映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
映画「甘い生活」


1960 伊 175分 ★午前十時の映画祭★松江SATY東宝にて
監督 フェデリコ・フェリーニ 出演 マルチェロ・マストロヤンニ アニタ・エクバーグ アヌーク・エーメ 原題≪DOLCE VITA≫
これはどういう風に感想を書いたものだろうと、終わりが近づくにつれ、困ってしまった。当地の観客は見巧者が多く、ロビーでの声は参考になるので耳を傾けるようにしているのだが、今回は「わからない!何を言おうとしているのか…」と言う私より少し年長の?女性の声がして、私はホッとした。それというのも筋らしい筋があるわけではなく、娼婦や男娼や貴族たちが出てきて、おもちゃ箱をひっくり返したようなパーティの乱痴気騒ぎがずっと続くような印象が強い。その合間には額縁のようなひっそりとした時間があって、そこが見どころに思える。
ネタバレあり
出だしは面白いと思った。古代ローマ遺跡の真中にサッカーゴールが立っていて、空にはヘリコプターが巨大なキリスト像をぶら下げて運んでいる。ビルの屋上で水着姿の女性たちがキャッキャッと喜んで手を振る。どうやらカトリックのキャンペーンという設定だそうだが、バチカンは激怒したそうだ(屋上のプールは「ダーティ・ハリー」に引き継がれたのかな)
夜中にパーティ客が酔眼で「あのちらちらする明かりは何?」「あれは耕耘機。夏は夜も働いているの。」という問答だとか。清純な少女が≪タイプライターって高いの?≫と尋ねたりする。その少女が最後にまた出てきて、遠くのほうで手がタイプをするように動かしながら何かを言いかけるのだが、主人公には解らない。これは「青春群像」に出てくる真夜中の鉄道労働者を思い出させる。また夜中に娼婦を乗せて車を走らすのは「太陽がいっぱい」を思い出させる。
「エマニュエル夫人」「悪魔が夜来る」などでその特異な風貌が忘れられないアラン・キュニーが知的な友人の役で登場している。しかし彼も、悲しい結末を告げる。
アヌーク・エーメが「マッダレーナ」という名前で登場する。「マグダラのマリア」つまり名前からして娼婦。、主人公を誘惑するような、しないような、熱愛するような、しないような、彼女の美貌とけだるい雰囲気、当時はさぞ騒がれただろう。
最初に見たのは 1982-8-16 東京の映画館で。
●フェリーニの他の作品
「青春群像」 12-5-28
「道」 12-8-23
●マストロヤンニ
「マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶」07-9-13
●アヌーク・エーメの出た映画
→「男と女」 11-11-24
→「モンパルナスの灯」9-11-28
●「ダーティ・ハリー」 12-8-10
●「太陽がいっぱい」 11-11-17
●妖艶な女優たち
→「赤い航路」 11-3-23
→「お熱いのがお好き」 11-4-7
→「ノックは無用」 10-10-18
→「何がなんでも首ったけ」9-1-1
→「追悼・山田五十鈴」 12-7-14
→「卒業」 12-7-30
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 映画「灼熱の魂」 | 映画「ニュー... » |
「ご免なさい」?NO、NO!コメントはいつでも歓迎です。
DVDのレンタルを始めたとは嬉しい知らせ。Tsutayaの会員になったんですか。いま一日一本シニア無料サービスやっているでしょう。そうそう、マストロヤンニ後年はもっぱらコメディアン的ですが、このころは陰のあるいい男ですよね。若い日は2枚目だったという男優、一般人でもそうですが、いますね。(日本では勝新太郎)「異邦人」も始めは意外な配役だと思いましたが、よくあっていましたね。それにあの映画はヘンに難しく無くて面白くできていました。10PMなので運転手兼用心棒についてきた弟が眠らずに見ていましたもの。
梅田に名画座があったんですね。男友達と一緒に行くなんて、青春ですねえ。私は鹿児島におり、「異邦人」は、ある映画館が通常営業のあと、その夜たった一回の上映だったのです。寒い夜でしたが市内の映画好きが列を作っていたのを思い出します。あのころ私も、カミユの本をいろいろ読み「唯一重要な問題は自殺だけ」という文に惹かれて「シジフォスの神話」を読んだりと、これも青春でしたね~。
紳士協定はユダヤ人のふりをするというカザンの作品ですよね。グレゴリー・ぺっくが立派すぎてちょっと実感がわかない配役でしたね。その店いい作品をそろえているようみたいだから「そのうち」期待してます。