うんこのけむり

要点だけ言います。ただ、テストには出ません。

MFJ~2008年5月『バカばかりの世の中になればいい』~

2009-06-18 | Weblog

今日はものすごくそれこそ「自己中」で勝手な見解で。大いに「自分に溺れた感覚」で。思ったことをそのまんま書いてみようと思う。


 最近ものすごく思うのは。



 「なんで世の中こんなに馬鹿ばかりなのだろう?」ということ。


 例を挙げたらキリがない。とにもかくにも。なぜもっと「うまくやれないのか?」そういう風に感じる奴が年齢性別問わずに多すぎる気がする。


 一例を挙げるなら。こんな話。


 先日とあるスーパーでちょっとした買い物をして車に戻ると。となりで若いね~ちゃんとババアが何か口論をしている。


 聞き耳を立ててみると。どうやらババアが若いコの車をこすったらしい。しかしババアに全く反省の色がなく。終いには。


 「あんたの止め方が悪い」とすごんでいる。ね~ちゃんはね~ちゃんでよもや「車をこすられたこと」など二の次。要はババアに「非があること」を認めさせるためにヒートアップしている。


 大切な愛車が傷つくのは確かに誰だって嫌だ。それは当然だけれど。こすった方もこすられた方も。もう少し理知的な「考え方」というものはできないのだろか?

 「保険の路線」から話してみるとか。あるいは大概そういう理不尽なキレ方をする奴は「保険に入っていない」のが主だから。


 「もしかして保険に入っていないんですか?だったらだったでこちらも多少は譲歩しますから」とか。もっと簡単なのは警察を呼ぶとか。


 スーパーのレジでもそう。


 ほうれん草一つ持ったばあちゃんが。籠をいっぱいにした主婦たちの後ろに並んでいる。「誰が一番早いか」ではなく「どうするのが一番効率的か?」という考え方が出来ない奴ら。


 最近の世の中というのは。

 自分の知識や学のなさを棚に上げてやたらと「負けることだけを嫌う」奴が多い。

 「知らない」「わからない」それだけならただの逃げ文句。そのあとにとにかく「教えてください」と「すいません」が全く言えない。


 「本当の負けるという意味」を知らないから。


 馬鹿でアホな奴らはただただ「人に屈する」ということを以上に嫌う。「自分は学習能力はないですよ」と自分で言ってるのと一緒で。


 かつて書いたこともあるが。沢尻エリカのような「態度や口調が通るもんだと思ってる」アホなね~ちゃんと一緒だ。


 俺は人間という生き物は常に「裏づけ」で形成されてる物だと思っている。


 つまり裏を返せば。どんな態度や言動をとっても構いやしない。ただそれに見合うだけの「裏づけ」があるか否か。


 ただ生意気でただ強がりな奴は後を絶たない。


 しかし本当にそうできる奴ってのはやはりそれに見合う「何か」を持っている。そしてそれはいかんともしがたく「結果」であるのは「資本主義」である以上必然だ。


 仕事もろくにしてない奴がフリーターを憂いたりしても逆にそいつが馬鹿にされるのと似ている。


 「自分の立場」や「自分の能力」。判断力。決断力。行動力。そういうものがちゃんと「伴っていて」初めて人は「それに見合う行動や言動がとれるもの」だと思っている。


 何を思うのか最近の輩は「根拠のない上から目線」がやたら多い。俺は直接そういう奴の被害にあったことはないが。話を聞いていると本当にひどい。


 例えば「夢をもっている青年」。それは素晴らしい。そして続けるべきだ。しかしよく見かけるのが「夢を持ってることが裏づけ」だと思ってる奴。


 成り上がりの矢沢栄吉じゃあるまいし。


 夢を叶えてから「上から目線」ならわかるが「夢を持ってることが大義名分」という輩は多い。そういう奴は絶対に成功しない。


 どんな夢だろうが「叶えるためには学習が必要」だ。しかしそういう「勘違いした輩」には誰も何も「教えないし」また「教わろうともしない」。だから成功しない。


 そういう奴は大概「俺が認めた人間にしか何も教わらない」というが。そいつが認めてもこっちが「認めてない」となるのが関の山だ。


 最低限の常識(いただきます。ごちそうさまレベル)。礼節。そういったものをわきまえた上でそうなるのは構わないと思う。しかしそれを誤解してる輩は非常に多い。


 俺にもかつて経験がある。のぼせて有頂天になり「自分が一番正しい」。そう思い込んでしまったがゆえに結果「自分が一番正しくないことに気付けない」ということがあった。


 若かったからまだ救いようがあったが。俺ぐらいの歳になってもそれを続けてしまってる奴は多い。


    今日は俺の持論で文を締めよう。


 「本当の馬鹿は絶対にバカになれない。そして本物のバカは絶対に馬鹿ではない」


 この言葉の意味が解るなら。その人は十分「馬鹿ではない」と言えるだろう。