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敗北者たち

1953年 伊 109分 監督 ミケランジェロ・アントニオーニ 原題《 I vinti》 DVDにて鑑賞  (仏) エチカ・シューロー J.P.モッキ (伊) フランコ・インテルレンギ アンナ・マリア・フェレーロ (英) ピーター・レイノルズ フェイ・コンプトン

モノクロ-ムで、戦後の英仏伊の十代の犯罪を描いている。三部形式で、監督はアントニオーニとなっているが、英仏篇は、全く趣を異にしているから、別人じゃないかと思う。

戦争中に子供だった「燃えつき世代」と言われる世代は、貧困や劣等感から犯罪に走ったのではない。例外なく裕福な家庭に生立ち、漫画や映画の主人公の様に労せずして金や名声を手に入れたいという動機からである。

1.フランス篇

高校の仲間が休日の朝、誘い合わせて史跡ヴィエールに出かけようとしている。金髪のシモーヌの両親はどちらも自営業である。ジョルジュは高校を一週間欠席して学校から通知が来ているがうまくごまかし、ピストルを持参してアンドレと出かける。ピエールの家では父親の演奏会の日だがエロチックな写真に偽手紙を書き込んで、旅費をねだって出かける。一行は男4人、女2人と子ども1人。シモーヌとアンドレとピエールは三角関係で、アンドレは嫉妬している。景色の良い目的地(ヴィエール)で、グライダーや電車を見ては小学生のようにはしゃぐ。

ピエールは大金持ちという触れ込みなので彼らはピエールの金でそろって国外に脱出するつもりである。が具体的な計画は一切なく、めいめい夢のようなことを考え、しゃべっている。アルジェ脱出など、「チボー家の人びと」にもある位、昔ながらのフランス人の夢であって、特に第二次大戦の戦後を思わせるものはない。しいて言えば女子がウィスキーを注文するくらいだろうか。彼らの言動は「敗北者」というさえもったいないくらい、子供そのものである。3篇中でフランス篇の子供らしさは驚くべきである)

2.イタリア篇

3篇の家で最も完成度が高い。後年のアントニオーニを思わせる、頽廃と憂愁の雰囲気。

早暁、消防車のサイレンの音に目が覚めた両親が、息子の不在に気付く。立派な石造りの建物に住む、金持ちの一人息子。それから息子が帰宅するまでのごく僅かな時間のなかで、この映画は終始する。

テヴェーレ河?の密輸船、サッカー場の観客席と少女の登場、そしてこれぞイタリアン・ネオ・レアリスムというドキュメンタリー的人びとの自然さ、ほんとに映画って素晴らしいものですね!!

3.イギリス篇

新聞社にかかった一本の電話から話が始まる。交換手が慌て者で、間違い電話が延々と続く。このあたり、小説ならまだしも、映画だとテンポの遅さにイライラしてくる。

1.が仏の演劇風だとするとこれは英国の推理小説風と言える。

主人公はナルシス的で、見るからに気持ちが悪い。真犯人はとっくにわかってしまうし、これが大戦後に特有の個性か?と思う。しいて言えば、その無神経な図々しさが、戦後特に目立ってきたのかもしれない。

音楽で国籍を表わし、イギリスは「ロンドンデリーの歌」、イタリアは「家なき子」のナポリ民謡、フランス篇は流し歌手の歌のメロディが使われている。

3本見終って思うのは、イタリア篇が主で、体裁を整えるため英仏篇をくっつけたのではということだ。

蛇足:オムニバス映画と言えば思い出す、1962年の「二十歳の恋」。仏篇トリュフォー、ポーランド篇アンジェイ・ワイダに比べ日本の石原慎太郎篇は毛色が違いすぎ、ちょっと恥ずかしい。西独篇は現在なら問題にもならない「出来ちゃった婚」の新婚夫婦が主役で、恋→結婚→妊娠の順番が逆になったがこれも恋でしょ?という、生真面目すぎるドイツ人らしい話。ところであれから見る機会がないローマ篇はどういう話だった?そして今どこに?ぜひ見たいのでDVD化してほしい。

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