不思議。性格俳優みたいな人にはできない芸ですね。血の意味を悟るところも、何か青春の悔恨みたいな屈託のなさ、透明な決意すら感じて、次の合腹にうまくつながる。
最後に幸四郎の伊賀守。この人の老け役は、総入れ歯の老人くらいの老けになるのが、なぜか特徴。本人は万年青年みたいな人なのにいつも不思議に思う。今回も技巧的に老年を演じながら、次第に高まって左衛門を叱るくだり、「左衛門の馬鹿幽霊」のあたり、義太夫で「大音声」と語られる通りの大音声がさすがに大きな見せ場になっていました。
で、ついでといってはなんですが、錦之助の左衛門は、その憂愁、色けがこの人の当たり役といって、申し分のない出来。個人的には詮議が一番良いんですが、合腹の花道もよかったですよ。
あと、付け加えたいのは、伊賀守の使者・刎川兵蔵役の又五郎は、今回だけじゃなく前回もよかったこと。ちょっとしか出ないのによい役者がやることになっているこの役ですが、妹背山の御殿の豆腐買のおむら同様、侮れません。陽性のチョイ役おむらとは違い、陰性でピリッとしたところがいる兵蔵。刀を運んでくる男の緊張感に満ちた舞台でした。
それと、今回の舞台では、薄雪姫を、梅枝、児太郎、米吉が交代で演じていますが、この場は米吉。可愛らしさと儚さのあるよい舞台でした。とにかく、この人は可愛い!
ということで、永久保存の合腹でしたね。
次に、正宗内。
わたしは團十郎・富十郎共演の舞台を観たことがあるだけでしたし、その時も良い印象を持っていませんでした。というのも、團十郎、富十郎ご両人とも、役をつかめず戸惑っているという印象を受けたので。
この時の公演では、富十郎は秋月大膳と正宗の二役を演じていましたが、堂々たる口跡と存在感だった大膳に対して、苦悩の父親正宗役は、口跡に頼って、この名優にしては平板に思えた。また、團十郎の団九郎は、その姿が素晴らしく、公演当時は賛否両論だったものの、最近ビデオを見直したところ、いかにも團十郎らしい古怪な雰囲気がかえって面白くて、とても懐かしく感じられたほど。
さて今回の舞台ですが、吉右衛門の団九郎は、團十郎に勝るとも劣らないニンなんだけど、心理をまったく感じさせない團十郎に対して、吉右衛門は苦み走った感じになる。
正宗役の歌六は、富十郎に比べれば地味ながら、息子と娘をもつ父親の渋みは充分、義太夫味もありましたね。
で、正宗内といえば、冒頭の「子供が親父を勘当する」という、突拍子もない設定から、最後の親父の説教で、逆に息子団九郎が改心するという劇的な構造が特徴なんですが、勘当されるときの神妙さといい、渾身の説教で息子を改心させるくだりといい、歌六がなかなかの傑作でした。これには葵太夫の語りがかなり貢献していましたし、吉右衛門=団九郎の悔恨の芝居が、芝居自体の突拍子のない心変わりを補って、説得力を持っていましたね。
ただ、そうは言いながら、千本桜のすし屋みたいな始まりから、刀鍛冶のお湯の温度の秘伝を伝える風呂場、三人で刀を打つ鍛冶場から正宗が団九郎の腕を切り落とし、親父の述懐&説得に至る過程がどうにも散漫なのは否めない。
しかし、次にこれがかかるのは何年後でしょうねえ~。とはいえ、ひとつの見本になる舞台だとは思いました。幕見で見直しといてよかったです。
②夕顔棚
重苦しい大作「新薄雪物語」のあとの楽しい一幕。左團次のオヤジに菊五郎のお婆さんの老夫婦のちょっとくだけた、艶っぽい舞台でした。垂れたおっぱいをふきながら出てくる菊五郎は、なんだか相撲取りみたいでしたが、二人のやりとりの色っぽいこと!こういうのを膨らませて、新作を書いたらよいのにと、つくづく思いました。「お江戸みやげ」の色っぽいやつとかね。
ということで、新薄雪の後のこれは、お客さんも大喜びでしたよ。
①新薄雪物語(合腹・正宗内)
まず、合腹。仁左衛門、幸四郎、魁春ですが、わたしが一番面白かったのは魁春の梅の方。
両脇にいる二人の男が子供のために切腹して、尚且つ女に「悲しむな、笑え」と言う、グロテスクともいえる場面だけど、芝翫の梅の方の場合が、無理やりオホホホと笑う感じだったのに対し、とにかく今回の魁春は笑わない。笑えない。笑った方がある意味不気味で古怪ともいえるんだろうけど、笑えないという笑いの方が人間味があってリアルではある。いつになったら笑うんだろうと、ひやひやしながら、ほとんど笑わない行き方があるんだと、ライブで観て感心しました。
