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エリア・カザン 自伝



(左)若いころ(右)老いてから

1988 朝日新聞社刊 訳 佐々田英則 村川英

「波止場」「欲望という名の電車」「エデンの東」「草原の輝き」「アメリカ・アメリカ」
「紳士協定」etcの映画を作り、22回もアカデミー賞を受け(うち監督賞2回)
たエリア・カザンが80歳を目前にして著した自伝。上下二冊、分厚く読みでがある。

1909年トルコのイスタンブール生まれで、4歳のとき米国に移住したギリシア人。

彼の名前に、常につきまとっている「裏切り」の汚名。1952年の「赤狩り」の証人喚問で元の仲間を「売った」ことは、彼自身にとっても生涯こころにかかっていたらしい。
彼はそれを許してくれとも、認めてくれとも言っていない。ただ、自分はこのように生まれ育ち、このように感じて生きてきたのだと語る。まるで「裏切り」が避けられない運命であったかのような、過去の足取りを聞いてくれというのだ。

迫害を逃れて諸国を転々として来た父、移民として米国で生きていくための苦闘、商売の後継者を望む父親の期待を「裏切って」演劇に進んだ若き日。白人支配階級への復讐としての金髪女性の征服。(したつもりが、結局その妻の助言によって裏切り者の悪名を負うことに)共産党への入党も、ボーイスカウトへの参加も、彼にとっては同じことで、生きていくためであった。「面従腹背」が父の基本姿勢であった。父親や妻のせいにするところが潔くない。

何より大事なことは①生き延びて②仕事を続けることである。「ショウビジネスの世界で成功したのは、トルコの支配下で小さくなっていた先祖の遺伝のおかげだ」と言う。いつも権力者に気に入られようとびくびくして本音を隠してきたことが、自分よりも客の好みを優先する姿勢に通じ、したがって人気のある映画が作れたというのだが。自分の本音は、著述の中で始めて出せたという。意外な事実も沢山あかされる。

ジェームズ・ディーンは嫌いで、「エデンの東」での爆発的な人気は全く予想外だった。マーロン・ブランドは天才である。(また自伝を読むとブランドもカザンをそう思っているようだ)ジョン・スタインベックには好感を持ち、テネシー・ウィリアムズとは似ていないが非常に気が合い、彼の家のツインベッドで4人で寝た。(テネシーは男と、カザンは女と)彼は、生涯大勢の女性と性交渉を持った。一方3人の妻とも長い結婚生活を全うした。「世の人はとかく不倫を非難するが、不倫は結婚を長持させる唯一の方法である」という居直りは、ギリシア男性の伝統的な価値観か。
「公正、常識的、親切、謙虚、合理的、協力的」の美徳は、作品の創造には有害であるとも言う。

巧みな文章、内容豊富、読み応えがあり、2週間の貸し出し期間では読み切れないが、自分で買うにはちと高い(一冊5000円)。

→「エデンの東」2007-7-12
「エデンの東」2011-12-7
→「諜報員ブルント」2012-10-1
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