うんこのけむり

要点だけ言います。ただ、テストには出ません。

MFJ~2008年4月『自覚と責任。そして己の器量』~

2009-06-14 | Weblog

ここ数年。

 「塾に通わせるので退団します」という子供が増えている。

 俺が指導している少年サッカー団の話だ。


 現在コーチングスタッフは俺を含めて5人。


 俺が一番若く。一番上の総帥は60歳目前だ。


 親もその人には恐縮して物も言えないし。またその人も現在の父兄をあまり信用していない。指導方針の違いや思想の違いも当然あるからしょうがないが。それでもコーチ間はコーチ間なりにうまくやってきたつもりだ。


 まあ各々色んな地域で学校や子供を絡めた部分では様々な「親がいる」。


 俺は「子供に学歴をつけさせようとする」事自体には反対はしないし。むしろ学力はなよりはあったほうがいいとも思っている。勉強は大切だがもっと大切なのは「勉強もちゃんとしないと」という姿勢だと思っている。


 しかし最近みかける親たちの話を聞いていると。



 どこか。

 「自分の無努力した部分」や「自分の叶えられなかったこと」を子供にそのままスライドしてるように見える。

 熱心なのと管理するというのは全く違う。


 「向かわせてやる」のは親として大切なことだとは思うが「向かう方向を決め付ける」のはかえって子供の「自主性」を失う。

 更には指導者や教師に対する「謙遜する心」があまりにも欠け過ぎている。


 もちろん指導者・学校側にも大きな責任はあるだろう。


 昔は「志ある人」が「安月給にも関わらず」その道を選んだ。だから情熱や信念があった。

 しかし今は「己の人生を間違いないものにするため」にその道に進む人が多い。だから教師も「事なかれ主義」。自分が「出る杭」になって打たれたことがないから。


         「打たれることを異常に怖れる」


 だから行動も言動も人任せになる。そこに付け込んでくるのが「謙遜する姿勢」などとは無縁な「馬鹿な親たち」。


 要はいまや。教育も人間関係も。その「現場の問題ではなく」。人それぞれの「人間性」がそのまま反映してしまう場所に成り代わってしまった。


 本音など存在するわけがない。あるとしたら「誹謗中傷」あるいは「文句や小言」。悪いことばかりの「本音」が飛び交い。「真実を追究するための本音」が出てくることはない。


 そんな現場だからこそ。「我が子は親である自分が守る」。そっちに行ってしまうのもわからなくもない。


 しかし。それが犬や猫ならわかる。


 子供というのは「感情があり言葉がしゃべれる人間」なのだ。


 それを知っていて「親」というのは「我が子可愛さ」のあまりそういう「本当に大切なこと」が見えなくなってしまうケースが多い。


 そもそも「自分の言うことを聞いてればいいのだ」と子供に誇れる親たちが今日びどれくらいいるだろうか?

 俺の周りの父兄には数えるほどしかいない。


 それだけ語るのだからどれだけたいそうなものかと見てみれば。そういう親の子供に限って挨拶の一つも出来やしない。


 だから俺は今の世の中「よからぬ勘違い」と「救いようのない馬鹿な親」が多いと言ってるのだ。


 子供というのは「自分の分身」ではない。「その子の人生」なのだ。その後押しと責任を背負うのが親の役目なのだ。


 かつて落合宣彦氏がこう言っていた。


 「もし俺の子供が今日ニュースで流れてるような殺人事件を起こしたら。俺が自分の子供を殺し。そして自分も死ぬ。親というのはそれだけの責任と自覚が必要なのだ」と。


 果たして。こういう「志」を持って「親でい続けてる人間」が。今世の中にどれだけいるだろうか?


 仮にも「うちの子供はそんなことはない」とか「うちの子供は絶対に自分の言うことは聞く」と思ってるとしたら。抜粋ばかりで悪いが「村上 龍氏」のこの言葉を贈りたい。



     『誰が一番か。誰が権力者か。犬と子供はすぐに見抜く』


 己の薄汚れた勘違いと傲慢な心と面を。合わせ鏡でもして見直してみる必要がある「親という名の馬鹿者」は想像している以上に多い。