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重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

最悪期

2008-10-28 | ぼやき

■場所 / 北名古屋市の自宅近く ■日時 2008.9.16 17:35 ■カメラ / Canon PowerShor G9 ■データ / F4.8 1/100秒 ISO80 焦点距離44.4mm / シャッタースピード優先AE 分割測光 ■レタッチソフト / JTrim Version 1.53 / PhotoScspe Version 3.1 使用


神社仏閣に行けば賽銭を上げ、手を合わせ、時には「お守り」を買ったりするくせに、
正直に言うと、
信心深くありません。
占いも、ほとんど信じません。

ただ「バイオリズム」だけは何か科学的根拠があるような気がして
信じたりします。


で、
先週末あたりから、こうしてパソコンに向かっていても何か気が乗っていない自分に気がついていました。

ブログのテーマを振り返っても、
日曜日の「都心の安らぎ/庭園『百花百草}』(名古屋)」はともかく、
一昨日の「脱出」といい
昨日の「壁を見る。」といい、
どうも陰気な話題ばかり書いています。

ま、
もともと根クラな性格なので仕方がないと言えば言えるのですが、
今日はとうとう、書くテーマさえ見失ってしまいました。
まるでヤル気が起きません。


なので、
「もしかして?」と思い、調べてみたんですよね、自分のバイオリズムを。

すると、
驚きです。

身体も、
感情も、
知性も、
私のバイオリズムは、まさに今日が 最悪!でした。

「ピッタシ、カンカーン!」なんて、自分で言ってる場合じゃありません。



というので、
今日も「撮って置き」の中から引っ張り出した1枚は、夕暮れの風景。

1日が終わってゆく物寂しさと、
夕陽の暖色と、
昔なら豆腐屋のラッパの音が横丁から聞こえてきそうな一瞬の風情が、
私は好きです。



明日は、
上昇に転じるバイオリズムのカーブが、
背中を押してくれるといいんですが――。

ガンバレ、自分!


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ポイ!

2008-10-21 | ぼやき


リア・ディゾンさんとかおっしゃるこの女性のことを、私、よく知りません。
「グラビア・アイドル界の黒船」とか呼ばれていて、歌手でもあるんだそうですね。
そうなんですかあ。
でも、なぜ「黒船」なんでしょう?

29歳のスタイリストとかいう男性と、入籍はまだだけど結婚式はすでに挙げていて、
いま妊娠4カ月の、つまり「できちゃった婚」なんだそうですね。

ライブのエンディングでそれを発表し、
その後に記者会見を開くには開いたけど、
記者からの質問は一切受け付けなかったんだそうですね。

そういうのも「記者会見」と言うんでしょうかね。


まあ私だって、若い頃は無茶をしなかったわけではありませんから、
あまりジジ臭い苦言は呈しませんが、

会見の最後で彼女自身が発した言葉の意味が、ますます分かりません。
「ポイしないでね」って、言ったんでしょ?

誰に「捨てないでほしい」とお願いしたんでしょうか。
ファンに? 所属事務所に? マスコミに? それとも私たち一般ピープルに?

まあ、見放されて「ポイ」されるかどうかは、
あなたのこれまでの、そしてこれからの、言動しだいによるんじゃないでしょうかね。

「おめでとう」は言いませんが、
まあひとつ、がんばってみてください。
世の中の厳しさが、少しは分かるでしょうから。



いずれにせよ私が気になるのは、
22歳のお嬢さんの「ポイ」話より、
こちらの「ポイ」です。



看板をよく見かけるのですが、
よく見かけるということは、それだけ不届き者が後を絶たないということですよね。


たしかに残念ながら、
自宅近くの国道の、中央分離帯もこのありさまです。



交差点の5mほど手前から急に目立つのは、
信号待ちしている間に捨てる輩が多いからでしょうね。
情けない限りです。



マナーが悪いのはドライバーだけではありません。

自宅近くの学校の自転車置き場で見たこれは、



「ポイ捨て」ならぬ「ポイ挟み」?


そして、スーパーの駐車場で見たこちらは



「ポイ捨て」ならぬ「ポイ被(かぶ)せ」?


こういう安易で自分勝手な「ポイ捨て」精神が、
やがては、
安易なSEXの結果、たまたま妊娠して生まれてきた、罪もない赤ちゃんたちの「ポイ捨て」につながりはしないかと、
オジサンたちは心配するのです。

分かっていただけるでしょうか?


