皆さんクーラーの設定温度は何度になってますか?
既に『18度』。7月・8月は業務用冷蔵庫の中で『冬眠』ならぬ『夏眠』でもしてやろうかと思っています。
こんにちは。6月~10月上旬は体温調整が出来なくなる哺乳類の『木村』です。
さていよいよですね~。これを含めて2記事で終了です。
なんか長かった気もするしあっという間のような気もするし。
まあそこら辺は次の記事で書きましょう。
あの~時事ネタなんですけどね。『予告』にも書きましたけど。
世界のピアノコンクールみたいなのであの『盲目の青年』が優勝しましたね。各ニュース番組は大騒ぎですわ。
ね~~???どうなんですか?あれは?
昔から思うんですよね。おかしいでしょ?
俺が知りたいのは。もし『健常者のピアニスト』が同じ成績を残していたらあれだけ取り上げましたか?って聞きたいよね。
俺は彼が修めた功績を大したことないって言ってるわけじゃない。たしかにすごい事だと思う。
日本のマスコミってホント『ペンは剣より強し』じゃないけどさ。人間の人生なんて簡単に消し去る事が出来てさ。
例えば『痴漢』。
あれってやってなくても被害者が『やった』って言ったらほぼ100%有罪になっちゃうらしいんだよね。
まあやったやらない。バカ女の勘違いか否かはさておき。
あれごく稀に『無罪』を成立させる人もいるわけ。
捕まった時は超大々的に取り上げるくせに。無罪になったときはあんまりふれないでしょう?
新聞なら記事の大きさが全く違かったり。
だとしたら圧倒的に『無罪になった』事より『痴漢をした』って思われる確率の方が高くて。
っつうか人なんて例え無罪であっても『疑いをかけられた』って時点で特に日本人は『終る』よね。社会的に。実際そういう人いっぱいいるでしょう?
真面目に怖いよね。
下手な真似できない。
そういう『在り方』が『正しくない』ってわかってるのに『それ』がまかり通ってしまっている『現実』。これは本当に考えモンだと思う。
すごくひねくれた見方に見えるかもしれないけどさ。多分だけど俺は間違った事言ってないと思うのよ。
先日もちらっと『裏』で触れたけどあの『余命一ヶ月の花嫁』。あの人がどうしてあそこまで取り上げられたんだろう?
あの状態と全く同じ人がこの世の中にはいないの?って話じゃない?
あの人をモチーフにして『そういう人が世の中には沢山いるよ』っていうアピールなのかな?って思ってしまう。
少なくともああいう形で『収益』を得て。同じ境遇で苦しんでる人に寄付したりとかしてるらしいけど。それってどうなのかな?って思ってしまう。
それだけでどこか『不平等さ』を感じてしまうんだよね。
失礼な言い方だけど『当たりくじを引いた』みたいな。若くして命を亡くす瀬戸際に立たされて。それを『題材にしてもらえるくじ』を引き当てたみたいな。
きっといると思うよ。絶対に『あの人がああやって扱ってもらえるなら私なんかもっと扱ってもらえるはず』っていう『余命を宣告されてる方』がね。
もちろん到底俺になぞわかるはずもない『領域』もあるのだろうけどさ。
俺は障害者や命の期限がある人を『平等に扱え』って言ってるんじゃないんだ。
『その人だけじゃないはずだろ?』っていう意識をもう少し見せろって言いたいんだよね。
なんだろうな・・・上手く言えないけど。
あのピアニストの青年ならね。
『盲目のピアニストが優勝した』じゃなくて。
『日本人が優勝した。彼は盲目だけど』みたいな感じであって欲しいって事なんだよ。
あのニュースを見て泣いた人なんか一番うそ臭いっていうか。そういう『涙』って絶対に駄目だよなって思うんですよ。
その『泣いた人』がね。じゃあ健常者が優勝したら泣いてたか?って言ったら泣かないよね。多分。もちろん身内は除くけどさ。
『ハンデを乗越えて優勝した』って。なんかフェアじゃないっていうか。彼はあくまで『闘ったんですよ』。そして『勝ちとった』んですよ。そこに『盲目』は『ハンデ』じゃないだろう?と。俺はそう思うわけよ。
日常生活にその理屈は当てはまるかもしれない。世の中全て『健常者用』に作られてるから。
だけど『ピアニスト』としてその『戦場』に立ったらそれは別だよね。
もしそれが違うなら評価する人つまり優勝者を決める側だってそれつまり『盲目である』て事を加味あるいは差し引く事になる。
彼を『盲目なのに優勝した』と言うなら負けた側は『盲目の奴に負けた』と言うのだろうか?
俺はそんな事言う奴はまず『あの舞台』に立てないと思う。
人間ってどうしたって『感情的』で『感傷的』な生き物だとは思う。
でもそこに付け入ってくるマスコミみたいな奴らが生み出す『潜在意識を植え込もうとする動き』に騙されちゃいけないと思うんだよな。
もっともっと『真実』とか『大切な物』って身近にあって。それって必ず『自分自身』で見つけられるものだと思うんだよ。
月並みだけど。
あの『ピアニスト』には。俺ら健常者が当たり前に見えてるものは見えなくても。俺らには『見えてないもの』がばっちり『見えてる』と思うわけ。
そういう部分を踏まえた上で彼には心から拍手を贈りたいですよね。
というわけで。
次回は最終回。
じゃ。
既に『18度』。7月・8月は業務用冷蔵庫の中で『冬眠』ならぬ『夏眠』でもしてやろうかと思っています。
こんにちは。6月~10月上旬は体温調整が出来なくなる哺乳類の『木村』です。
さていよいよですね~。これを含めて2記事で終了です。
なんか長かった気もするしあっという間のような気もするし。
まあそこら辺は次の記事で書きましょう。
あの~時事ネタなんですけどね。『予告』にも書きましたけど。
世界のピアノコンクールみたいなのであの『盲目の青年』が優勝しましたね。各ニュース番組は大騒ぎですわ。
ね~~???どうなんですか?あれは?
