映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
曽野綾子「黎明」
2012年07月18日 / 本
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発行所 石川近代文学館
発行年 2000(初出1954)
石川近代文学全集 第10巻
島根大学図書館にて
島根大学図書館の本棚を物色していると
「石川近代文学全集」の一冊に曽野の名前を発見。
確か彼女は東京出身では?どうして石川なんだと開いてみると
13歳から14歳つまり、昭和19-20年の11か月間、疎開のため来ている。
金沢での戦時下の生活が描写されているので、この全集に採録されたわけ。
珍しく、自伝的作品だというので期待して通読した。
戦時下の女学校や金沢の描写には別に不満はないが
父親があまりに一方的に悪い奴になっているのが気になった。
これでは、母子寮への志願者の「駆け込み訴え」である。
かりにも作家なのだから、もっと客観性のある描写が望ましい。
父親が単なる性格の悪い男なのか、それとも精神的に異常なのかはわからないが、この夫婦は育った環境があまりにも違い、どうやら母親のほうが頭脳も人物も父親より大きかったらしい。そんな妻への劣等感で夫は暴言暴行に走っているふしもある。それにしても
なぜ父親をここまでリアリティのない小人物に仕立てたのか?
だれでも双方の親から遺伝子を受け継いでいる。やや異常な父親から、彼女の精神と才能が受け継がれているとは言えないのだろうか。母親は、100%犠牲者のようになっているが、娘の子供時代を悲惨なものにしたことへの責任はないのか?曽野の文学には「死臭が漂う」という説がある。その原因の一つは母娘心中未遂を起こした母親じゃないのか。この小説にあるように、10代前半の娘に東大生の許婚を選んだのは、そしてそれが完全に誤った選択だったのは、彼女の男性を見る眼に曇りがあるからではないのか?夫の選択の際もそうだったのではないのか?小心実直な夫を怒らせ続けたのは、彼女の性格の悪さまたは判断の悪さゆえではないのか?
読者からはこうしたことが見て取れるけれど、20代前半の著者にはそれが見えない。なぜか?彼女は父親よりもっと父親らしい保護者的存在ーそれは神か、夫か、編集者かわからないがーに向かって、一生懸命、涙を浮かべながら、自分の不幸をぺちゃくちゃと訴えているのだ。宇宙にただ一人立つという気概がない作家に人間の真実が見えるのか?その後、父母と自分の関係について、冷静になって思いをめぐらした文章が書かれたのかは知らないが。
⇒「曽野綾子」2012-02-01
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