うんこのけむり

要点だけ言います。ただ、テストには出ません。

Re;

2009-06-30 | Weblog
うっとうしい季節となりましたが、皆様にはますますご健勝の事とお喜び申し上げます。いつも一方ならぬお力添えにあずかり、誠にありがとうございます。



まずは御無沙汰のお詫びかたがたご挨拶まで。





「これより先、本線」 byギンジ



書き下ろし『果たして『自己中』は復活するのか?』

2009-06-28 | Weblog

こんにちは。昨日の所沢では『俺ってSなんで思った事ずばずば言っちゃうんで~』と言っていた男の子が俺に腕相撲を挑んできたので『俺は腕相撲に限ってはSになるけどそれでもいいか?』と少し脅しをかけた上にちょっとだけありえない方向にその男の子の腕をひん曲げてしまい。

その後威勢良くしゃべっていたその男の子が帰り際まで俺の目を見なくなってしまったというちょっと大人げのないきむまこです。


さて正真正銘の最終日です(笑)


約10日間タツヒロについて書いて。その後は『MFJ』と称してかつての『自己中』をバックアップさせていただきました。

まあなんでしょうね・・・。昨日もヒカリちゃんにお問い合わせを頂きましたけど『きむまこさん。自己中はもう書かないんですか?』と。

この質問は本当に多いですね。うん。

ありがたいことですけどね。

ただやっぱとうとう最後まで俺自身が理解できなかったというか答えに辿り着けなかったのがやっぱり『皆さんが『自己中』に何を見ているか?』って事ですよね。

そりゃ言ってくれる人たくさんいました。そして嬉しかったです。

ためになる。勉強になる。背筋が伸びる。

まあ俺自身がそれを望んでというか狙っていたかっていうとそれは全くないですしね。

ただただ自分の経験談と。またああやってブログを書き続けてきた中で出会った特に年下の人たちにこれから少なくとも俺自身が味わった苦痛や苦労を回避するための『一つの知識』として持っていてもらえれば・・・という意識は生まれたかもしれないですけどね。

ただ今回こうやって巡りめぐって『バックアップ』じみた事をハンパにやってみたわけですけどね。自分で記事を読み返してみてね。まあ笑っちゃいますよね。

『あ~~俺これ赤の他人だったら読まないかもな~』って思いましたもん(笑)


なんだろうな~・・・。

自分をすごい奴だとか偉いとかそう思ってるって事では全くなくてね。なんか『あ~俺って特殊なのかもな・・。』って思ったんですよ。

なんかもう今の若者なんかもそうだけどもっとスマートに楽に生きてるまたはその方法を知ってるっていうか。

それなりの苦悩や心配もあるだろうけどなんかそれなりに上手にやりくりしてるっていうか。

だからなんだろう?あの『自己中』ってのはもう『決定的に駄目な人』にすごく効くのかな?みたいなね(笑)

かつてシィちゃんなんかとも話した時に彼女言ってたけどね。

『自己中は当たり前の事をきっちり書いてるんですよ。だからあれを読んで気付けない人は本当に終わりなんじゃないか?』ってお言葉を頂いて。

ヒロイワボスには『チャンスをもう一度くれるブログ』という肩書きを頂いて。

その『当たり前』に気付いてくれた人って俺にとっても本当にありがたくて。単純に大好きだし。


だからね。まあ今だから書いちゃいますけど。

『自己中』ラストの記事に『サヨナラの代わりに』って文章の中でね。まああれは『つづらおり』ってブログの運営者の女の子を書いてるんだけど。

はっきり言って『この女馬鹿だな~。』くらいにしか思ってなかったわけですよ。俺からしたら。

でもね。こうやって『ブログ』または『自己中』から離れてみて思うのはあんなもん『大きなお世話』なだけであってね。

俺からしたら確実に今の感覚じゃおまえは駄目になるぜ。っつうか今も駄目だと思うけどくらいの見方をしてたわけで。

でもぶっちゃけ俺にはあのコがどうなろうが関係ないわけでね。

そういう『関係ない』っていう気持ち。俺にはあんまりなかったから。『無駄に歳だけ重ねてる』ってそのコのブログには書かれちゃったんだけど(笑)


でもそれも一理あるかもなって。本当に思ったし。俺は俺自身自信を持って『意味のある年月を重ねてきた』と思っていても。人によっちゃそれが『無駄』に見えたりする。

それもありっちゃありなんですよ。


喧嘩するほどの事でもないし。単に『ソリと価値観が合わない』それだけの問題であって。


そういう気持ちがなかったから。『俺が書いてる文章読んでおけよ。必ず役に立つぞ』みたいな概念だけで来ちゃったから。それが良かったのかもしれないけど逆に『死角』も生んでいたかな?とも思ったよね。

ただなんつうのかな?『可能性』。うん『可能性』ですよ。これだけはやっぱ信じていたい。

昨夜じゃないけど所沢まで行ってね。年下っていうカテゴリーの方たちと一緒に時間を過ごす。

じゃあ俺がその席にいて『きむまこ』だったか?って言ったらそうじゃなかったしね(笑)


ただただ若者たちの元気ぶりとやんちゃ加減を目の当たりにしてツレのマツと俺たちが17歳の頃の事を懐かしんで。

帰り道にマツが言ってたけど。

『やっぱ俺ら確実に歳とったんだよな・・・。』って。ネガテイブになるわけじゃないけどさ。それは受け入れなくちゃいけない現実であって。

昔自慢じゃないけど。俺らは俺らで10代の頃はバカをやってはしゃいでいて。


色んなことがあって今この歳になって初めて見えたものがあって。もちろん40代になったらなったで見えるものがあるのだろうし。

そこで『お前らも俺の歳になればわかるよ』この台詞だけは吐きたくないなって思ってるから。だから言わないけど。


うまく言えないけど。ああやって。または『自己中』を通して優秀な『年下』と呼ばれる方たちとセッションする事で『歳を重ねるのが楽しみになった』ってのがあるよね。


例えばヒロイワボスや市川君が今の俺の歳になった時に。昨日みたいに会えたら。お互いまた違う話をするだろうし。感覚も違うと思う。

だからこそ『今』出会えた事に感謝するし。


本当に出てくる言葉は『ありがとう』それだけだよね。


じゃあ本題の『自己中』は再開するのかって事だけど。


うん。『自己中心的『マニアーナ』日誌』はもう終わりだよね。


ただ『きむまこ節』は生きてます。この『ネットの世界』のどこかではね。

もし偶然立ち寄った小さなお店のカウンター越しに俺が立っていたら。

『やっと見つけました』って言ってください。その時はちびちびやりながら俺の『きむまこ節』に耳を傾けてください。


俺は皆さんとの再会を心よりお待ちしています。


では明日からは本来の主『ギンジ』が復活です。


そうそうあいつの『世界観』もなかなかだから。コンタクトをとって見たりしてくださいよ。是非。意外にそこにもあるかもしれませんよ。



           『きむまこ節』が(笑)