(冒頭の写真は、Yahooニュースの画像から拝借しました)
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これでいいのですか?

2008-09-30 | ぼやき
かつて3年間、札幌で単身赴任生活を送りました。
戻ってからも、先週末がそうだったように、所用で数年に1度ほどのペースで帯広へ行ったりします。

利用するのはもちろん飛行機。
名古屋空港(いまは中部国際空港)― 千歳空港
あるいは名古屋空港―とかち帯広空港と、路線は違っても、
飛行ルートは似ています。

帰りのコースは、新潟あたりから日本列島を横切るように
長野・岐阜両県の上空を通過して、名古屋空港もしくは中部国際空港へ戻ってきます。


着陸20分ほど前から高度を徐々に下げ始めた飛行機の窓の下には、
長野県あるいは岐阜県の山間部が、だんだん近づきながら見えてきます。

そのたびに私はいつも、
とても悲しい気持ちになるのです。
つらい気持ちにもなるのです。

短時間でも楽しかった空の旅が、もうすぐ終わってしまうから?


違います。


こんな光景を、
目の当たりに見てしまうからです。




私は、自分ではしませんが、ゴルフというスポーツを、決して嫌いではありません。
休日にはよくテレビ観戦で楽しんだりもします。

でもね。


人口密度が1k㎡当たり343人と世界で5番目に多い(2005年)日本で、
言い換えれば、それほど人口の割には国土が狭い日本で、

直径1.680インチ(4.267cm)の小さなボールを
直径4.25インチ(10.8cm)の穴の中に入れる遊びのためだけに、

こんなにも乱暴に、
美しい山を削り、
大切な森や林を切り倒してしまって、
本当にいいんですか?


そんなことが平気でできてしまう人間の傲慢さを思うと、
悲しい気持ち、
つらい思いが、

いつの間にか煮えたぎるような憤りに変わっているのに気付き、
耐えられなくなって窓から覗くのをやめる、いつもの私です。


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たぶん、原因判明。

2008-06-18 | ぼやき


私が出勤途上に毎朝立ち寄る名古屋市北区「名城公園」の蓮池です。

正式名称は「御深井池」と名付けられているこの池を、
以前は私が勝手に「蓮池」と呼んでいたのは、
この季節になると、すくすく育った蓮の葉が水面をびっしりと埋め尽くし、
そう呼んだほうが分かりやすいと思ったからです。

しかし最近は、
この池を「蓮池」ではなく「御深井池」と正しく呼ぶことにしたのには、理由があります。


実は、
上の写真は一昨年の7月初めごろに撮った写真です。

それが
去年は――



ご覧の通り、葉がずいぶん少なくなってしまいました。
そのことを、昨年7月17日付の拙ブログで「何か変です。」と書きました。


それが今年は、
まだ1カ月早いとは言え、どんなふうになっているかと言うと――



………。
もはや、惨憺たる状態です。

素人目に見ても、
1カ月後に新しい葉が水面の半分、いや3分の1でさえ覆っているとは、とうてい考えられません。

「御深井池」の蓮はもはや死滅したと、
ほぼ断定していいんじゃないでしょうか。

これでは、「蓮池」と呼びたくても、呼べませんよね。


去年でさえずいぶん減ってしまった、真っ白で美しい蓮の花を、
今年はたぶん、一輪も見ることができないのではないでしょうか。
とても、とても残念です。


ただ――。





濁った水面の広さが目立つ今年の「御深井池」の
わずかこの一角だけは、
奇妙なことにこんなふうに新しい葉が育って伸びています。


「なぜ、ここだけなんだろう?」と不思議でなりませんでしたが、
今朝その理由を偶然、「名城公園情報」に詳しいある方から聞くことになりました。


「いつごろだったか忘れたけど、誰かが、そのあたりの池の中に、よほど大事な何かを落としたらしく、池の中に飛び込んで、底浚(さら)えして探したことがあったんだよね。それで、その辺りの底だけ、堆積していたヘドロが掻き回され、蓮の根っこに酸素が送られて助かったんじゃないの?」


おそらくそうに違いありません。


去年、生育の悪さの原因を管理事務所に聞いた時、返事は
「原因は分かりません。私どもが何かをしたとか、逆に、何かをしなかったというわけではありません」とのことでしたが、

いえいえ本当は、すべきだった手入れを、しなかったからではないんですか?

