私が中学生の1957-59年ごろ創刊された家族新聞である。
18歳で進学のため出郷した兄姉と家族をつなぐためにと考案された。
名前は、公募と投票の結果、この案に決まった。候補作は珍妙なの深刻なのとりどりで、どれもいまひとつだったが、「『なかよししんぶん』がいいよ、これにしなさいね」と、弟が自信たっぷりで事前運動したのが効いた。当座はなんとも幼稚な題に思えたが、今となってはなかなか適切なものと思える。昔、親に庇護されてぬくぬくと巣ごもりしていた時代が思い出されて。
さて当初は規則的に出ていたこの新聞、いつからか途切れがちになって、手元にたった一部だけ残っているのは、1965年2月10日、東京オリンピックの翌年に出されたものだ。
ガリ版ホッチキス綴10頁。題字は、弟の字だろうか、末子への母の愛が感じられる。
寄稿は弟16歳、私20歳、長姉25歳、兄26歳と父60歳、母53歳で、何故か次姉22歳のがなく、その代わりとでもいうかのように幼ないころ近所に住んでいたその友人(21歳女)の短信が入っている。そして母はガリ切を引き受け編集後記まで書いている。
オリンピックに関する文が多い、その内容については、そのうちに。
執筆者の了解を取らないと怒られるかな??