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スタバ風景

        生垣のそばに駐輪して

スタバ正式にはスターバックス、米国に本社のある珈琲チェーンである。これがないと都会ではないと言う人もいる。ちなみに、現在、このスタバがない県は青森、徳島、山形、鳥取、島根の5県。しかもそのうち青森と徳島には今年中に進出する予定だから、残るは山形・鳥取・島根の3県だけ。ここまで来たら島根も、なまじジタバタせずに最後の一県となるまで頑張ってほしい。ここはお茶の文化が根付いているからね、と夫は島根を弁護する。

スタバに憧れて上京する島根の女性を、マンガ家フロッグマン(蛙男)が描いていたけれどその「都会の象徴」に、5月のある朝わたしは座っていた。東京都中央区日本橋の近くである。私は5泊6日の旅行を終えて、5分ほど離れたホテルのチェックアウトも済ませたところ。ほどなく徒歩10分の東京駅から、新幹線のぞみ号に乗ろうとしている。むかし鹿児島とか吉祥寺では入ったこともあるが、お江戸日本橋のそれだって、覗いておいてもいいではないか。

私は珈琲とクロワサンにした。計510円。店内は商談中の勤め人らしいのが一組、あとはひとり客が多い。中でも岩波文庫を(カバーは無い)読んでいる若い男性が目に付いた。サイクリストらしく、ズボンの裾が縛ってある。外を見たら、街路樹の下にスポーツタイプの自転車が数台とまっている。おやおや「ジェイン・オースティンの読書会」か?

時刻は日曜の朝10時半、通り過ぎる自転車の若い男女。車は遠慮がちで、歩行者は堂々としている。これこそ都会の風景だ。車がわがもの顔に占拠する町を思って感慨深い。

それにしても、自転車に岩波文庫、これは昭和20~30年代の風景だ。(こんな洒落た型ではなかったが)涙が出るほど懐かしい。車万能の時代から、いつの間にか世の中は変ってしまったようだ。私にとっては嬉しい発見。


→「すなば珈琲」14-4-24
→「鳥取」16-8-10


コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (稲みのる)
2010-05-23 18:02:57
余計なお世話でゴメンナサイ。「昭和20年台」は、もしかしたら、「昭和20年代」かな。数量の範囲は「台」、期間の範囲は「代」。「代」に言及した過日の貴台のブログ記事を拝見して以来、代と台が気になってしまった次第。大それた発言をゴメンナサイ。

追伸:四文字熟語はお手上げでした。黙考の余裕もなく、はなっから万歳でした。
 
 
 
稲みのる様 (Bianca)
2010-05-23 18:21:54
いやいや全くその通りですね。恐れ入りました。内心ちと怪しいぞと思ってはいましたが、直すに至らず。どうもありがとう御座います。動き出した車が暴走してバラバラにならないように気をつけなければ。早速直しておきますわ。
 
 
 
昔の青年 (ハコベの花)
2010-05-24 21:20:17
なぜか懐かしい風景ってありますね。今では喫茶店も見かけなくなり、ちょっとお茶をなどと言って寄る所もありません。私の青春時代は喫茶店ばかり、時々、昔の青年が懐かしくなります。たった百円しか、持ち合わせの無い苦学生に、珈琲を奢られたことがあります。一杯50円、彼にとっては大きなお金だったと思います。綿ギャバの学生服、ヨレヨレのコート、大学生が学帽をかぶっている時代でした。珈琲はあまり好きではありませんが、がまんして飲みました。
その後、お会いする事もなく、大学教授になられたと風の便りに聞きました。とても嬉しかったです。珈琲百杯ぐらいお祝いに差し上げたいと思いました。
 
 
 
次回は声をかけてください (J.T.)
2010-05-25 00:54:37
えー、東京へいらしてたのですか。
今度、いらっしゃる時は是非声をかけてください。
スタバでもタリーズでも・・・いやいや、もっと落ち着いた喫茶店で、お茶でもご一緒させてください。

食後のお茶は、スタバよりもタリーズコーヒー(Tully's Coffee)が近くにあるので、そこでソイラテ(ラテの牛乳を豆乳に変えただけですが)を飲むのが定番になってます。でも、本当は昔風の喫茶店でゆったりした気分でブラックコーヒーを飲みたいんですけどね。
 
 
 
Unknown (C.C)
2010-05-25 16:38:32
スタバはほんとどこにでもありますね。United Airlineのコーヒーもスタバです。私は極力スタバを避けているタイプ、やっぱり昔からあるカフェの方が趣があって好きです。日本の喫茶店なんて大好きです!マスターがこだわってコーヒーを入れてるなんてホント日本的!でサラリーマンとか学生が休憩で単子本を読んでいる光景なんていいですね~。この喫茶店がスタバに変るのはやっぱり時代の変化なんですね。
 