次に仁左衛門の兵衛。使者が持ってきた血の点いた刀を持ってキッとにらむくだり。他の役者がやったらクサいぐらいに大げさだけど、仁左衛門だとなんだか爽やかに見えて嫌みがないから不思議。性格俳優みたいな人にはできない芸ですね。血の意味を悟るところも、何か青春の悔恨みたいな屈託のなさ、透明な決意すら感じて、次の合腹にうまくつながる。
最後に幸四郎の伊賀守。この人の老け役は、総入れ歯の老人くらいの老けになるのが、なぜか特徴。本人は万年青年みたいな人なのにいつも不思議に思う。今回も技巧的に老年を演じながら、次第に高まって左衛門を叱るくだり、「左衛門の馬鹿幽霊」のあたり、義太夫で「大音声」と語られる通りの大音声がさすがに大きな見せ場になっていました。
で、ついでといってはなんですが、錦之助の左衛門は、その憂愁、色けがこの人の当たり役といって、申し分のない出来。個人的には詮議が一番良いんですが、合腹の花道もよかったですよ。
あと、付け加えたいのは、伊賀守の使者・刎川兵蔵役の又五郎は、今回だけじゃなく前回もよかったこと。ちょっとしか出ないのによい役者がやることになっているこの役ですが、妹背山の御殿の豆腐買のおむら同様、侮れません。陽性のチョイ役おむらとは違い、陰性でピリッとしたところがいる兵蔵。刀を運んでくる男の緊張感に満ちた舞台でした。
それと、今回の舞台では、薄雪姫を、梅枝、児太郎、米吉が交代で演じていますが、この場は米吉。可愛らしさと儚さのあるよい舞台でした。とにかく、この人は可愛い!
ということで、永久保存の合腹でしたね。
次に、正宗内。
わたしは團十郎・富十郎共演の舞台を観たことがあるだけでしたし、その時も良い印象を持っていませんでした。というのも、團十郎、富十郎ご両人とも、役をつかめず戸惑っているという印象を受けたので。
この時の公演では、富十郎は秋月大膳と正宗の二役を演じていましたが、堂々たる口跡と存在感だった大膳に対して、苦悩の父親正宗役は、口跡に頼って、この名優にしては平板に思えた。また、團十郎の団九郎は、その姿が素晴らしく、公演当時は賛否両論だったものの、最近ビデオを見直したところ、いかにも團十郎らしい古怪な雰囲気がかえって面白くて、とても懐かしく感じられたほど。
さて今回の舞台ですが、吉右衛門の団九郎は、團十郎に勝るとも劣らないニンなんだけど、心理をまったく感じさせない團十郎に対して、吉右衛門は苦み走った感じになる。
正宗役の歌六は、富十郎に比べれば地味ながら、息子と娘をもつ父親の渋みは充分、義太夫味もありましたね。
で、正宗内といえば、冒頭の「子供が親父を勘当する」という、突拍子もない設定から、最後の親父の説教で、逆に息子団九郎が改心するという劇的な構造が特徴なんですが、勘当されるときの神妙さといい、渾身の説教で息子を改心させるくだりといい、歌六がなかなかの傑作でした。これには葵太夫の語りがかなり貢献していましたし、吉右衛門=団九郎の悔恨の芝居が、芝居自体の突拍子のない心変わりを補って、説得力を持っていましたね。
ただ、そうは言いながら、千本桜のすし屋みたいな始まりから、刀鍛冶のお湯の温度の秘伝を伝える風呂場、三人で刀を打つ鍛冶場から正宗が団九郎の腕を切り落とし、親父の述懐&説得に至る過程がどうにも散漫なのは否めない。
しかし、次にこれがかかるのは何年後でしょうねえ~。とはいえ、ひとつの見本になる舞台だとは思いました。幕見で見直しといてよかったです。
②夕顔棚
重苦しい大作「新薄雪物語」のあとの楽しい一幕。左團次のオヤジに菊五郎のお婆さんの老夫婦のちょっとくだけた、艶っぽい舞台でした。垂れたおっぱいをふきながら出てくる菊五郎は、なんだか相撲取りみたいでしたが、二人のやりとりの色っぽいこと!こういうのを膨らませて、新作を書いたらよいのにと、つくづく思いました。「お江戸みやげ」の色っぽいやつとかね。
ということで、新薄雪の後のこれは、お客さんも大喜びでしたよ。
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