なんとなく、今更セーラー○ーンRのビデオとか借りてみました。
えー、リアルタイムでテレビに噛り付いてたのは何年前? 小学三年か四年の頃だしょ。…………軽く十年超えたか?
R(=二部)まではすごい勢いではまってました、セー○ームーン。魔法とか戦士とか大好きな奴。昔っからね。
特に二部で好きだったのがアレです。うさぎがプリンスデ○ンドに攫われる辺りと、ちびうさがブラックムーンになるあたり。
ツボですよ。闇のプリンスの横恋慕。攫われて閉じ込められちゃうプリンセス。
あと、苦しみと悲しみのあまり闇に染まって悪へ転じる美女!(美女強調・笑)ナイスバディが素敵。
(以下作品内容に触れた語り。好きなこと言ってるので要注意です;)
いやあの、何か昔から闇好きらしいですよ、この人。三つ子の魂以下略。
ふふふ、良いじゃありませんか、闇。素敵ですよ、闇。とか危ないことを言いつつですね、やはり光ばかりのぺかぺかの世界より色気とか何とか感じると思うわけです。
そして、リアルタイムで見てた当初から思ってたことですが。
多分私、ブラックムーン一族の方が好きだわ。(どんなガキだ)
追い出され、排斥された一族の哀しみと恨み。
画一的に一つの権力によって支配された不自然な世界。
たった一つの、強大で眩しい力によって統治される不老長寿の楽園なんて、気持ち悪いと思うわけですよ。きっとガキの自分も思ってたはずだ。そして今なら「そう思う」と言い切れる。
私なら、ブラックムーン一族の視点で話を作る。(断言)
プリンスデマ○ドが主役だってばよ。
誇り高き彼の一族は、欺瞞に満ちた強大な力による支配に反旗を翻し、その力によって故郷を追われ、暗く冷たい辺境へと追いやられた。
そして今、その辺境の地で見つけた新たな力を手に、一族の復興と独善的支配からの革命を求めて立ち上がる……! そう、人間に不老長寿の楽園など必要ないのだ。我々は巨大な力に飼いならされるべきではない!!
そこかしこに、月の杖に通じるテーマが見え隠れするかもしれません。って、今の月の杖の状況からじゃ見えないか。どうだろ。
そもそも、巨大な力に庇護されての平和って絶対的に正しいとは言い切れないと思うわけですよ。そこに巨大な力があるから、豊かな支配地があるから、狙う者、奪おうとするものが出るわけで。
力は力。支配者は支配者。そこに「善」と「悪」という単純な区別は存在しないんじゃないかな。良き支配者の条件というのは、支配される側が決めるものであって、被支配者に支持される支配者が良い支配者ならば、被支配者に「良い」「悪い」を決める権限がない時点……つまり奇蹟の力のような絶対的な力で支配している時点でどーなのよ、と言いたくなるのです。
それが出来るのは神くらいなもので、人がやって良いことではないし、人によってもたらされる不老長寿は恐ろしい……とか思うのです。まあ相手が神でもそうだけど、要するにそれって「飼われてる」んでしょ? 相手を飼っておいて、それが幸せそうだから、それを壊すのは悪だ、って論理はかなり傲慢と思うのです。あんた神様かよ、と。
な の で 。
ブラックムーン頑張れとか言いたくなる。しかもその敵の首領に恋をするとか素敵すぎだよプリンス○マンド。
お兄ちゃん大好きすぎなサフィー○も相当いいキャラだ。あの悲劇っぷりがそそるぜ。妄想意欲をな。
ちょっと話は別にずれますが。
闇に生まれ、闇に暮らす者が光に焦がれるはずはない。
闇に暮らす者はその不遇をかこち、光に焦がれ哀れに卑しく光の世界の支配をもくろむなんて、光の世界に住んでいる者の傲慢でしかないのですよ。
シルヴァさん(@月の杖。黒の族長)だって言うはずだ。
「ふん、貴様らの世界に興味などないわ。我々は我々の価値があり、良さがある。うぬぼれるな、愚か者が」
ってね。それは傲慢であり、盲目であり、差別的で失礼で独善的なものの見方なのだというのが私のスタンスです。
光も闇も一長一短。世界はその二つを両極に、微妙なバランスの中に存在する。
