うんこのけむり

要点だけ言います。ただ、テストには出ません。

MFJ~2008年7月『バカと遊びの重要性』~

2009-06-21 | Weblog

昨日は夕方から夜にかけて。そこそこ重要な商談に行って来た。


 簡単に言うと近隣広域の消防署や公的施設にうちの商品を取り込んでいただけるか否かの足がかりになるべき商談だった。


 おかげさまで友人や友達に恵まれてる俺はそういった施設にも仲間たちが点在しており。早々に根回しを済ませておいたこともあり。話は非常にスムーズに進んだ。


 長年の付き合いを持たせてもらっている事務員さんや。現場の後輩たち。そういった人たちが「まことさんにそう頼まれてるから」と一生懸命動いてくれる様は非常に感動的だったし。ただただ感謝するばかりだった。


 最近では専らバカをやることも減ってきた。朝が来るまで酒を煽ることも無くなった。


 だけどそれを若く早いうちに散々っぱらしでかしてきて。当時正直それが後々自分の仕事につながるとか。そのための人脈構築だという意識は0ではなかったが。じゃあそこまで真剣に考えていたかと言われればそこまででもなかった。


 本当によくバカもした。よく笑ってよく無茶もした。そして何より楽しかった。


 今だってそういう時間を否定はしないし。決して嫌いじゃない。ただ体力的なものも含めて。次の日に露骨に疲れが出ることを悟り。またその疲れを引きずったまま悠長に仕事をするわけにはいかないという状態にもなった。だから気が付いたら少しずつ「そういう楽しみ」から足が遠のくようになり。だが周りを見てみるとそれは俺だけでもないようだ。


 だからこそ本当に思う。あの時。あの頃。正直将来が不安だった。付き合っていた女や今のかみさんにも「将来私たちどうなるの?」そう問いただされたことも数知れなかった。


 だけど俺は「自分が選んだ道を信じていた」なんてカッコいいことは言えないけれど。俺はそういう「言い分には屈さなかった」。もちろん「あなたとは将来が見えない」と一方的に関係を断ち切られたこともある。

 だけど俺は前に進むのを止めなかった。


 それは他でもなく「仲間たちがいて」純粋にその時間が楽しくて。そして日を追うごとに。友人を介して。または新たな場所で知り合ったりして。確実に「俺のコミニケーション」は広がっていってると痛感できたから。


 あの頃は皆若く。そして各々のポジションで奮闘しつつも力を得られずにいたから。「形」にはならなかったけれど。


 今おおよそ30代に突入して。皆がそれなりにそれなりの「位置」についた。



 言葉は悪いかも知れないが。「あの頃蒔いた種」が今やっと芽を出し始めた。もちろん俺だって協力できる範囲で皆に精一杯協力するしこれからもしていく。


 仲間たちが皆所帯を持つようになり。皆が自分の業に必死になって取り組んでいる。


 直結した取引や商売の関係が露骨になってくる年頃でもある。もちろん買ってくれたから買ってくれないから関係がどうこうってもんでもないが。持ちつ持たれつ。そういう精神が宿り始めたのも確実であるだろう。



 しかし。毎度の事ながら。『コミニケーションの重要性』を痛感させられる。縦のつながり。横のつながり。そういったものがやがて「自分の身を助けてくれる」。



 今「自分のこれから」や「自分のしてる事」に自信や確信を持てないでいる人たちも沢山いると思う。フリーターでもいい。日雇いでもいい。自分の食い扶持を稼ぎながら。


 大いに遊び。その中で。「大いに人脈を広げること」をお勧めする。


 不安を分かち合うのも仲間だが。喜びを分かち合うのもまた仲間だ。



 何より『仲間を信じれない奴が。自分を本当に信じることなんか出来ない』。



 俺はそう思っている。
 

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