ではみなさん。ごきげんよう。さようなら。

MFJ~2008年10月『百様を知れども一様を争う事なかれ』~

2009-06-27 | Weblog


『30代に憧れる』という言葉をよく聞く。20代中盤から後半の女性によく言われる気がする。


『なんで?』と聞いてみると。大概『大人だから』とか『落ち着いてるから』とか。

中には嬉しいような恥ずかしいようなだが『きむまこさんが30代だから』なんていってくれる人もいた。


では。他の30代はわからないが。俺自身の30代に対する感想だが。『皆が言うほどいいもんじゃない』。何より俺は結構30代になるのが嫌だったし。思っていたとおりあまりいいもんじゃないというのが正直な感想だ。


それはなぜか?



まず。社会的責任の発生だと思う。これこそ人それぞれだと思うが。これはあくまで俺の感じた感想なのだが。20代の頃までは。何はなくとも『まあまだ20代だしな・・。』で済むところが多分にあった。


しかし30代になると『知らない・わからない』『ふざんけんな』こういった感覚がほぼまかり通らなくなる。再三言うがその人自身が生きてる世界によって全然違うと思うが。少なくとも俺が生きてる世界はそうだ。


その『生きてる世界』というのは。『自分の業』の事であって。その世界で『飯を食っていく』上での話しだ。


もちろん。しっかりした20代の方は20代のうちから磐石な土台を作り上げてしまう人も沢山いるし。逆に30代になってもそれが出来上がらないでいる人がいる。



もちろん幾つになっても『自分の居心地のいい場所』だけをチョイスし続ける人もいるし。かといってそれが駄目とも限らない。


それと10代・20代とその人それぞれが『積み重ねてきた経験』がぼちぼち『答え』になって来る頃だとも思う。


生ぬるく生きてきた奴はやっぱり生ぬるいし。厳しく生きてきた奴はそれ相応の結果を出し始める。


しかも。その『評価』が。10代・20代に比べて極めて『ひっくり返しにくくなる』。つまりかつては何事も『勢い』で行けていた部分が。心身ともに。あるいは世間の評価そのものが。それを許さなくなる。


あらゆる行動・言動に責任と自覚が求められるしまたそれに準じたものを出し続けなければいけないシーズンの幕開け的世代だと感じている。


俺が自営業で右も左も自分次第という環境だからかもしれないが。それを差し引いてもそれらのものは求められると思う。



『世間の目』『人の目』なんか関係ないぜ!



それもわかるし。今もそれは変わらない。しかし。30代になるとそれまで以上に『そう生きていくためには』確固たる『裏づけ』が必要になる。



これこれこうだからこうなのだ!とはっきりと意義主張を求められたら出来なくてはいけないし。それが出来ないのに『気にしないぜ』をやってしまうと。最終的に干される。


基本的に『保守的な考え・意識』を持ち始めるないし持たざるをえなくなっていく30代が多くなってくるため。身勝手な思想や勢いだけの人間にはあまり近づかなくなる。そういう人と関係を持つ事によって飛び火したもので。せっかく30代にまでなって作り上げてきたものや守り始めたものに被害を及ぼしたくないと考え始めるからだと思う。



かと言って中途半端な大人風を吹かせてむやみにデイフェンシブになるわけではない。



言ってみれば全てが『明確になってくる』のだと思う。



自分に必要なもの・不必要なもの。大切なもの。そうじゃないもの。やるべきこと・やらなくてもいいことetc・・・。



こういったものが明確になってくることによって何から何まで手を出せなくなってくるのが現状だと思う。



これは別に誰かとかそういう世代の人たちを馬鹿にする意味ではなく頑張れ!という意味で言っておきたいのだが。


例えば10代後半のコが2~3年前を思い出しながら『あの頃は若かったから』と言った所で。再三言うように馬鹿にする意味ではなく30代の俺たちからしてみたら『うらやましく』しか映らない。



何もこのクソガキが!と言ってる訳じゃない。つまり今の俺は32歳だが。その『あの頃は若かった』と言った子が俺と同じ歳になるまであと12~3年あるわけだ。するとその12~3年の間にまた様々な経験をするだろう。



そしたら必ず『あの頃は若かったから・・・』と囁いていた10代後半の自分を自分で笑ってしまう日が来る事を。やはり同じ経験をしたことがある俺だからわかるのだ。


経験値と感性はまた別物だ。


『知らない事・わからない事』は当然あるが。『絶対的経験値』というのはやはりこれは年齢。つまり重ねた年月でその比重は変わってきてしまう。


普通に生きていれば歳が上の人のほうが『経験値』は多く持っているという事になる。


もちろん全くそうじゃない歳を重ねた奴も沢山いる。



こんなことを書いている俺だって。40代50代の方から見たら『何を言ってるんだ!若者が!』と言われるだろう。


だからまた新たに『30代を生きていこう』と思うのも事実だ。



結論を言うと。つまり30代というのは全てではないが少しずつ『答えが出てくる年代』だと思うということだ。


いつまでも子供じゃいられないという現実を知る事になるし。またふざけた事ばかりもやってられない。



俺にしちゃ随分夢の無い事を言ってしまうが。



こういう事をちゃんと踏まえて実生活でちゃんとしてるからという『裏づけ』があるからこう生きていける。



人からも言われるので俺自身勘違いしてしまう時が多いが。確かに俺は人とは変わった経験や過酷な体験が少しだけ多いかもしれない。それに溺れた時もあった。


だが。それはあくまで経験であって。それを生かすか殺すかもまたこれからだと思っている。


そのためにはやはりそれこそ『自分より年下の方々』と交流を持つ事により。多くを学ばせてもらい。ついつい説教じみた言い方になってしまうかもしれないが。俺は俺で後に続く方々に『実態や現状』を伝えていきたいとも思ってる。