って言うのが好きですね。ええ、そういうスタンスで書いてます、月の杖。
光は言う。
戦え、戦え、前へ進め。他者を掻き分け、のし上がれ。
求めよ、その先にこそ栄光はある。
賢しく。勇猛に。激しく。前へ進め、未来を掴め、上を目指せ。
闇は言う。
静まれ、静まれ、立ち止まれ。己を振り返り、省みよ。
満たされよ、幸福は今ここにこそある。
無心に。優しく。穏やかに。来た道を振り返れ、過去を愛しめ、今を大切にせよ。
どっちだけが正しいとも、間違っているとも言わない。
要はバランス感覚の問題でして。
ただ夜の民は闇側に、昼の民は光側に気質が偏ってるので、それぞれの方向に向かいがち、ってだけでね。
そこに、善悪二元論の世界観を持ってきたら、さあどうなるかな?v
と言うのが実は本題だったりしてね、月の杖。
他にも色々、自分の思うところを世界観に詰め込みまくってあるので、消化不良になりそうで怖い、怖い。何で私、この話に一番最初に手をつけたんだろう。他の話ならとっくに終わりが見えてそうな分量書いてるのに、まだ一、二合目ってどゆことよ。ってか、今言った内容を話の中で的確に表現できてる自信がないよ。
これはいわゆるアレだ、ライフワーク。
って、なんでセーラームーンの話を始めて月の杖語りに終わるんだ。それだけ書いてる話の価値観の根は自分の中で深いし、愛着も深いっちゅー話です。
ただ月の杖にも闇とは別に、一つ「悪」に限りなく近い要素は出てきます。お楽しみに……って引っ張るほどでもないですが、その名は「絶望」。
循環型世界観の支持者ですので、直線的世界観のその先にある「無」こそ恐ろしい、と思います。全ての停止ですね。それと、絶望。
オール・オア・ナシングの世界に生きてると、「オール」以外には「ナシング」しかないわけで、ナシング=悪=無=絶望みたいな。そういう、救いがたい虚無を生み出してしまう価値観こそが恐ろしいと思うし、全てをそのナシングに向かって押し流そうとするエネルギーこそ、絶望ではないかと。
昔、ロシアで学校占拠・爆破事件がありましたよね。
そのテレビを見ていたときの、コメンテーターの言葉が印象的でした。
「彼らの目的は『復讐』です。彼らは既に全てを失い、もう喪うものは何一つ残っていない。だから復讐のために、己の命すら惜しむことはない」
みたいな内容のね。
それって、どんな状況だろう、と。
もう、大切なものも、護りたいものも、引き止めるものも、癒してくれるものもない。あまりにも虚しい「自由」。それこそ、絶望ではないかと。
てなわけで月の杖の世界においては、戦うべき相手は「絶望」です。
絶望=循環の輪が切れた、何もない未来みたいな意味合いで、それから世界を救うのが、真実の目的に……なってく予定。
絶望の種類は大きく二つくらいあって、一つは既出ですが、「私は誰にも必要とされない」という、個人の絶望。もう一つは「この世界に価値はない」という世界全体に対する絶望。
……まあ、この絶望=闇という図式のが一般的な気もしますが。でも、直線的で二元論的な価値観がその絶望(闇?)を生むのなら、悪いのはホントに絶望? という気がするので。克服はしなきゃ明日はないわけですが。
絶望に打ち勝つって、要するに自己に打ち勝つことで……敵は実は、外側には居ないわけですよね。
絶対的な正しさも間違いも存在しない、危ういバランスを自分だけでとっていかなければいけない世界で生きるのは辛いし、苦しい。それは重たい荷物を持って果てない道をあるくようでもあり、小船で大海を旅するようでもある。でもそれが世界であり、人生で、いかにそれを受け入れ、受け流し、希望を見定め、幸せを見つけ、廻る世界に身をゆだねて渡ってゆけるか。時には大きなものにすがりたくもなるし、一人だけで立ってるのは辛すぎるときもある。でも、すがりついた大きなものの影に視界を覆い隠されて、盲目になってはまた辛い。
