人の『好き嫌い』というのは。食べ物と一緒で。それこそ『人それぞれ』だろう。
『食わず嫌い』と一緒で。大してセッションした事もなく。かといって著しく被害や嫌な思いを受けたというわけでもない。ただただ『なんとなく受け付けない人』という人が。誰にでも一人や二人はいるのかもしれない。
俺は固有名詞で誰かを挙げろといわれても。正直誰も思い浮かばない。
これは別に『俺はいい人だよ~。誰とでもそこそこうまくやるよ~』というアピールではなく。
その『なんとなく』という『状態』が嫌いなだけだ。
今まで生きてきた中で。もちろん。何回もあった。『なんとなく嫌い』『なんとなく受け付けない』。そのインスピレーションだけで。その人に対する態度や言動がどことなく冷たくなったり。時には『俺はおまえが嫌いだ』というオーラをガンガンだしていた時代もあった。
しかし。不思議なもので。というか完全に自分の『眼力』の問題なのだが。そのインスピレーションが悉く外れた時があった。
実際話してみたり。自分が『こいつはな~』と思い込んでいた人が実はものすごく気使い屋なだっただけで。俺がそれに気付かなかっただけだったなんてことは多々あった。
実際。そういうことを繰り返してきて。また逆に俺という人間を知らないうちから『拒絶』されたりして学んだのだが。
『世の中そうそう悪い奴とか嫌な奴はいない』という答えに辿り付いた。
ただ。人にはそれぞれ『こういう部分』とか『ああいうところ』といういわゆる『譲れない部分』というものがあって。この部分を人は『十人十色』と言うのだと想っている。
つまり全てではないのだが『自分が譲れない部分』が『合わない』。これが人と人の間に発生するインスピレーションなのだと思ってる。
一般に10代~20代前半に『何でも分かり合える仲』と定義しあう仲間はこの部分が『一致してる』からそういう気持ちになるのだと思う。
ところが。そう思いあっていた仲でも片方が結婚したり。子供が出来たりするとそのバランスが著しくずれ始める。もちろんそれで仲が悪くなったりするわけではなく。
片方にいかんともしがたく『重きを置かざるを得ないもの』ができてしまったからであって。これは寂しい事でも恥ずかしい事でも何でもなく。むしろ当然の事だ。
ただ実際どうだろう?『そういう気持ち』は本当に『本物』だろうか?
偽者でない事も事実かもしれないが。本物でもないような気がする。もし本当に『本物』なら。なにがあっても変わらないだろうし。どんなことがあっても『その気持ち』が一番になるはずだろう。
これは俺の悪い癖かもしれないが。俺はいつもそれを求めてしまう。世の中には一般に『お世辞』や『社交辞令』という言葉がある。これは世の中を渡っていく上でとても大切な『武器』だし。またそれをケースバイケースで上手に使いこなせないようでもよろしくない。
ただ俺が今まで見てきた中で。俺自身は『あ~この人とはもうそういうものは必要ないな』と思っても。会話の中であからさまに『それら』を多用してくる人がいたりする。
俺はあれには本当に自分の『錯覚』とその相手の出方に寂しさを覚える。
俺は体もでかいし。求められればはっきり物を言う方だから再三言うようによく『怖がられる』。
怖がられるのは仕方ないにしても。それとその社交辞令やお世辞がリンクしてしまうのがとても寂しくなる。
ただ。そういう態度に出る人間は最初からわかるようにもなってきた。俺が最も苦手というか決して『100%心を許す事が無い』タイプ。そう『気分屋』だ。
これは本当に質が悪い。
常識や理性をわきまえてる『大人の気分屋』はそれはそれで一つの個性だが。その『気分』のせいで人を振り回したり。どっちつかずの答えを出し続けるようなタイプの『気分屋』は本当に俺は駄目だ。
またそういう人間は自分で自分を『気分屋だから』の一言で済ますからなおの事質が悪い。それでいてそこを的確にズバンっとやられると露骨に凹んだりして。また他に同調者を求めたりする。
俺は『その様』が一番嫌いなのだと思う。
ただ。そういう人がそういうふうに生きてきて。自分は自分で満足したり納得してるならそれはそれでいいと思う。だから俺はそういう人には必要以上に『踏み込まない』。
『どういう人間か?』を知るまでは。あいまいな状態でその人を判断しないようにしてるし。また他の人が嫌いだと言っても俺がそう感じなければ俺は俺の接し方をする。
ただ他の人より早く『その人を知ろうとする』代わりに『知ったら知ったで』そぐわないと判断したらすぐに身を引く。接点を持たないようにする。
俺個人だけの『好き嫌い』を言ったらきっと相当それは激しい。ぐずぐずしてる奴は嫌いだし。自分の気持ちだけを優先する奴も嫌だ。結局そういう奴は『自分に酔ってるだけ』という風にしか見えないからなのだけれども。
だけど。そればかりを前面に押し出していたら。それこそ『可能性』とか『未知なる出会い』とかの窓口がとても小さくなってしまうから。まずは『自分の好き嫌い』は置いておいて。じっくりと見てみることにしている。
よく『趣味は人間観察です』なんて平然と言ってる馬鹿がいるが。本当の人間観察とは街を歩く『特異な人』を見つけ出し。それをこそこそと自分だけや身内で憶測でその人を計り笑ったり談笑したりする事ではない。
本当の『人間観察』というのは。それこそ話してみて。価値観や意見に触れてみて。その『対人』を分析・理解する事だ。
何事もそうだが。
『本質を理解せずに人を笑ったり中傷したりする奴』ってのは。大概そいつもどこかで『同じように扱われていて』。その姿は実に幼稚で低俗だ。
世の中には『自信を持って生きてる奴』は大勢いる。しかし。その『自信』には二通りあって。
単に『自分に酔ってるだけ』の奴と。『しっかりと確たる何かを持ってる奴』とに分かれる。
そして往々にして前者は。俺とセッションするとすぐに『皮が剥がれる』。