『百様を知るとも一様を争う事なかれ』


多くの経験を積んできても何でも知ってると思わず。常に謙虚な気持ちを持ちなさい。


俺はこの言葉を大切にしている。

MFJ~2008年10月『本当の自信』~

2009-06-26 | Weblog

人の『好き嫌い』というのは。食べ物と一緒で。それこそ『人それぞれ』だろう。

『食わず嫌い』と一緒で。大してセッションした事もなく。かといって著しく被害や嫌な思いを受けたというわけでもない。ただただ『なんとなく受け付けない人』という人が。誰にでも一人や二人はいるのかもしれない。


俺は固有名詞で誰かを挙げろといわれても。正直誰も思い浮かばない。



これは別に『俺はいい人だよ~。誰とでもそこそこうまくやるよ~』というアピールではなく。



その『なんとなく』という『状態』が嫌いなだけだ。


今まで生きてきた中で。もちろん。何回もあった。『なんとなく嫌い』『なんとなく受け付けない』。そのインスピレーションだけで。その人に対する態度や言動がどことなく冷たくなったり。時には『俺はおまえが嫌いだ』というオーラをガンガンだしていた時代もあった。


しかし。不思議なもので。というか完全に自分の『眼力』の問題なのだが。そのインスピレーションが悉く外れた時があった。


実際話してみたり。自分が『こいつはな~』と思い込んでいた人が実はものすごく気使い屋なだっただけで。俺がそれに気付かなかっただけだったなんてことは多々あった。


実際。そういうことを繰り返してきて。また逆に俺という人間を知らないうちから『拒絶』されたりして学んだのだが。



『世の中そうそう悪い奴とか嫌な奴はいない』という答えに辿り付いた。



ただ。人にはそれぞれ『こういう部分』とか『ああいうところ』といういわゆる『譲れない部分』というものがあって。この部分を人は『十人十色』と言うのだと想っている。


つまり全てではないのだが『自分が譲れない部分』が『合わない』。これが人と人の間に発生するインスピレーションなのだと思ってる。


一般に10代~20代前半に『何でも分かり合える仲』と定義しあう仲間はこの部分が『一致してる』からそういう気持ちになるのだと思う。


ところが。そう思いあっていた仲でも片方が結婚したり。子供が出来たりするとそのバランスが著しくずれ始める。もちろんそれで仲が悪くなったりするわけではなく。


片方にいかんともしがたく『重きを置かざるを得ないもの』ができてしまったからであって。これは寂しい事でも恥ずかしい事でも何でもなく。むしろ当然の事だ。



ただ実際どうだろう?『そういう気持ち』は本当に『本物』だろうか?



偽者でない事も事実かもしれないが。本物でもないような気がする。もし本当に『本物』なら。なにがあっても変わらないだろうし。どんなことがあっても『その気持ち』が一番になるはずだろう。



これは俺の悪い癖かもしれないが。俺はいつもそれを求めてしまう。世の中には一般に『お世辞』や『社交辞令』という言葉がある。これは世の中を渡っていく上でとても大切な『武器』だし。またそれをケースバイケースで上手に使いこなせないようでもよろしくない。


ただ俺が今まで見てきた中で。俺自身は『あ~この人とはもうそういうものは必要ないな』と思っても。会話の中であからさまに『それら』を多用してくる人がいたりする。


俺はあれには本当に自分の『錯覚』とその相手の出方に寂しさを覚える。



俺は体もでかいし。求められればはっきり物を言う方だから再三言うようによく『怖がられる』。


怖がられるのは仕方ないにしても。それとその社交辞令やお世辞がリンクしてしまうのがとても寂しくなる。


ただ。そういう態度に出る人間は最初からわかるようにもなってきた。俺が最も苦手というか決して『100%心を許す事が無い』タイプ。そう『気分屋』だ。



これは本当に質が悪い。



常識や理性をわきまえてる『大人の気分屋』はそれはそれで一つの個性だが。その『気分』のせいで人を振り回したり。どっちつかずの答えを出し続けるようなタイプの『気分屋』は本当に俺は駄目だ。



またそういう人間は自分で自分を『気分屋だから』の一言で済ますからなおの事質が悪い。それでいてそこを的確にズバンっとやられると露骨に凹んだりして。また他に同調者を求めたりする。


俺は『その様』が一番嫌いなのだと思う。



ただ。そういう人がそういうふうに生きてきて。自分は自分で満足したり納得してるならそれはそれでいいと思う。だから俺はそういう人には必要以上に『踏み込まない』。


『どういう人間か?』を知るまでは。あいまいな状態でその人を判断しないようにしてるし。また他の人が嫌いだと言っても俺がそう感じなければ俺は俺の接し方をする。


ただ他の人より早く『その人を知ろうとする』代わりに『知ったら知ったで』そぐわないと判断したらすぐに身を引く。接点を持たないようにする。




俺個人だけの『好き嫌い』を言ったらきっと相当それは激しい。ぐずぐずしてる奴は嫌いだし。自分の気持ちだけを優先する奴も嫌だ。結局そういう奴は『自分に酔ってるだけ』という風にしか見えないからなのだけれども。


だけど。そればかりを前面に押し出していたら。それこそ『可能性』とか『未知なる出会い』とかの窓口がとても小さくなってしまうから。まずは『自分の好き嫌い』は置いておいて。じっくりと見てみることにしている。



よく『趣味は人間観察です』なんて平然と言ってる馬鹿がいるが。本当の人間観察とは街を歩く『特異な人』を見つけ出し。それをこそこそと自分だけや身内で憶測でその人を計り笑ったり談笑したりする事ではない。


