映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
「バルザック」
2021年01月20日 / 本

シュテファン・ツヴァイク著 水野亮訳
早川書房 1980 発行 (初出 1945)
正月にゆっくり読もうと暮れの26日に借りて、昨19日読了した。生涯のほとんどを借金取りから逃げ回っていたバルザックは、外国での方が文学的名声が高く、しばしば王侯のような歓迎を受けていたらしい。著者の故郷ウィーンでも大変な人気だったから、この著書にもツヴァイクの尊敬の念がよく表れており、彼を妨害する人やものへの怒り、本来の資質を出せない状況への歯がゆさ、彼を助ける人々への感謝、などが伝わってくる文に引き込まれる。
これまでバルザックについてはロダンの像以外ほとんど知らなかったが、あの異様な、寝間着のように見える衣装は、夏・冬用にそれぞれあつらえた僧服だったということも、なんだか納得がいき、共感もした。彼の寿命を縮めたコーヒーや異常なまでの長時間執筆と大量の作品、そして政治や実業への野心にも驚いた。
学生時代に「谷間の百合」を読んだが、いまいちピンとこなかった。最近「ランジェ公爵夫人」を読み映画も見て、ロマンチックだとは思ったがこれも変な話に思えた。「金色の眼の娘」またしかり。ところがこの伝記を読んで、それぞれの作品のモデルとなる女性たちを知ると、初めて、バルザックの意図がわかった。現実の女性への復讐であったり、感謝であったりなのだ。
また、彼の文章の一部分の誇張とか感傷性が、初期の乱作の影響だということもわかった。彼の作品は、出来不出来の波が大きく、何冊か読んだだけでは彼の天才は分からない。芥川龍之介は、バルザック全集を、友と競争で読んだそうだが、(しかも当時まだ邦訳されていず英訳で読んだというのも驚きだが)、それはこういうことかと思う。
多くの女性と付き合ったバルザックだが、何よりも彼に影響していたのは母親で、一種のマザコンといえる。モームの「世界の十大小説(上)」によるとバルザックは「自分は母親によって滅茶苦茶にされた」と言っているがそれは逆で、「母親のほうこそがバルザックによって滅茶苦茶にされたのだ」と断じている。いかにも、早逝した母親を美化し続けたモームらしいが、私は、バルザックが正しいと思う。ただし、死ぬ直前に長いこと恋していたハンスカ夫人と結婚した時、新婚の豪邸の準備をさせた挙句に、花嫁が着く前に退場させた、あの件に関してはいくらなんでもあんまりだ、この点はモームの言う通りだ。
農・商出身の両親を持った彼は貴族の称号に弱かった。また初期の乱作にあるように、自信と自尊心をもっていないかのような無茶苦茶な働き方もしたが、「谷間の百合」のモデルのベルニー夫人が現れて、初めて人生の方角が定まった。人生への基本的信頼が持てなかったのは、意地悪で心の冷たい母親のせいだと思う。そのくせ彼と母親は不思議に似通った性質があり(投機への傾向など)最後は妻ではなく、さんざん悪口を言って来た母親に看取られて死んだのである。
バルザックは巨大すぎて、とても一言では語り切れないが、彼の眼力のすごさの一例は、当時評価されなかった「パルムの僧院」をいち早く見出したことである。また著作権について戦ったのも彼が最初だという。物事の本質を見抜く目があったという点で尊敬すべきだと思う。
→「バルザック書簡集」21-2-17
→「金色の眼の娘」20-12-15
→「ランジェ公爵夫人」9-11-12
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