昔から思うんですよね。おかしいでしょ?
俺が知りたいのは。もし『健常者のピアニスト』が同じ成績を残していたらあれだけ取り上げましたか?って聞きたいよね。
俺は彼が修めた功績を大したことないって言ってるわけじゃない。たしかにすごい事だと思う。
日本のマスコミってホント『ペンは剣より強し』じゃないけどさ。人間の人生なんて簡単に消し去る事が出来てさ。
例えば『痴漢』。
あれってやってなくても被害者が『やった』って言ったらほぼ100%有罪になっちゃうらしいんだよね。
まあやったやらない。バカ女の勘違いか否かはさておき。
あれごく稀に『無罪』を成立させる人もいるわけ。
捕まった時は超大々的に取り上げるくせに。無罪になったときはあんまりふれないでしょう?
新聞なら記事の大きさが全く違かったり。
だとしたら圧倒的に『無罪になった』事より『痴漢をした』って思われる確率の方が高くて。
っつうか人なんて例え無罪であっても『疑いをかけられた』って時点で特に日本人は『終る』よね。社会的に。実際そういう人いっぱいいるでしょう?
真面目に怖いよね。
下手な真似できない。
そういう『在り方』が『正しくない』ってわかってるのに『それ』がまかり通ってしまっている『現実』。これは本当に考えモンだと思う。
すごくひねくれた見方に見えるかもしれないけどさ。多分だけど俺は間違った事言ってないと思うのよ。
先日もちらっと『裏』で触れたけどあの『余命一ヶ月の花嫁』。あの人がどうしてあそこまで取り上げられたんだろう?
あの状態と全く同じ人がこの世の中にはいないの?って話じゃない?
あの人をモチーフにして『そういう人が世の中には沢山いるよ』っていうアピールなのかな?って思ってしまう。
少なくともああいう形で『収益』を得て。同じ境遇で苦しんでる人に寄付したりとかしてるらしいけど。それってどうなのかな?って思ってしまう。
それだけでどこか『不平等さ』を感じてしまうんだよね。
失礼な言い方だけど『当たりくじを引いた』みたいな。若くして命を亡くす瀬戸際に立たされて。それを『題材にしてもらえるくじ』を引き当てたみたいな。
きっといると思うよ。絶対に『あの人がああやって扱ってもらえるなら私なんかもっと扱ってもらえるはず』っていう『余命を宣告されてる方』がね。
もちろん到底俺になぞわかるはずもない『領域』もあるのだろうけどさ。
俺は障害者や命の期限がある人を『平等に扱え』って言ってるんじゃないんだ。
『その人だけじゃないはずだろ?』っていう意識をもう少し見せろって言いたいんだよね。
なんだろうな・・・上手く言えないけど。
あのピアニストの青年ならね。
『盲目のピアニストが優勝した』じゃなくて。
『日本人が優勝した。彼は盲目だけど』みたいな感じであって欲しいって事なんだよ。
あのニュースを見て泣いた人なんか一番うそ臭いっていうか。そういう『涙』って絶対に駄目だよなって思うんですよ。
その『泣いた人』がね。じゃあ健常者が優勝したら泣いてたか?って言ったら泣かないよね。多分。もちろん身内は除くけどさ。
『ハンデを乗越えて優勝した』って。なんかフェアじゃないっていうか。彼はあくまで『闘ったんですよ』。そして『勝ちとった』んですよ。そこに『盲目』は『ハンデ』じゃないだろう?と。俺はそう思うわけよ。
日常生活にその理屈は当てはまるかもしれない。世の中全て『健常者用』に作られてるから。
だけど『ピアニスト』としてその『戦場』に立ったらそれは別だよね。
もしそれが違うなら評価する人つまり優勝者を決める側だってそれつまり『盲目である』て事を加味あるいは差し引く事になる。
彼を『盲目なのに優勝した』と言うなら負けた側は『盲目の奴に負けた』と言うのだろうか?
俺はそんな事言う奴はまず『あの舞台』に立てないと思う。
人間ってどうしたって『感情的』で『感傷的』な生き物だとは思う。
でもそこに付け入ってくるマスコミみたいな奴らが生み出す『潜在意識を植え込もうとする動き』に騙されちゃいけないと思うんだよな。
もっともっと『真実』とか『大切な物』って身近にあって。それって必ず『自分自身』で見つけられるものだと思うんだよ。
月並みだけど。
あの『ピアニスト』には。俺ら健常者が当たり前に見えてるものは見えなくても。俺らには『見えてないもの』がばっちり『見えてる』と思うわけ。
そういう部分を踏まえた上で彼には心から拍手を贈りたいですよね。
というわけで。
次回は最終回。
じゃ。