本当の『人間観察』というのは。それこそ話してみて。価値観や意見に触れてみて。その『対人』を分析・理解する事だ。



何事もそうだが。



『本質を理解せずに人を笑ったり中傷したりする奴』ってのは。大概そいつもどこかで『同じように扱われていて』。その姿は実に幼稚で低俗だ。




世の中には『自信を持って生きてる奴』は大勢いる。しかし。その『自信』には二通りあって。


単に『自分に酔ってるだけ』の奴と。『しっかりと確たる何かを持ってる奴』とに分かれる。



そして往々にして前者は。俺とセッションするとすぐに『皮が剥がれる』。


MFJ~2008年9月『この男凶暴につき』~

2009-06-25 | Weblog

物事を理解できるか否か?』というのは。何事においても。そいつにとって生命線だ。


今の世の中。『理解してるふり』はやたら上手くても。実際ちゃんとその本質を見抜いて『理解できてる奴』というのは極端に少ない気がする。



ただ。逆にその『理解してるふり』を上手に使って。場の空気を上手に保ったり。話してる相手をいい気持ちにさせたりするのは格段に上手くなったような気がする。



 もちろん。そういう『スキル』も絶対的に必要だとは思うが。今日俺が触れたいのは『本当に理解できてるのか?』の方だ。


 人は。特に若い頃は大概『いきがってる』か『調子に乗ってる』か『勘違いしてる』のどれかに分別され。その中から本当に努力した人間。実際スキルを持ってる人間がのし上がってくる。


 いや。もしかしたら。きっと年齢は関係ないのかもしれない。単純に俺がいきがって調子に乗っていたタイプだったからそう思ってしまうだけで。もしかしたらそこは年齢ではないのかもしれない。


 それを踏まえた上で。俺には思うことがある。特にこの自己中を書き続けてきて強く思うことがある。



 人は自信を持って生きている。なんだかんだ言いながらも自分が好きで。自分の思考は間違っていないと自負している。そう痛感する。それはなぜか。



 今まで幾多と経験し。目の当たりにしてきたが。



        『馬鹿は理解できないと怒り出す』



 これは間違いない。俺がこれほど噛み砕いて書いてやってるのに。それさえも理解できない。でもプライドや自負はいっちょまえで。そこで核心を突っつかれるから怒り出す。いわば逆ギレ。あるいはわからないと逃げ出す。


 これはおもしろいとかおもしろくないと感じる次元のことを言ってるのではない。



 おもしろくないと思ってこれを読まない奴は書いてるこっちも見ていてわかる。もちろんそれは俺だって腹は立たないし。そいつがブログを書いてれば俺もほとんどの確率でそのブログをおもしろいと思うことは無い。


 それは『不共感』であって。決して『理解できてないから』ではない。簡単に言えば『理解しようとしてない』あるいは『理解する必要が無い』と思うということで。


 それは俺がよく言うように仕方のないことだ。何から何までってわけにはいかないし。いくはずもない。またそれもまた一つの意見として受け止めたいし受け止めるべきだし。



 今まで沢山いた。この際だからはっきり言ってやろう。俺の『自己中』を『上から目線』に感じるってことは。『自分は馬鹿です』と言ってるのと同じだ。


 そして俺が『上から見てる』のではなく。そう言ってる『おまえ』が『下から俺を見上げてるだけ』なのだ。


 書いてる俺が言うのだから間違いない。俺は決して『上からなど見ていない』し。間違ったって『年齢』なんかで人を見たりしない。以前から言ってる様にただ単純にそういう『馬鹿の比率』が『若い子』に多いだけであって。俺なんかはそこら辺を踏まえて優しい眼で見てやってる方だ。



 本来多少とんがっていきがっていても。若いうちってのはもっと前がかりで。突っ込んでくる感じで。わからないことはわかるようになるまで気が済まないものだと思うし。またそれぐらいの『学習意欲』があっていいんじゃないかと思う。



 『自分の世界観』を持ってることと『いきがってる』のは全然違う。それを自分で勘違いしてる奴も多い。そこは大いに自信を持つべきだし。そういう奴にこそ俺は年齢など関係なく。俺は様々な事を今からでも学びたいと思っている。



 威嚇するような言葉を並べてみたり。無駄に吠えてみたり。自分の無能さを棚に上げて人を中傷してみたり。大して入り込んでもいないのに知った顔でその場所を否定してみたり。



 本当の狂気や凶暴さは。若者特有のサデステイックバイオレンスの中には存在しない。






 本当に『凶暴な人間』は静かに声も出さず。人を極限まで追い込むことが出来る。

MFJ~2008年9月『大人の謙遜~R-31~』~

2009-06-24 | Weblog

キャラクターなのか。性格なのか。いまだにそれはわからないが。


 俺は。今日までの俺の人生では。とにかく『相談を受ける』事が多い。もちろん相談をしたいとか話を聞いて欲しいと思われるのだから。これはこれで喜ぶべき事だと俺は思っている。



 今まで多くの仲間や後輩。時には先輩なんかにも相談を受けた。



 離婚問題。恋愛の問題。金の問題。人間関係。



 世の中に存在する主要の御題にはおおよそ触れさせていただいた気がする。相談を受けながらも全く知らない世界を垣間見せてもらった事もあったし。俺の悪い癖かもしれないが『まあ話を聞かせてみなよ』というところから始まるから。


 皆一通り『その話の流れ』を聞かせてくれる。そこから学ぶ事も沢山あるし。またそれに見合った答えを出せるように俺も日々精進してるつもりだ。



 そういった経緯を踏まえた上で。俺には一つ感じてる事がある。


 それはどの問題も『原因は一つのものに共通してる』というものだ。


 では。その『共通してる物』とは何か?



 それは『自分を守りたいという自己防衛本能』だ。



 プライドもあるだろう。自分の考えもある。相手に対するいたたまれない感情もあるだろう。しかしそういったものを全部ひっくるめても『自分が楽になりたい』という『絶対的な最終感情』が。ほとんどの問題を引き起こしている。


 そしてほとんどの人は『そっれによって』苦しんでいる。



 旦那と性格の不一致が生じている。そこで気付いた『不一致』より。なぜそれを見越した上で『結婚しなかった』のか?不一致を嘆くより『己の見る目のなさ』を責めないのか?