 
 
ハコベの花さま (Bianca)
2010-05-26 08:05:06
貧しい学生が大枚50円はたいて!その方が大学教授に!一篇の物語ですね。そういえば、わが町にもG線(ゲーセン)とか「ユニオン」とかいう名曲喫茶がありました。当時は(今もですが)自宅に人を招くわけに行かず。暗くて煙草の煙が立ちこめ音楽のただよう喫茶店は大人の世界への入口。珈琲も家庭では口にできない未知の味でした。少し上の世代では学生はみな学生服でした。そして下駄履きも。兄は学生服しかなく会社受験の時は親戚のぶかぶか背広を借りて行き、「大病をしましたか」と面接官に聞かれたとか。すべて懐かしいですね!
 
 
 
J.T.さま (Bianca)
2010-05-26 08:32:24
そういえば、東京のそのあたりは、貴方のよく出歩かれる場所でしたね。夜のライトアップされたビルを撮ったとき、J.T.さんの夜桜を思い出していました。声を掛けてとのおことば大変嬉しいです。今回は12年ぶりの上京で、ひとりで感傷にふけったり映画を観るので忙しく人とは会いませんでしたが、いずれは当地も去って、気楽に上京できる出来る時が来ると思います。
 
 
 
CCさま (Bianca)
2010-05-26 08:53:41
スタバって、それがある土地の人には日常的な存在なんですが、それがない土地では貴重な存在になるのです。縄文の日用品に高値がつくようなものでしょうか。それに、この町にはSEVEN-ELEVENEもないのです。(若者が少ないので、出店しても採算がとれないらしい)そうすると、スタバやSEVEN-ELEVENが見たければ東京に行くしかないということになるのですね。ヘンですが・・・。勿論、真剣にそう思っているわけではありませんよ。そういって自分を茶化しているのです。CCさんは東京ーNYーロンドンといつも都会に暮らしているので、こんな話ピンと来ないかな?
 
 
 
苦学生 (ハコベの花)
2010-05-29 19:54:45
珈琲の話が出ると私は苦学生のその後の人生を聞いてみたくなります。珈琲を飲みながら彼の語った壮絶な貧乏に驚かされ、つくづく貧乏はイヤだと思いました。その時彼は授業料の滞納で退学処分を受ける寸前、京都の叔父さんに借金をしに行く途中で、東京から鈍行の片道切符しか持たず、浜松に途中下車して私の友人の家に寄ったのだそうです。
家からの仕送りが全くなく、肉体労働と売血で何とか生きていると言っておりました。その後、友人から聞いたところ、叔父さんからお金も借りられず、10円だけ貰い、入場券で検札を逃れながら東京まで帰ったのだそうです。その後の人生は全くわからなかったのですが、15年位前に友人から彼が教授になったと聞きました。コッペパン1個が一日の食事だった人の50円の珈琲には長いこと胸が痛みました。私にとっての珈琲は実に苦いものなのです。
 
 
 
Unknown (稲みのる)
2010-05-30 09:32:22
一杯のコーヒーで数時間を過ごし、灰皿はあふれんばかりの吸殻を満たす。今時、そんな横暴を許す喫茶店は少ないのでしょうね。喫茶店にゲーム機が導入された頃から喫茶店のスタイルが変わってしまったみたい。加えてファミレスの台頭で純粋にコーヒーを味わう場所が少なくなってしまったかな。我が家の近くに喫煙自由のコーヒー専門店が頑張っているけれど、店内はファミレス風。もちっと薄汚い方が落ち着くような気がする。
 
 
 
ハコベの花さま (Bianca)
2010-05-30 10:28:24
五木寛之の「青春の門」のようですね。売血と肉体労働・・・コッペパン一個で一日過ごせば、一個10円として、1ヵ月300円あれば過ごせるかなあと計算したことがありますが、実際にそんな人に会ったことはありません。立派になられてよかったですね。これが、戦争に出て帰ってこないなんてことだと、もっとつらい・・・。きっと貴女にあと何日か飢えてもいいくらいの魅力を感じていらしたのかな。
 
 
 
稲みのる様 (Bianca)
2010-05-30 10:35:45
恐竜が滅びたように、喫煙自由の空間は絶滅の運命にあります。こうなったら、無人島に逃げ出すか、地下シェルターにでもこもって、煙草と心中する覚悟をするほかは無いでしょうね。お茶の水のあの喫茶店は永遠に過去のもの。貴方こそ「昔を今に」の心境?
 
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