goo

映画「友だちの家はどこ」

1987 イラン 85分 ★午前十時の映画祭★ 松江SATY東宝
監督 アッバス・キアロスタミ 
出演 ババク・アハマッドプール アハマッド・アハマッドプール

ネタバレあり

9歳のアハマドは村の小学生。きょう先生が隣の友だちに「宿題はノートに書け、今度やらないと退学だ!」と言った。が、家に帰ると、彼のノートを持ち帰ってしまったことに気づく。すぐに届けに行かねば、と焦るアハマド。しかし、母親は、赤ん坊が泣いている、おしめを持ってこい、パンを買いに行け、宿題を済ませなきゃ出てはならんと、話を聞かずに命令するばかり。仕方なくこっそり抜け出すと、道端で世間話をしていたおじいさんが、煙草をとってこいと言いつける。別にその必要はないのだが、子供は大人のいうことを聞くべきだという信念からなのだ。野こえ山こえ友の村につくが番地もないことで、見つからない。大人も子供も、知らないか、間違った情報をくれる。ただ一人、窓つくり職人の老人は親切で、夕闇の中をあるうちまで連れて行ってくれる。が、そこはさっき来た別のうちだった。窓と時世の変遷の話ばかりするし、足が遅い。アハマドはやきもきする。とうとう老人は疲れたからと帰るが、別れ際に一輪の小さな花をくれ、「ノートに挟んでおきなさい」と言う。
暗くなって疲れ果てて家に帰る少年、落胆と心配で夕食ものどを通らない。

翌朝、教室の始業時間。先生が現れるがアハマドはまだ姿を見せない。ピンチだ!。先生が友だちの机の前に立った時アハマドが教室に滑り込み、友達とノートを交換。最後に先生の「よくできました」というサインのそばに、きのうの花がにっこりほほ笑んでいる。

今回は二度目。一回目は20年くらい前に渋谷のユーロスペースで見ている

1993年12月27日(月)(会員1200円)

どうやら、このキアロスタミとか言う監督が、かわいそうな主人公の少年に「ドッキリカメラ」風のいたずらを仕掛けたようなのだ。純朴といえば聞こえはよいが、半分ボーっとしたこの子が、つんぼで盲といってもよさそうな、いじわるというより鈍感な大人たちの間でほんろうされて夜まで空しくかけずりまわる。しかし翌日は滑りこみセーフで万事うまくかたづく。こんないたずらを子供にしかけて良いものかしら?

撮影裏話
アハマドと友だちは実の兄弟だそうな。監督は、ノートの入れ違えをわざとやったそうだが、何も知らない少年は困惑の表情を見せ、真剣そのもので駆け回っていた。田舎の子供といってもフィクションとか演技とかいうものを知らないわけでもなかろうに、自然さを出すためにはそこまでするのか。そのほか、先生も母親もおじいさんも子供の声など無視するし、父親は父親で家族を無視してラジオを聴くばかり、なんだか、子供が今ほど注目を浴びなかった50~60年前の日本を思い出した。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 演劇「闇に咲... 映画「撤退」 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。