 別れを告げられた。告げられたショックよりも『なぜ告げられたのか?』を考えられない。『自分の落ち度を認められない』。



 対人関係がうまく行かない。極端な話自分が『人と話してるときの態度や言動に問題はないだろうか?』という『自分に対する疑問』をなぜ持てないのか?



 つまり結論から言うと。


 ほとんどの人がまずは『自分のせいにする』という事が出来ないでいる。仮にできたとしてもそのせいで『自分がつぶれてしまう』のが多いような気がする。



 俺が私が悪いんだよ・・・と俯き加減に愚痴をこぼしてもしょうがない。



 大切なのはまずは『自分で全部背負う事』。


 そして『あがかないこと』。現状を冷静に受け入れる事。難しく聞こえるかもしれないけれど。そんなに難しい事ではない。


 何も突然人が目の前で死んだりするのとは違うのだから。慌てる必要は無い。



 世の中のシステムと言うのは大なり小なり多少の曖昧さはあるがほとんどのものは『YES Or NO』で出来ている。


 YESのものはどこまで行ってもYESだし。NOのものは何をやってもNOなのだ。


 ただ最初から白黒はっきりつけてぴしぴしと答えが出せるわけじゃない。YESの場合はそれでよしだが。肝心なのはNOの場合だ。


 自分の『線引き』これがとても重要だ。



 『あきらめる』のとは違う。『引く』のだから。それを決めた自分をそうそう卑下する必要も無い。『自分の決断』に自信なんか誰だって最初からは持てない。


 けれどいつはどこかで『始めなくちゃならない』んだ。それが『本当の大人』なのだから。



 俺はよく人に言う。物事絶対に『感情で判断するな』と。必ず『自分の理性』で判断しろと。


 感情で決めた事は所詮感情で決めたこと。山の天気と一緒でころころ変わる。ということは『感情で引いたライン』はその日によって前にいったり後ろにいったりする。


 しかし『理性』とは自分の中の『正しい・正しくない』による判断だから。そうそう上下しない。というか上下しない『理性を持った自分を常日頃から持つ努力』が必要だ。



 社会に出れば『嫌だな』と思うことも率先してやらなくちゃいけないこともある。しかし『自分の理性』を犯してまでやる必要なんか無い。



 ただ間違えちゃいけないのは。先日とあるブログで見かけたのだが『私の友達が上司にキレて。怒鳴って会社辞めてきたんだって。さすが○○!!』とその友達を称えている話があったが。


 そのコはまだ10代だか20代前半なのだか知らないが。その時は確かに『武勇伝』レベルで仲間には称えられるかもしれないが。俺らくらいの歳になると。はっきり言って馬鹿扱いされて最終的には周りの仲間にも干される。


 またそんなことをしたら干されるくらいの緊張感を保てる仲間に囲まれないと駄目だ。


 今の例が示すように。『感情で決めた事』は。若いうちは『若さとバカさ』で何てこと無いが。年齢とそれに伴ってついてくる『責任や立場』で必ず『理性を求められる判断』を迫られる。


 社会のシステムと『個人的悩み』も全く一緒で。まずは『自分の理性と落ち度』をしっかり認識することが出来れば。


 おおよその事は『自分で判断して自分で行動できる』。



 『自分ははっきりしてるから。好き嫌いはっきりしてるから』そう自分で言う奴ほど『虚勢を張っている証拠』となってしまう。


 大切なのは常日頃から『適度な緊張感』を持つ事で。『自分と言う人間をあまり現実以上に高く位置づけしないこと』だ。


 人というのは『高まれば高まるほど』それに伴って『抱えるもの。抱えざるを得ないもの』が増えていく。


 もちろん周りも『それだけの人間だ』と見るから。人には逃げられなくなっていく。



 そこで初めて『虚勢と強がりに守られていた自分』に気付く。



 『自分なんて大した事無いですよ』それは一般的な『謙遜』だ。




 本当に『大人の謙遜』ができている人というのは。いかなる問題や事件にぶつかっても。結果的に必ず『自力で解決できる』。


 それが出来ないと言う事は最終的に結婚してる人なら家族を貶める事になるし。会社でなら部下を辛い目にあわせることになる。



       『己など仮に死しても。所詮宇宙の藻屑なり』



 人は『守るべきもの。失うものがあると』絶対に『弱くなる』。よく例に挙がるが『家族を守るために頑張れる』というが。死ぬわけには行かない。命を引き換えにするのはありえるだろうが。死ぬわけにはいかない。現実問題『生活がある』。



 だが。何もなければ『死んでも平気』だ。




 だから俺は言う。



 『本当に死を決意した人間は死ぬなどと人には言わない』と。




 人に言う奴は。結局『自分を守りたいから』言うのだから。




 『守るべきものがない人間の強さ』



 それを若いうちから『自分に叩き込んでおくのも』一つの大切な作業かもしれない。




 それが出来れば。再三言うが。『大人の謙遜』ができるようになるだろう。

MFJ~2008年8月『Pure』~

2009-06-23 | Weblog

最近の俺の地元で密かに頻発されてるのが。



 『プチ同窓会』



 男女共に6~7人くらいが集まり計14~5人で酒を飲んでは大騒ぎして昔話に華を咲かせる。


 男共はほとんど地元の奴らだが。女性陣は大阪や東京。一番近くても車で30分ってトコだろう。そう考えると女性陣もまんざらでもないというのが伺える。



 今回で2回目だが。今回の俺はいささか具合が違った。



 俺の人生で唯一無二と言ってもいい『ピュアな思い出』がぎっしり詰まった『あの子』が参戦するからだ。


 前回のプチ同窓会ですっかり話が盛り上がり。ありがちな『中学校の時誰が好きだった?』という話になった。


 俺の番になり・・・(順番で申告ってのも笑える)俺は『実はかおりちゃんに俺告白してふられてるんだよね・・・。んでその後高校に行って手紙をもらってさ。まああの時ふった事後悔してるみたな内容のものを頂いたんだよ』と言った。