なんなら、
管理事務所のみなさんの、絶対に、絶対になくしたくない大事な物を、
池のあちこちに、ばら撒いて投げ込んでみましょうか?


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街角のワンちゃんたち。

2008-06-08 | ぼやき
車通勤の毎朝立ち寄る名古屋市北区「名城公園」では、
しばしば「公園ネコ」にカメラを向けては当ブログにアップする私ですが、
基本的には「犬好き人間」です。

ただ、
さすがに「公園イヌ」を見掛けることはなくなったご時世だけに
ワンちゃんたちの写真を載せる機会はほとんどありません。

でも、
どこかで見かけるたびに、
ちゃんと撮ってはいるんですよ。

たとえば、



とか、




とかね。

両方とも、見つけた場所の「名古屋港イタリア村」がその数カ月後に自己破産し、
再開のメドがまだ立っていませんから、
もしかすると貴重な「お宝映像」になってしまうかも知れません。


一方こちらは



自宅近くの喫茶店の前でいつもお客を待っている「店番犬」です。
顔の向きが時々変わっているのは、
掃除の度に動かされるんでしょうかね。

ちなみに、
この喫茶店には私、
まだ一度も入ったことがありません。


ともあれ、
いずれも愛らしかったり、賢そうなワンちゃんばかりですが、

そんな街角のワンちゃんたちの中で
私が、会った瞬間に一目惚れしたのが、
静岡県磐田市のある店先に居た彼(?)です。



なんと聡明そうな顔立ち、
なんと優しそうな眼差しなんでしょうか。

もし何か心に迷うことが起きたなら、
もし何か心がささくれ立つような出来事があったなら、
もし誰かに慰めてもらいたいと思うことができたなら、

車を飛ばしてでも彼に会いに来たくなるような、
そんな慈悲深い包容力を、彼に覚えました。


それなのに……。



本当は、以上の話を書くだけで終わるつもりだったたまたま今日、

東京・秋葉原で、
ナイフを持った「狂犬」が暴れ、
何人もの人を殺(あや)めたとニュースが伝えています。


人間社会が、
荒(すさ)んでいます。


とても、残念です。
とても、悲しいです。
とても、とても腹が立ちます。


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ニューフェイス登場。

2008-05-26 | ぼやき


通勤途中に毎朝立ち寄る名古屋市北区「名城公園」で、
今朝、私のカメラバッグを占拠したのは彼(それとも彼女?)でした。


彼(とりあえず)の名は、



知りません。
と言うより、
たぶんまだ名前はないと思われます。

なぜなら彼は、
ここ「名城公園」の、私が勝手に「ネコだまり」と呼んでいる御深井池近くの東屋に



今朝、捨てられているのを発見されたばかりだからです。


先週の金曜日、
私のカメラバッグに擦り寄ってきたのはこちらの彼女(それとも彼?)でしたが、



彼女(とりあえず)を含めて先週は、
なんと12匹の子ネコがこの場所に捨てられていたと「公園の住人」さんから聞きました。

東屋の柱には、



こんな貼り紙が貼られているにもかかわらず、です。


そして、
もっと残念なのは、
その12匹のうち3匹が、
すぐに死んでしまったということです。



捨てるぐらいなら、
なぜ事前に、せめて避妊させなかったのでしょうか。


そんなふうに私たち人間があまりにも無責任だから、
彼らに
こんなに厳しい眼で、叱られるのでしょうね。




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どっちが大事?

2008-05-12 | ぼやき
9日付の拙ブログで「バラ園」をご紹介した名古屋市西区「庄内緑地公園」内には
こんなモニュメントもあります。




足元のプレートには



「国際親善の鐘」と記されています。


少し見づらいのですが、
8本のアームのそれぞれ頂点に吊るされた鐘は
内側にモーターが各々取り付けられていて、
定時になると、ドレミファソラシドの各音階を打ち鳴らし
園内で遊ぶ人々に時刻を告げる仕組みになっています。


その鐘のアームの下を通り抜けながら、何気なく鐘を見上げた時です。



「えっ!?」

鐘の中から、何かが垂れ下がっています。

改めて目を凝らすと……。
お分かりになりますか?


