うんこのけむり

要点だけ言います。ただ、テストには出ません。

MFJ~2008年5月『本当の敵』~

2009-06-19 | Weblog

今日。ある方から。


  「きむまこさんは誰かに寄りかかりたくなったり。弱音を吐くことってあるんですか?」という旨の質問メールを頂戴しました。


  これ。以前も違う方数人に聞かれたことがありました。



  んまあ・・・結果的には結論だけ言えば「ない」ですよね。なんでしょう?弱音を吐くというよりは。「相談」はあるかもしれないですけどね。


 ちょっと小難しい話をしますけど。


 生きてく上で起こる事や。何かしらの物事。そういったものには必ずそうなるまでの「プロセス」ってものがあるわけで。


 つまり「何かの答えを導き出したり」「いかんともしがたいその精神状態」を解決するためにも「解決する」という答えにたどり着くまでの「プロセス」が必要なわけです。


 そのプロセス上「知らないことやわからないこと」が発生したときに「相談や質問」を人にはします。ただそっから先は「自分で何とかします」。


 極論。「人に寄りかかったとき」に「解決できなかったらすごく申し訳ない」と思ってる自分がいるってのもあります。


 もちろんそういう「プロセスを経ていく中」での「やすらぎ」とか「ぬくもり」とかは大好きだし。ものすごくありがたい。


 ただそこに「身を沈めてしまおう」とはちょっと思えないですよね。俗に言う「現実逃避」ってやつですかね。


 別に「現実逃避」を否定はしないし。それがうまくツボにはまると「いい意味でリセット」出来たりするのかもしれない。


 ただ俺の考え方は「逃避してる間」は「その問題」は「据え置き」なわけで。そうしてる間に「誰かが解決してくれてる」ってなら俺だってめっちゃ逃避するでしょうけどね。


 どうせ「自分がやらなきゃいけないならとっとと済ませてしまおう」って感じです。


 子供の頃。予防接種なんかで注射が嫌いなコ(まあ好むコもいないだろうけど)でね。先生の前から順番に列を成してね。やたら一番最後に並びたがって。んで後ろに陣取って注射が終ったコに「痛かった?ねえ痛かった?」って聞きまくるコ。いませんでした?


 あれと似てるんですよ。俺から見た「現実逃避」って。



 だからわかりやすいですよ。飯なんか食っていて。まあ多少その日の気分もありますけど。「大好きなもん」は躊躇なく真っ先に食いますからね。俺は。


        「いい事も悪いこともとっとと済ます」



  それは恐らく俺の中には結構根強く根付いているような気がします。


 もうなんでしょう?こう「ロスタイム」が嫌いなんですよ。とにかく。見方を変えたら冷めてるのかな~って自分で自分を思うときありますよね。


 とかく「どうせやるしかないんだから。どうせやるしかないんだから。」それの繰り返し。もうずっと。


 純粋に「借りを作りたくない」って思ってる部分もあるのかな~?とか思うときもあります。


 あとはすんごい傲慢ですけど。


 『俺に限って解決できないはずがない。このゾーンから抜け出せないはずがない』


 そう信じきっちゃってる自分がいるのも多分事実です。もうそう思ってないとね。申し訳なくてしゃ~ないんですよ。


     「今まで俺に関わってきてくれた人たちに」ね。


 だからどんな問題や疑問が起きても。俺の中には何百種類という「マニュアル」があると思っていますから。そのマニュアルって何よ?って話ですけどね。

 つまり「自分が認めてる人間の価値観や考え方」ですよね。


 例えば何か問題があった時。「この問題タツヒロだったらこうするだろうな~」とか「ジュンだったらこうだろうな」とか。もちろん実際会った事・セッションしたことない人でも「ヒロイワ君だったら・・・」「シィちゃんだったら・・・」とかも当然あるわけです。


 ブログなんかを読ませてもらっていて。おおよそのその方の「価値観」ってのはわかりますからね。それを「当てはめてみたりする」。


 するとね。おかげさんで相当数の「マニュアル」を持たせてもらうことが出来たから。必ず「誰かしらの考え方と方法」って当てはまるんですよ。


 それともうなんでしょう。もちろん俺なんかより辛い人はいっぱいいるってのが前提ですけどね。それでも俺なりに「もうあの時にだけは戻りたくない。そして俺はあの時を潜り抜けて今こうしてるんだ」って思ってるから。


 もう大概のことでは「折れない」ですよね。折れちゃいけないって思ってるし。



 極論「自分は一回死んでるから」ぐらいに思ってますから。投げやりとかカッコつけとかじゃないですよ。

 もうなんだろ。「なんとかなるべ~」の極地的な。。。


 もう帰る家があって。自分が食える「暖かい飯」があって。仕事があって。友達がいて。五体満足で。こうやってブログなんぞをのんきに更新できて。


 それだけで俺は「すごいこと」だと思っていますから。


 だからきっとすんごい「向上心」をもつ反面。それと同じくらい「俺も人並にやらせてもらえてるんだな~」という満足感。普通に考えたら「そこで満足しちゃいかんだろう?」ってとこにめっちゃ「満足感」を置いてますからね。マジで。


 だからいちいちいちいちね。「上見すぎ」なんですよ。俺から言わせりゃ。そういう人多いでしょう?


 死んだ人悪く言いたくないけどね。先日自殺したフリーアナの川田さんでしたっけ?そりゃ本人には「死にたいくらいの悩み」だったんだろうけどね。

 はたから見りゃ「何が気にいらんのだよ?」ですよ。才色兼美。仕事に困ってるようでもない。んでもって「疲れました」的な主旨であれだけの人が路上で練炭ですよ。


 もう「自分で自分の舵をどうとるか?」以外の何者でもないでしょう?


 上見るのも大切だけど。ちゃんと下も見とけよと。「上を行く人間」ってのにはね。「行きたくても行けない人の気持ちを背負う義務」ってのがあるんですよ。絶対に。


 ぶっちゃけしょ~もないアホで。めっちゃ不細工な女の子だっているわけですよ。そういう子が「夢を持って生きて」たりする。そういう子とかにね。もう「申し訳ない」って思うくらいのね「自負」ってのは必要ですよ。


 それが出来ないなら上に行くな。行こうとするな。そもそも小ばかにされて腹立ててるなっちゅう話であってね。


 プライドってのはね。大切だとは思います。だけどね。


 持ち方によっちゃ「誇り」だけど。それを間違えたら「足枷」ですからね。


 「俺は私は選ばれた人間だ」そういう気持ち嫌いじゃないです。でもねそういう人って意外に多いのが「挫折を知らない」んですよね。「穴に落ちたことがない」。だから挫折した時や落っこちた時の凹みようが半端じゃない。


 挙句それこそ「人に対する頼り方も知らない」。だからひどいもんです。



 よく書きますけどね。「恥ずかしいの定義」が根本的に違う。「負けるという意味の定義が違う」。



  偉そうな事言って文を締めますけどね。


 月並みですけど。


 『本当の敵。本当のライバル。本当の壁ってのは自分の中にいる自分自身』


  俺はそう思って日々生きてます。



  ね?そう考えたら普通「絶対に負けたくない」でしょ?