          『ええ~~~~~~~~~~~!!!??』



 女子一同驚愕。。。うん。わからなくもない。組み合わせでいったら決してありえない。想像だにしない組み合わせだった。


 俺は中学の時から目立ちたがりやで。なんでも先頭じゃなくちゃ嫌なタイプで。一方かおりちゃんはものすごく勉強も出来て。性格も明るかったし。かと言って浮いた話なんかなくて。


 女子の間でもすごく好感を持たれてる子で。クラスによくいがちな『おせっかいな女』からしてみたら『あいつだけは絶対駄目だよ!』って言われるような俺だったから。


 中学2年の冬。彼女を屋上に呼び出して告白に踏み切った・・・・。


 丁寧な口調で今の自分を伝えてくれた彼女の言葉にはちゃんと真剣に考えてくれたっていう想いが込められていて。本当に綺麗なふられ方だった。


 その後も学校内で会っても普通に挨拶とかしてくれて。逆に心地よかったりした。



 それから俺は水戸に一人暮らしをしながら高校に行く事になり。彼女は地元の進学校に進んだ。地元を離れ一人遠方で生きてる俺を哀れんだのか。なぜか何人かの女性から手紙を頂いた。


 以前も書いたように。地獄のような一年生時代を過ごしていた。その時に頂いた手紙の数々は本当に嬉しくて。励みになった。文通めいたことをしていた同級生の女子もいた。


 やがて2年生になったばかりの頃。俺にもやと彼女が出来て。公私共に(この場合の公とは部活の事だ)充実していた日々を送っていたとき。


 かおりちゃんから手紙が届いた。



 『元気にしていますか?』という文章で始まり。彼女の近況を丁寧な文章で書き綴ってあった。


 そして。3枚の便箋の2枚目には俺が中学の時彼女に告白していた時の事を書いてあって。『私は今あの事を後悔してる』と書いてあった。でも頭のいい彼女だから。その『後悔』に縛られたままじゃいけないとも書いてあった。


 そして2枚目の最後の方に『今でももしあの時と同じ気持ちなら・・・』と書いてあった。


 なぜか俺の心臓は高鳴る。『え・・うそ・・・まじで?』



 恐る恐る3枚目に手を移す。。。






             『忘れてください』




  ・・・・・・・・・・・・・・・・え?・・・・・・・・え?。。。。。。



 流れ的には『もう一度』という展開ですけど・・・・・・。(汗)とまあこれは今でも俺の地元では伝説になっている話なのだが。。。



 今思えば彼女も彼女で必死だったんだと思う。いくら人に説明しても。理由なんか見当もつかない。俺には彼女があそこであえて『忘れてください』と書いた理由がわかっていた。



 それからまた数年が経ち。俺は地元で跡取りとして生活をスタートしていた。そんなある日。後輩のカズノリが『今日銀行のおね~ちゃんと飲み会やるんすけど。頭数足んないんで来て下さいよ!』と頼まれ俺がピンチヒッターで参加した。