どうやら鳥が、鐘の中に巣を作っているようです。
耳を澄ますと、巣の中からは「チイチイチイ」という鳴き声も聞こえてきます。


「何の鳥だろう?」と、しばらくたたずんでいると、
主(あるじ)が突然帰ってきました。



スズメです。
くちばしに、昆虫を咥(くわ)えています。

改めて見直すと、
8つの鐘の全部に、巣が作られていました。
そして、それぞれの巣から「チイチイチイ」という子スズメの鳴き声が聞こえます。

スズメにどんな外敵がいるのか知れませんが、
いずれにせよここなら安全。
絶好の場所を見つけたものです。

ただ――。


あることが気になったので、
帰る前に、公園の管理事務所に寄ってきました。

「あのォ、噴水の前にある『国際親善の鐘』のことですが、あの鐘って、現在も時刻になると鳴らしているんですか?」
「あの鐘? ええ、鳴らしてますよ」
「鳴らしている? でも、いまはスズメが鐘の中に巣を作っていますよねえ?」
「ああ…。それで鐘の音が変になったから、この前、一度取っ払ったんですけどね」
「えっ? 取っ、取っ払った? せっかく子育てしている巣を?」
「………」


もう一度書きます。
どんないわれで出来たのかは知りませんが、あの鐘は「国際親善の鐘」だそうです。

その鐘の音を美しく響かせるために、
人間という動物は

野鳥が苦労してせっかく作った巣を、
お腹を空かせた子スズメが「チイチイチイ」と鳴いて親を呼んでいる巣を、
容赦なく取っ払ってしまう非情さを持っているんですね。


「鐘を鳴らすのを、すぐ止めなさいよ!!」

久しぶりに、声を荒げました。




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裸電球。

2008-05-07 | ぼやき


連休中に出掛けた静岡市内の、お気に入りの某古民家カフェには、
裸電球が1個、天井からぶら下げられています。


「裸電球」――。

私のようなオジサン世代は実は、
「裸電球」を見るたびに、いろんなことを頭に浮かべてしまいます。

貧しさ、
切なさ、
寂しさ、
わびしさ、
そして、空しさも。


とは言いながら私自身は、裸電球1個しかない家庭に育ったわけではありません。
それでも、
私たち世代にとって裸電球はやはり、
暮らしが決して豊かではなかった少年時代の象徴であり、代名詞であり、形容詞でもあります。


その裸電球――つまり家庭用の「白熱電球」が、
数年後には、姿を消すことになるんだそうですね。

政府が、地球の温暖化対策の一環として、消費電力が多くエネルギー効率が悪い白熱電球の製造・生産を2012年までに終了させ、
白熱電球に比べて消費電力が少なく長持ちする「電球型蛍光灯」への切り替えを促す方針を昨年、明らかにしています。

これを受けて、白熱電球の製造シェア第2位の東芝は先月、2010年を目途に家庭用白熱電球の製造をやめる方針を打ち出し、
トップメーカーの松下もそれに追随する動きを見せています。

家庭の白熱電球を全部、電球型蛍光灯に切り替えると、
家庭から出る排出ガスの1.3%に当たる約200万トンを削減できるのだそうです。


国民というよりは「地球人」の一人として、温暖化防止対策にできるだけ協力しなければならないことはもちろん分かっています。
でも、
だからといって白熱電球を、
私たちの暮らしの中から完全に追放してしまって本当にいいんだろうかと思ってしまうのです。


電球型蛍光灯は、たしかに消費電力は少ないかも知れません。
けれど、電球型蛍光灯1個の価格は、白熱球の10倍前後もして、高価です。
白熱球に比べると構造が複雑で、部品も多くなるため、
それらの製造に伴うあらゆる排出ガスをひっくるめて考えれば、それほど大きな排ガス抑制メリットはないとの説もあります。

それに蛍光灯は、
電極を暖める必要があるので、点灯しても最初は薄暗く、本来の明るさに達するまでに時間が掛かります。
トイレなど点けたり消したりを頻繁に繰り返す使い方では、製品寿命が短くなります。
さらに、白熱電球のように電圧を変えて明るさを微妙に調節することもできません。


