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父のオリンピック

さて続いて、父の記事を再録したい。


【オリンピック回顧】

● 昭和三十九年も、愈々、年の暮となりました。一年の月日の過ぎ去ることの早さに、今更驚くばかりです。扨て、此の一年を振り返って見ると、私は、何をして過したのか一寸思い付かぬ位何事もなかったかのやうに思はれます。平々凡々に、大した病気もせずに過ぎたのを、感謝すべきことだと思ってゐます。

● 然るに、この年末怱忙の間に当り、「本年は、日本にとって、オリンピックの年、真に記念すべき東京オリンピックの年であったから、これを契機して、久しく休刊の憂目にあっている『なかよし新聞』を復刊して、逝かんとする、一九六四年を祝福すべきである」として、編輯長よりの収載原稿の催促実に数次に及んだのである。東京オリンピックについて、感想の一端を記せよと、仲々うるさいことおびただしいので、その緘口のために、一文を草することとした。

● 成程今年は、東京オリンピックなるものがあった。日本中を、お祭騒ぎのように浮き立たせてしまった幾週間かがあった。テレビを見ていると、世界の様々な國に、様々な人種が、様々な生き方をしてゐるのだといふことを考へさせられた。オリンピックは、芝居や劇でないだけに、映画などを見るのとは、格段の相違であって、現実の世界は、如何なる作為よりも真実であり、興趣のゆたかなものがあること如実に示して呉れた。有意義たるを失はないのである。

● 然しここに別の感想がある。戦争に完敗した日本が、灰燼の中から、フェニックスのやうに立ち上って十九年、池田前首相に言はせると、日本は世界の大国の仲間入りをしたのださうである。そのことを、世界の人々に見て貰う為に、日本はオリンピックの主催国となって、その国力を示したことになる。実に、一兆数百億の巨財を投じて、立派な設備を作り、勝れた組織力を動員して、大会を運営して、世界の人々から「よくやった」と好評を受けたのは、お芽出度い限りであった。
 今から云っても仕方がないが、この一兆数百億といふ金の使い方は、如何にも惜しいことをしたと思ふ。敗戰国日本は、そんな無理算段をして、オリンピックを主催する柄では、まだなかった。今日の日本の社会不安が、そのことを立証してゐるのである。
 日本の社会の表通り丈は、一流国なみに立派に見えるが、裏通りでは、繁栄のかげにかくれた貧困がうごきひしめいてゐる日本の社会不安である。一兆円の金があったら、この不安解消に、如何に役に立ったかとつくづく思ふことである。
 日本国政府は、社会保障を称へ、人命尊重を言挙げて、言ふことだけは立派だ。言はぬよりは言った方がよいにきまってゐるが、言はないでも実行する方がもっとよい。私は、国の医療政策を通して、政治家のすることを見てゐるが、とても実行出来ぬことを、口先だけでうまく言ってゐることがよくわかるのである。
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編集者の母は

かなつかいその他は、原作者の原稿を尊重して、そのままにいたしました。若い方の知らないつかい方もありますが、古文を勉強するつもりで読んで下さい。

と皮肉を言っている。当時ですらそうだ。まして54年たった今日ではなおさらのこと。パソコンで字の変換に手間取ったが、書き写しながら食卓や診療室、いたるところで展開された父の持論、口調と声さえもありありとよみがえって来て懐かしかった。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (セレンディピティ)
2019-07-16 08:36:00
Biancaさん、こんにちは。
ご家族の貴重な記録ですが、歴史資料としても貴重な記録ですね。
私たちは、1964東京オリンピックの輝かしい面しか知りませんが
当時も貧困などの問題が置き去りにされていたのですね。
56年経っても変わらない...というより
むしろ増幅されていることに、人間の愚かさを思い知らされます。
動くお金が1964年とは桁違いと思うと、なおのこと不安に苛まれます。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-07-16 13:50:34
セレンディピティ様

全くおっしゃる通りで、今度の東京Olympicについてもこのまま当てはまるのではないでしょうか。
それに市川崑監督の「東京オリンピック」を見ると、工事風景などの普通隠しておきたい舞台裏がわざわざ暴露され、これでは一流国とは言えないという映画だとました。しかし私のとかくお祭り騒ぎに水を差したがる傾向は父親から受け継いだですねエ。
 
 
 
Unknown (おキヨ)
2019-07-17 13:00:50
さすがBiancaさんの御父上、白樺派作家の文章の趣を感じました。
貴女のご家族は文学ご一家のようですね。
当時のお祭り騒ぎをしっかりと批判されておられるのも現在のヒステリックな批判のと違って気品を感じます。
かなり鋭く批判されているのにねぇ・・・。^^
 
 
 
Unknown (Bianca)
2019-07-17 17:54:01
おキヨ様

お褒めの言葉有難うございます。白樺派の方たちは東京出身で学習院卒で金持ちの息子ぞろい、南九州の田舎の出で、田地を売ってほかの兄弟の犠牲の上で長男がようやく大学を出て、金儲けするでもなく、死ぬまで町医者をしていた父とは違いますが、あの時代の学生共通の人道主義はあったかもしれません。そして昔の人は、ちゃんとした日本語で通じる文が書けたということは何よりも頼もしい感じがします。多分、アララギで短歌を作り続けたのが言語感覚を育てたのではないかと思います。
 
 
 
Unknown (桃すけ)
2019-07-27 15:13:04
お父様のオリンピック評、さすがですね。
1964年は私、20歳。東京に新幹線で遊びに行き、
建設中のでこぼこの道を、オリンピックやからねと楽しんでいました。お父様のような考えは1ミリも持つていませんでした。戦後24年、ここまできたかと思っていました。1兆円のお金があったらと思うのは、また当然のことです。私は2020年のオリンピツクに同じようなことを考えています。必要があるのだろうかと・・。
私が歳いったのでしょうか。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2019-08-08 14:42:31
そうかあ、新幹線で東京へ、桃すけさんは青春真っただ中で、でこぼこ道にも希望を感じていらしたのですね。

>お父様のような考えは1ミリも持つていませんでした。戦後24年、ここまできたかと思っていました。

普通はそうだと思います。父は60歳、今なら70代半というところ、しかも運動が大嫌い。子供の夏休みのラジオ体操にも朝早くから運動するのは害があると反対していたくらいでした。一方、母はとても元気でしたので、いつも反対意見をのべていました。そうそう、母の文も紹介しますね。

>私が歳いったのでしょうか。

うーん、それも一因かもしれません。と同時に賢くなったのかも・・・。
 
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