 するとそこにはかおりちゃんがいた・・・。



 『うそ?なんでいんのよ??』『あれ~~!!なんで~~~!?』とお互い驚きを隠さず。


 彼女は進学校から東京の6大に進学し。現役で卒業。今は地元の銀行員として働いてると言う。



 その時もやはり。中学の話で盛り上がり。帰りは俺が彼女を家まで送っていく事になった。メルアドを交換して。今度二人で飲みに行こうとなった。


 その時。彼女は半年後。俺は1年後に結婚が決まっていた。



 メールのやり取りを何回かして。彼女と飲みに出かけた。



 もちろん『そんなこと』は何も無い。俺は。ちゃらちゃらしてどうしようもなかった当時の俺でさえ。これはここだけは『そうしちゃいけない』と思っていた。


 飲みに行き。少し走ろうかとお台場の方までドライブしたのを覚えている。


 そんなことを2~3回繰り返し。彼女が勤めていた銀行を退職し。来週には嫁ぎ先の東京に行くって時に。最後の飲みに二人で出かけた。


 頭のいい彼女だったから。去り際も本当に綺麗だった。



 そんな彼女が今までしてきた恋。俺との中学校の時の思い出を車中語ってくれて。


 最後の別れ際。彼女に俺が『向こう行っても頑張れよ。幸せになってな!応援してるよ』と俺が言うと。彼女も『うん。お互い頑張ろうね』と微笑んだ。



 そうして彼女が車を降りるとき。


 『・・・あと3年早く再会できてたらね~・・・。』と俺に向かって微笑んだ。



 『え?』俺が聞き返したら。『なんでもないよ』と今まで見せた事無いようないたずらな顔で笑って見せた。俺もそれに答えるように微笑んだ。



 あれから俺もかおりちゃんも結婚をして。お互い2児をもうけ。それなりの生活を過ごしている。



 そんな中で。今回のプチ同窓会にわざわざ東京から参加してくれたかおりちゃん。


 久々の再会に。俺はなぜかドキドキするというよりはわくわくしていた。そえは決していやらしいものではなく。本当にピュアな気持ちだった。


 隣に座った俺は。


 『おっす!久しぶりだね~』と言うと相変わらずの笑顔で『久しぶり!』と彼女もまた笑った。




 よもやま話に華が咲き。俺が。


 『結婚前に二人で飲みによく行ったっけな~。。。』とそれらしく言うと。彼女は。




 『え~~~~~!?行ったっけ???』ととぼけて見せた。



 俺も『は~~~!?忘れたの!?ひどくね~か~それ~!?』と彼女に乗ったけど。俺にはわかっていた。彼女が『ふり』をしてるってことに。



 時間の都合で早く帰った彼女が帰り際俺に『じゃあ先に帰るね!今日はいろいろ思い出した!ありがとね!』『おう!またな!』と見送った。



 もちろんアドレスだって携番だって聞くような野暮な真似はしない。



 彼女はそういう子だから。決して口にしないけど。



 彼女が『大切な思い出』と思ってくれてる以上。俺もまたそうする事に決めてるから。




 『あえてまたねとは言わないから』そう小さい声で俺に言って帰っていった彼女の事を。心底『いい人だな~』と思えた俺も。少しは大人になったのかもしれない。。。

MFJ~2008年8月『例えば林檎に見えた梨』~

2009-06-22 | Weblog

目に見たもの。



 感じた事。聞いた事。ってとても大切だ。



 でももっと大切なのは。そうして得た『それら』を『どう生かすか?』であって。



 人には誰にだって『言いたくない事や見せたくない事』がある。



 誰にも言わないからこそ『自分が一番辛い』とか思いがちだけど。実際生きている以上。ほとんどの人は『同等のものを抱えてる』と思っていてちょうどいい。


 俺自身も多分にそういう要素があるけど。人は誰でも。『人と少しだけ違う経験を積む』と大方『自分は人とちょっと違う』と思ってしまうものだ。


 もちろん。そう思うことは構わないと思うし。実際そういった経験や学習は『その人だからこそ出来た』ことだとも言えるだろう。


 大切なのは。そこで『止まらない事』だ。



 例えば友達。



 『俺らってちょっと違うから』と思いあってる友達がいる。もちろんそれはいい事だ。いつまでも仲良くいるべきだ。だが。『君らは決して特別ではない』。


 普通に生きていて。普通にそれなりの経験をして。多少横道に逸れて。やんちゃをして。それらを共有しあったからといって『最高の仲間』ではあるかもしれないが。決して『特別ではない』。


 これは俺の独断と偏見だが。大概『そう思い込んでる奴の世間は極めて狭い』。



 『自分が。自分たちが最高と思ってる』からこそ。『他の価値観や意見』を吸収できないでいるのがほとんどだ。



 何度も言うが『自分たちが最高だと思うことは構わないと思う』ただ。そこで満足しちゃいけないと思うって事だ。


 腕時計の盤を。目の前1センチに置いたら。『何時だかさえわからない』。


 愛煙の煙草のボックスを目の前の1センチの所に置いてみたら銘柄どころか「それがなんなのかもわからない」。


 どんなものも『適度な距離』を保って見るから。『それが何なのか』が初めてわかる。


 物体を確認するだけなら。一定の距離を持てばわかる。更にそれを近づけてみたり。更に遠くに置いてみたり。ぐるりと360度見回してみて初めて『本質』を知る。


 真正面から見たら『正方形』でも。ある程度の距離と角度をつけて見てみるとそれが初めて『立方体』と知る。



 正方形の中にいる時は『最高』でも。自分がいる場所が「正方形ではなく立方体だと知った時」。それでも『自分たちは最高だ』と言っていたいだろう?



 そうなのであれば。常に物事を『一定の距離と角度を付けて静観するべき』だ。





 今自分が『林檎』だと信じて疑わないそれは。もしかしたら『腐った梨』かもしれない。



MFJ~2008年7月『バカと遊びの重要性』~

2009-06-21 | Weblog

昨日は夕方から夜にかけて。そこそこ重要な商談に行って来た。


 簡単に言うと近隣広域の消防署や公的施設にうちの商品を取り込んでいただけるか否かの足がかりになるべき商談だった。


 おかげさまで友人や友達に恵まれてる俺はそういった施設にも仲間たちが点在しており。早々に根回しを済ませておいたこともあり。話は非常にスムーズに進んだ。


 長年の付き合いを持たせてもらっている事務員さんや。現場の後輩たち。そういった人たちが「まことさんにそう頼まれてるから」と一生懸命動いてくれる様は非常に感動的だったし。ただただ感謝するばかりだった。


 最近では専らバカをやることも減ってきた。朝が来るまで酒を煽ることも無くなった。


 だけどそれを若く早いうちに散々っぱらしでかしてきて。当時正直それが後々自分の仕事につながるとか。そのための人脈構築だという意識は0ではなかったが。じゃあそこまで真剣に考えていたかと言われればそこまででもなかった。


 本当によくバカもした。よく笑ってよく無茶もした。そして何より楽しかった。


 今だってそういう時間を否定はしないし。決して嫌いじゃない。ただ体力的なものも含めて。次の日に露骨に疲れが出ることを悟り。またその疲れを引きずったまま悠長に仕事をするわけにはいかないという状態にもなった。だから気が付いたら少しずつ「そういう楽しみ」から足が遠のくようになり。だが周りを見てみるとそれは俺だけでもないようだ。


 だからこそ本当に思う。あの時。あの頃。正直将来が不安だった。付き合っていた女や今のかみさんにも「将来私たちどうなるの?」そう問いただされたことも数知れなかった。


 だけど俺は「自分が選んだ道を信じていた」なんてカッコいいことは言えないけれど。俺はそういう「言い分には屈さなかった」。もちろん「あなたとは将来が見えない」と一方的に関係を断ち切られたこともある。

 だけど俺は前に進むのを止めなかった。


 それは他でもなく「仲間たちがいて」純粋にその時間が楽しくて。そして日を追うごとに。友人を介して。または新たな場所で知り合ったりして。確実に「俺のコミニケーション」は広がっていってると痛感できたから。


 あの頃は皆若く。そして各々のポジションで奮闘しつつも力を得られずにいたから。「形」にはならなかったけれど。


 今おおよそ30代に突入して。皆がそれなりにそれなりの「位置」についた。



 言葉は悪いかも知れないが。「あの頃蒔いた種」が今やっと芽を出し始めた。もちろん俺だって協力できる範囲で皆に精一杯協力するしこれからもしていく。


 仲間たちが皆所帯を持つようになり。皆が自分の業に必死になって取り組んでいる。


 直結した取引や商売の関係が露骨になってくる年頃でもある。もちろん買ってくれたから買ってくれないから関係がどうこうってもんでもないが。持ちつ持たれつ。そういう精神が宿り始めたのも確実であるだろう。