そして何よりも、
白熱電球が持つあの、人間の「温もり」を感じさせる柔らかで穏やかな光を生み出すことは
電球型蛍光灯には、少なくとも現在の技術ではまだ、難しいそうです。

それでもなお、
白熱電球を完全追放してしまうことに強い抵抗感を抱くのは非合理的・非経済的で、
時代遅れの安っぽい感傷に過ぎないと、
本当に言い切れるのでしょうか。


「裸電球」という言葉が、それほど遠くない将来、「死語」になろうとしています。

蛍光灯の、どこか寒々とした青白い明かりの下で育った若い世代が、
これからどんなふうに、
人間の温かさを感じられるような世の中を築いて行くのだろうか、築いて行けるのだろうかと、
オジサン世代は危惧するばかりです。




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「監視」

2008-03-12 | ぼやき
おととし12月「新バリアフリー法」が施行され、
一定規模以上の公共施設や高速道路のサービスエリア、百貨店・スーパーなどでは
「身障者用駐車場」の設置が義務付けられました。

今日、
借りていた本を返しに行った名古屋市立の某図書館の地下駐車場にも、



2台分の専用駐車場が用意されています。

スペースの真ん中にそれぞれ鉄柵が置いてあるのは、
そうしないと黙って駐車する健常者の不心得者がいるからと思われます。

本当はわざわざこんな対策をしなくて済む社会ならもっといいんでしょうが、
ま、仕方ありますまい。

ただ――。


その置かれていた鉄柵に架けられていた看板を見て、
とても不愉快な思いになりました。

だって、



「身障者専用」の下に書かれていたのは、
「ご利用の方は監視室へ」の文字。

「管理室」ではなくて、
「監視室」ですよ。


「管理」と「監視」――似ているようで、意味はまったく違います。
「管理」する対象は施設、
「監視」する対象は「利用者」、つまり「人」ですよね。

なぜ、
「管理」と書いたのではダメで、
「監視」でなければならないんでしょう。
新バリアフリー法の趣旨であるはずの、人への優しさや暖かさがまったく感じられない、
とても距離感がある、冷ややかな言葉の使い方です。

その「監視室」のドアには、



「監視人室」という木札が貼られていました。


図書館という、パブリックスペースの利用者の行動を「監視」すると書いて平気な、
むしろ心の中にバリアを持っているようにさえ思うお役人的感覚・発想に
猛烈に腹が立つ――とまで言っては、私の考え過ぎ、言い過ぎでしょうか。



夕もやの中に沈んで行った今日の夕陽は、
真っ赤な輪郭がくっきり見えて、
少し幻想的でした。


■場所/北名古屋市「パレマルシェ」屋上 ■日時 2008.3.12 17:39:35 ■カメラ / NIKON D80 ■レンズ / AF-S NIKKOR 70-300mm 1:4.5-5.6 G ■データ / F4.5 1/250秒 ISO160 焦点距離70mm 露出補正±0 / シャッタースピード優先AE スポット測光 

ボケテハ イカン。

2008-03-04 | ぼやき
今日は、少し悲しい出来事がありました。


仕事柄、図書館で本をよく借ります。
今日も出掛けて、1冊借りてきました。



早速、斜め読みしながら、参考になりそうな箇所に、まず付箋を付けました。

付箋を付け終わり、その部分のコピーも終わったその本を、
サイドデスクの、ほかにも何冊か積んである一番上に重ねて置いた時です。

中ほどにあった1冊に、目が止まったのです。



あれっ?




………。




腰巻き(帯)が、あるかないかの違いだけで、
どう見ても……、
同じ本じゃないですか。



今日この本を借りに行く前、名古屋市内20図書館の蔵書をネットで横断検索したところ、
いつも行く最寄りの図書館では「貸し出し中」になっていたため、
やむなく少し遠い別の図書館まで足を延ばしたんですよね。

借りて帰って、読みながら、「なんか変だなあ」とも、思うには思ったんです。

でもまさか、
いつもの図書館では「貸し出し中」になっていたこの本の借り主が、実は自分自身だったとは、まったく気付かなかったのです。




今日の「事件」は、
少なくとも私にとっては、少し――いや、少しどころかとても、悲しいお知らせでした。



会社のパソコンの壁紙を
こちらに替えようかと
真剣に考えているところです。




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