今日、床屋へ行きました。
正月までに行かなければと思っているうちに年が明け、今日に至りました。
床屋のオジサンが、「よう我慢できたのぉ」と褒めてくれました。
床屋へ行く道で、懐かしいものを見つけました。
センダングサです。
小さいころは、「ひっつきむし」と呼んでいました。
オナモミなども同類ですが、これは最近ほとんど見かけません。
我が家の前の原っぱも今はなく、大きな駐車場に変身してしまいました。
暑かろうが、寒かろうがそんなことはお構いなしで
「子どもは風の子」
などといって外で遊ぶことが、役割だったように思います。
我が子はというと、この季節外で遊んでいた記憶がありません。
遊びそのものの変化と親の甘さが子どもをダメにしています。
孫にはさらに甘くなるそうで、どうなることかと心配します。
そう、その前におじいちゃんになれるのかを心配しなければ・・・
正月までに行かなければと思っているうちに年が明け、今日に至りました。
床屋のオジサンが、「よう我慢できたのぉ」と褒めてくれました。
床屋へ行く道で、懐かしいものを見つけました。
センダングサです。
小さいころは、「ひっつきむし」と呼んでいました。
オナモミなども同類ですが、これは最近ほとんど見かけません。
我が家の前の原っぱも今はなく、大きな駐車場に変身してしまいました。
暑かろうが、寒かろうがそんなことはお構いなしで
「子どもは風の子」
などといって外で遊ぶことが、役割だったように思います。
我が子はというと、この季節外で遊んでいた記憶がありません。
遊びそのものの変化と親の甘さが子どもをダメにしています。
孫にはさらに甘くなるそうで、どうなることかと心配します。
そう、その前におじいちゃんになれるのかを心配しなければ・・・