 しかし。毎度の事ながら。『コミニケーションの重要性』を痛感させられる。縦のつながり。横のつながり。そういったものがやがて「自分の身を助けてくれる」。



 今「自分のこれから」や「自分のしてる事」に自信や確信を持てないでいる人たちも沢山いると思う。フリーターでもいい。日雇いでもいい。自分の食い扶持を稼ぎながら。


 大いに遊び。その中で。「大いに人脈を広げること」をお勧めする。


 不安を分かち合うのも仲間だが。喜びを分かち合うのもまた仲間だ。



 何より『仲間を信じれない奴が。自分を本当に信じることなんか出来ない』。



 俺はそう思っている。
 

MFJ~2008年6月『俺の友達は男じゃないと無理』~

2009-06-20 | Weblog

このブログを始めてから。結構聞かれることが多かったのが。


 「きむまこさんは『男女間の友情』ってあると思いますか?」という質問。


 この答えにはたま~に他の文章書いてるときに触れてきましたが。答えは決まっています。あくまで俺ですよ。俺だけの発想ですよ。いいですか?『思想』ですよ(笑)





        『絶対にないです。っちゅうか無理です』



 これは俺の「人格と性格の問題です」。はい。間違いなく。あのね。俺自身自他共に認める「ちんぽ人間だった(過去形ですよ~)」ってのも大いに関係してますけど。


 女性を目の前にして「女性と意識しないこと」が俺には出来ません。これはマジです。だから。言っちゃ何ですけど。俺の『女友達』と呼べる人間は非常に少なく。そして全員『ブス』です。これはその子自身も認めています。


 ね?すごい失礼でしょ?でもそうなんです。俺はしょ~もない『ちんぽ人間だった』のでもう「あ!?」って思っちゃう子は絶対に「いい距離感」を保つことなんて絶対に無理でした。


 でもこうしてごく数人でありながらも『女友達』と呼べる人がいる以上。「友情は成立しない」とは言えないのかも知れないけど。ただ「絶対数」から言ったらほぼ「成立しない」の域に入ると思っています。


 俺が女友達と呼べるには極論一緒に風呂は入れるくらいじゃないと無理です。でもそいつの裸を見たくないからそれを拒否るくらいじゃないと無理です。そして俺の自分勝手さに愛想を尽かさないのが条件です。

 ね?もうこの時点で終わってるでしょ?(笑)


 でも。逆から考えたときですよ。そらそれこそ人それぞれでしょうけど。「全く女性を意識せずにいられる」ってどうなんですかね?そりゃ「そういう人もいてくれたほうがいい」という言い分もわからなくもないですけど。やっぱ女性である以上「女性として見られておくべき」じゃないですかね?っつうか俺は絶対に見ちゃいますけど。


 恐らくですけど。今携帯のメモリざ~っと見てみましたけど。『人様に可愛いといわれるレベルで。かつ気立てがよくて。人間性も申し分なく。にも拘らず。素っ裸でうろうろされようが(されたことないですけど)一緒に風呂は入ろうが。隣で寝てようが』


 全く「その気にならない女友達」って。以前ここで代筆してくれた『サトコ』くらいですね。


 まああいつの場合は『女友達』ってより妹ですかね。妹。ナツコと変わらないですね(笑)



 あの~絶対に勘違いして欲しくないのは(この弁明っぽいのも嫌だけど)行き交う女性一人一人に「その気になる」って事じゃないですよ・・・。いやまじで。


 ただ常に「意識してる」と言ったら大げさだけど。それらしいこと言われたら「ドキッ」としますよね。んでもってそれが「ありかなしか」を問わずそれに溺れますよね(笑)


 そうじゃない方がおかしいと思いますよ。俺は。


 例えばシィちゃんにしてもそうです。あの子のリアル顔って見たことある人って多いのかな?公開したことないとか言ってたからごく数名のうちの一人かな?俺。まあそれはよしとしても。


 も~~やばいっすからね。いやまじで(笑)すんげ~ベッピンさんだしね。


 hiroちゃんはね。アイブサキに似てると俺は思うんですよ。とてもじゃないけど子供二人いるようには見えないし。


 豹ちゃんは顔見たことないけど。これ俺のイメージですけど。あの子ちょ~可愛い顔してると思うんですよ(今更穴埋めしてるわけじゃないですよ~笑)


 かなんさんはもう「大人の女」って感じですから。ホント酸いも甘いも知り尽くした感出てるしね(ィ~男と言ってくれてありがとうです 笑)



 まあこの自己中に出入りをよくしてくれていて。ざっと名前挙げるとこの方たちですけど。

 あのね~。。。僕は貴方達を『友達と見れるほど』器用じゃないです(笑)



 ほめ殺しじゃないですよ。自分の「器の話」をしてるんです。だから素直に「女として見る」と言うんですよ。これは。いやまじで。


 まあ『ファン』という見方は一番無難かもしれないですよね。確かに。んでもってまあ実際会ったことがあるわけじゃないからね。これはしょ~がないけど。

 各々のブログを読ませてもらっても。すごく『素敵な感性』を持ってると思うし。いやホントにね。駄目なら駄目ってはっきり言うし。俺は。


 だからシィちゃんなんかもね。言ってましたよ。「外見ではなく中身を理解してくれてるという安心感」って言葉ね。いいですよね。これ。嫌いじゃないです。ホント。


 だから当然俺は当たり前のように「女として見ますから」いやほんとに。そう見なくちゃ失礼だろう?くらいに思ってますし。


 まあもともと俺の「根本」を辿って行けば。実際の友達にも言われますけど。俺の友達は基本『男じゃないと無理です』(笑)


 もうそこに「異性を意識する気持ち」が発生した時点で無理です。そしてそれを押し殺せるほど俺は器用じゃないし。なんとも言えない「グレーゾーンの関係」なんか続けられるほど気長くないし(笑)


 要は子供なんでしょうね(笑)そういうとこが。



 「んで?俺らどうなの?男として?女として?」的な結論。めっちゃ欲しがりますからね(笑)俺って男は。




  結局向いてないんだよな~俺って思うんですよ。結果的には「いい人」で終わることばかりだけど。心底の「いい人」じゃね~もんな・・(笑)



 そういうところはジュン君を見習わなくちゃと思うんですけどね。もう彼と俺の場合『作り』が違いますからね。ホント(笑)



 なんかこう。なげやりっぽく聞こえますけど。でも実は結構近くの仲間とかには言われますけど。俺なんて蓋を開けりゃただの「どすけべな変態おっさん」ですから(笑)



 この『感覚』を理解していただける『女性がいたとしたら』。その方は俺とは『友情が成立します』ね。はい・・・・(笑)