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「ノー・バース運動」

 
 
これは私の27歳の日記帳に貼ってあった新聞の切り抜きだ。一読わが意を得たりと感じていまだに忘れられない。
 
                  
  ノー・バース運動はいかが       
 調布市 T.H.(伝道師 39歳)
(朝日新聞「声」欄1972年1月4日)
 
 ことしのキャンペーンの一つとして、ノー・バース運動はどうであろう。大抵のアメリカ産社会運動を世界に先がけてまねるわが国が、まだゼロ・ポピュレーション(人口ゼロ)はマネしないようだが、人口のあくなき増加こそ、あらゆる公害の根元であり、戦争の原因となり、不景気、人類の共倒れにつながるという認識になぜ人人はおびえないのだろう。
 ベビーブームとやらの無責任な現象さえ私には不可解である。あれほどの悲惨な戦争直後に、日本人はなぜ「存在とは何か」の哲学を持ち得なかったのだろう。無知とイージーは、今日の日本列島を人だらけにしたが、それにもこりず第二次結婚ブームに突入しようとしている。これでは二十年後のバクハツ的人口増加が思いやられる。もういい加減に、子供に目を細める風習をやめてほしいものだ。でなければ、現在すでに自分の子供たちと入居を争っている住宅を、今度は孫と争うことにもなろうし、全国どこへ行っても、人だらけ、車だらけ、ゴミだらけとなる。
 幼稚園と病院はパンクし、焼場まで順番待ちという、輝かしいお粗末の未来は、確実に、あなた方自身のものとなるであろう。
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私にとっては自分の生き方を肯定されたようで意を強くしたし、この歯切れのよい表現には胸のすく思いがしたが、この方は教会から見ると異端者ではないかしらと、ひそかに思った。しかし、大新聞の正月早々の投書欄に取り上げてあるのだから、そう非常識な主張でもなかったのだろう。
 ところで日本の人口の推移を見ると、このあと人口爆発は結局起きなかったようだ。それどころか今日では世界にまれな急速な少子高齢化に至っている。当時の世界では、もっぱら人口抑制こそが急務といわれていた。
 数年前、中学の同窓会に出たら、当時25歳の担任(男)が私に子供がいないと知ると「子供を作れと教えなかったのは若気の至り、悪かった」としきりに反省していた。(教えさえしたら素直に聞くと思っていたら甘いですよ、と考えたが彼には言わなかった)彼に限らず当時の教師で、子作りをすすめる人はまずいなかった。それどころか、「貴女たち、結婚してもビリビリ子供ばかり産まないように」と体育教師(女)、小学5・6年の担任(男)は1955年当時の人口が8920万とというニュースに、「役にも立たん奴がゴロイゴロイ」と語呂合わせで言っていた。
ただ例外は高校の担任(男)で彼は「女性が勉強して大学に行くのはいいお母さんになるため」と言っていた。同級生の女子は東大を出て二人の子を産み育てているから、その教えを良く守ったわけだ。
 たといインテリがどう説こうとも、日本人、とくに私の親戚知人の女性は24歳になるまでに結婚してすぐに子供を産む人が大半だった。「24歳まではOK,25歳からは売れ残り」という「xマスケーキ神話」は厳然と身近に生きていた。最近必要があって兄弟姉妹の戸籍謄本を取り寄せたところ、女は全員23~24歳で結婚していることを知って驚いた。それぞれ知性も良識もある女たちだと思っていたが、世間の圧力にこうも易々と屈していたとは。それも知らず30歳過ぎまで平気な顔でぶらぶらしていたのは私だけだが、今の女性の平均初婚年齢は30歳のちょっと手前、半世紀経ってようやく時代の常識が追いついた?
 
閑話休題、細部には思い違いや間違いがあるにしても、この投書を、私は長い間たいせつに胸に抱き、自分なりの人生を確信をもって歩んできたわけで、彼には大いに感謝している。調布の(伝道師タカノ・ヒデオ)さん、存命なら88歳か。
    
→「刑務所の読書」15-11-1
→「スクラップの整理」12-5-5
→「『アララギ終刊』で考えたこと」20-5-25
 
 
 
 
 
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