目に見たもの。
感じた事。聞いた事。ってとても大切だ。
でももっと大切なのは。そうして得た『それら』を『どう生かすか?』であって。
人には誰にだって『言いたくない事や見せたくない事』がある。
誰にも言わないからこそ『自分が一番辛い』とか思いがちだけど。実際生きている以上。ほとんどの人は『同等のものを抱えてる』と思っていてちょうどいい。
俺自身も多分にそういう要素があるけど。人は誰でも。『人と少しだけ違う経験を積む』と大方『自分は人とちょっと違う』と思ってしまうものだ。
もちろん。そう思うことは構わないと思うし。実際そういった経験や学習は『その人だからこそ出来た』ことだとも言えるだろう。
大切なのは。そこで『止まらない事』だ。
例えば友達。
『俺らってちょっと違うから』と思いあってる友達がいる。もちろんそれはいい事だ。いつまでも仲良くいるべきだ。だが。『君らは決して特別ではない』。
普通に生きていて。普通にそれなりの経験をして。多少横道に逸れて。やんちゃをして。それらを共有しあったからといって『最高の仲間』ではあるかもしれないが。決して『特別ではない』。
これは俺の独断と偏見だが。大概『そう思い込んでる奴の世間は極めて狭い』。
『自分が。自分たちが最高と思ってる』からこそ。『他の価値観や意見』を吸収できないでいるのがほとんどだ。
何度も言うが『自分たちが最高だと思うことは構わないと思う』ただ。そこで満足しちゃいけないと思うって事だ。
腕時計の盤を。目の前1センチに置いたら。『何時だかさえわからない』。
愛煙の煙草のボックスを目の前の1センチの所に置いてみたら銘柄どころか「それがなんなのかもわからない」。
どんなものも『適度な距離』を保って見るから。『それが何なのか』が初めてわかる。
物体を確認するだけなら。一定の距離を持てばわかる。更にそれを近づけてみたり。更に遠くに置いてみたり。ぐるりと360度見回してみて初めて『本質』を知る。
真正面から見たら『正方形』でも。ある程度の距離と角度をつけて見てみるとそれが初めて『立方体』と知る。
正方形の中にいる時は『最高』でも。自分がいる場所が「正方形ではなく立方体だと知った時」。それでも『自分たちは最高だ』と言っていたいだろう?
そうなのであれば。常に物事を『一定の距離と角度を付けて静観するべき』だ。
今自分が『林檎』だと信じて疑わないそれは。もしかしたら『腐った梨』かもしれない。
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