うんこのけむり

要点だけ言います。ただ、テストには出ません。

MFJ~2008年9月『大人の謙遜~R-31~』~

2009-06-24 | Weblog

キャラクターなのか。性格なのか。いまだにそれはわからないが。


 俺は。今日までの俺の人生では。とにかく『相談を受ける』事が多い。もちろん相談をしたいとか話を聞いて欲しいと思われるのだから。これはこれで喜ぶべき事だと俺は思っている。



 今まで多くの仲間や後輩。時には先輩なんかにも相談を受けた。



 離婚問題。恋愛の問題。金の問題。人間関係。



 世の中に存在する主要の御題にはおおよそ触れさせていただいた気がする。相談を受けながらも全く知らない世界を垣間見せてもらった事もあったし。俺の悪い癖かもしれないが『まあ話を聞かせてみなよ』というところから始まるから。


 皆一通り『その話の流れ』を聞かせてくれる。そこから学ぶ事も沢山あるし。またそれに見合った答えを出せるように俺も日々精進してるつもりだ。



 そういった経緯を踏まえた上で。俺には一つ感じてる事がある。


 それはどの問題も『原因は一つのものに共通してる』というものだ。


 では。その『共通してる物』とは何か?



 それは『自分を守りたいという自己防衛本能』だ。



 プライドもあるだろう。自分の考えもある。相手に対するいたたまれない感情もあるだろう。しかしそういったものを全部ひっくるめても『自分が楽になりたい』という『絶対的な最終感情』が。ほとんどの問題を引き起こしている。


 そしてほとんどの人は『そっれによって』苦しんでいる。



 旦那と性格の不一致が生じている。そこで気付いた『不一致』より。なぜそれを見越した上で『結婚しなかった』のか?不一致を嘆くより『己の見る目のなさ』を責めないのか?


 別れを告げられた。告げられたショックよりも『なぜ告げられたのか?』を考えられない。『自分の落ち度を認められない』。



 対人関係がうまく行かない。極端な話自分が『人と話してるときの態度や言動に問題はないだろうか?』という『自分に対する疑問』をなぜ持てないのか?



 つまり結論から言うと。


 ほとんどの人がまずは『自分のせいにする』という事が出来ないでいる。仮にできたとしてもそのせいで『自分がつぶれてしまう』のが多いような気がする。



 俺が私が悪いんだよ・・・と俯き加減に愚痴をこぼしてもしょうがない。



 大切なのはまずは『自分で全部背負う事』。


 そして『あがかないこと』。現状を冷静に受け入れる事。難しく聞こえるかもしれないけれど。そんなに難しい事ではない。


 何も突然人が目の前で死んだりするのとは違うのだから。慌てる必要は無い。



 世の中のシステムと言うのは大なり小なり多少の曖昧さはあるがほとんどのものは『YES Or NO』で出来ている。


 YESのものはどこまで行ってもYESだし。NOのものは何をやってもNOなのだ。


 ただ最初から白黒はっきりつけてぴしぴしと答えが出せるわけじゃない。YESの場合はそれでよしだが。肝心なのはNOの場合だ。


 自分の『線引き』これがとても重要だ。



 『あきらめる』のとは違う。『引く』のだから。それを決めた自分をそうそう卑下する必要も無い。『自分の決断』に自信なんか誰だって最初からは持てない。


 けれどいつはどこかで『始めなくちゃならない』んだ。それが『本当の大人』なのだから。



 俺はよく人に言う。物事絶対に『感情で判断するな』と。必ず『自分の理性』で判断しろと。


 感情で決めた事は所詮感情で決めたこと。山の天気と一緒でころころ変わる。ということは『感情で引いたライン』はその日によって前にいったり後ろにいったりする。


 しかし『理性』とは自分の中の『正しい・正しくない』による判断だから。そうそう上下しない。というか上下しない『理性を持った自分を常日頃から持つ努力』が必要だ。



 社会に出れば『嫌だな』と思うことも率先してやらなくちゃいけないこともある。しかし『自分の理性』を犯してまでやる必要なんか無い。



 ただ間違えちゃいけないのは。先日とあるブログで見かけたのだが『私の友達が上司にキレて。怒鳴って会社辞めてきたんだって。さすが○○!!』とその友達を称えている話があったが。


 そのコはまだ10代だか20代前半なのだか知らないが。その時は確かに『武勇伝』レベルで仲間には称えられるかもしれないが。俺らくらいの歳になると。はっきり言って馬鹿扱いされて最終的には周りの仲間にも干される。


 またそんなことをしたら干されるくらいの緊張感を保てる仲間に囲まれないと駄目だ。


 今の例が示すように。『感情で決めた事』は。若いうちは『若さとバカさ』で何てこと無いが。年齢とそれに伴ってついてくる『責任や立場』で必ず『理性を求められる判断』を迫られる。


 社会のシステムと『個人的悩み』も全く一緒で。まずは『自分の理性と落ち度』をしっかり認識することが出来れば。


 おおよその事は『自分で判断して自分で行動できる』。



 『自分ははっきりしてるから。好き嫌いはっきりしてるから』そう自分で言う奴ほど『虚勢を張っている証拠』となってしまう。


 大切なのは常日頃から『適度な緊張感』を持つ事で。『自分と言う人間をあまり現実以上に高く位置づけしないこと』だ。


 人というのは『高まれば高まるほど』それに伴って『抱えるもの。抱えざるを得ないもの』が増えていく。


 もちろん周りも『それだけの人間だ』と見るから。人には逃げられなくなっていく。



 そこで初めて『虚勢と強がりに守られていた自分』に気付く。



 『自分なんて大した事無いですよ』それは一般的な『謙遜』だ。




 本当に『大人の謙遜』ができている人というのは。いかなる問題や事件にぶつかっても。結果的に必ず『自力で解決できる』。


 それが出来ないと言う事は最終的に結婚してる人なら家族を貶める事になるし。会社でなら部下を辛い目にあわせることになる。



       『己など仮に死しても。所詮宇宙の藻屑なり』



 人は『守るべきもの。失うものがあると』絶対に『弱くなる』。よく例に挙がるが『家族を守るために頑張れる』というが。死ぬわけには行かない。命を引き換えにするのはありえるだろうが。死ぬわけにはいかない。現実問題『生活がある』。



 だが。何もなければ『死んでも平気』だ。




 だから俺は言う。



 『本当に死を決意した人間は死ぬなどと人には言わない』と。




 人に言う奴は。結局『自分を守りたいから』言うのだから。




 『守るべきものがない人間の強さ』



 それを若いうちから『自分に叩き込んでおくのも』一つの大切な作業かもしれない。




 それが出来れば。再三言うが。『大人の謙遜』ができるようになるだろう。