そういう、究極的には「悟る」のが最終目標みたいな……ううーん、胡散臭い話になってきましたね。まあ、バランスとって行こうよ、みたいな。それでも、私は私として、明日と幸せが欲しいよ、みたいな。そんな話。結構最後のオチは利己主義だったりしつつ、人間そんなもんじゃね? みたいな。
一個決まってる台詞があります。誰に言わせるかは秘密。
「それでも覚えておいてくれ。例え世界中の全ての人々が幸せになっても、君が幸せにならなければ、僕達がこの戦いに勝利したことにはならないんだ」
何故ならその戦いは、「明日、今を生きるための戦い」だから。
とか何とかね。語っちゃいましたよ、くっけっけ。ここまでたどり着くのに一体何年かかるのか。その間に私の価値観が変わっちゃったらオチ変わるじゃん;
うん、こういうこと語れる自分ってまだ若いなあ、って思う(笑)
ところで。
仕事のためにアロマテラピー系の本を借りようと市立図書館行って来たんですが、やあ、胡散臭い本とか楽しそうな本とか一杯あって超幸せですね、あそこ。アレ(図書館)が世界にある限り、私に退屈死する日は訪れないと思います。最近本を読まなくなったと思ったら、なんだ、ただ単に図書館遠いからってだけじゃねえの、と笑ってしまった。大学図書館はまた異空間ですからね、専門書オンリー。堅すぎる。
まあそれはともかく。
その中で見つけた「カルマ(前世)占星術」みたいな本が面白そうで。私前世とかいうの結構好きなんですが、それをホロスコープからみる、みたいな内容でして。
ホロスコープ自体は、ネットがあればナンボでも作れるわけですが(検索かけてみて下さい)、その読解は結構大変そうで半ば諦めてたんですけど、この本でもその「カルマ占星術」流に読解ができるということで、早速やってみました。
で。結果。
まあ、黄道の星座? 太陽の星座はふたご座で、これはかなり昔から色々読んでて大体のイメージはついてたんですが、問題は月の星座ですよ。
牡羊座だったんですね、私。いやー、何かねえ、痛かった。
イタタタタタ。うるせえ、黙ってろ(笑) みたいな。
要するに、イタタな部分で思い当たるところが多すぎて直視に耐えなかったんですな(^^;
わーい、当たったーとか喜べないし。そうだよ、どうせ単純熱血馬鹿だ! 大好きだよ革命家。
ナニが書いてあったのか気になる方はこの本を書店か図書館で探してみてください。
ホロスコープをネットでちゃちゃっと調べて、自分の太陽・月・エレメントだけメモって行くのもアリかと思われます。面白いよ、存外。
首まで科学に漬かってる人種ですが、基本的にオカルト好きなんで。
色々矛盾してやがら、と思っても生ぬるく見守ってあげてください。
この矛盾がいつか矛盾でなくなる日が来る……ってロマンだとおもいませんか(笑)
あー、しかしまとまりない上に長いなあ、今日の記事;
えー、リアルタイムでテレビに噛り付いてたのは何年前? 小学三年か四年の頃だしょ。…………軽く十年超えたか?
R(=二部)まではすごい勢いではまってました、セー○ームーン。魔法とか戦士とか大好きな奴。昔っからね。
特に二部で好きだったのがアレです。うさぎがプリンスデ○ンドに攫われる辺りと、ちびうさがブラックムーンになるあたり。
ツボですよ。闇のプリンスの横恋慕。攫われて閉じ込められちゃうプリンセス。
あと、苦しみと悲しみのあまり闇に染まって悪へ転じる美女!(美女強調・笑)ナイスバディが素敵。
(以下作品内容に触れた語り。好きなこと言ってるので要注意です;)
いやあの、何か昔から闇好きらしいですよ、この人。三つ子の魂以下略。
ふふふ、良いじゃありませんか、闇。素敵ですよ、闇。とか危ないことを言いつつですね、やはり光ばかりのぺかぺかの世界より色気とか何とか感じると思うわけです。
そして、リアルタイムで見てた当初から思ってたことですが。
多分私、ブラックムーン一族の方が好きだわ。(どんなガキだ)
追い出され、排斥された一族の哀しみと恨み。
画一的に一つの権力によって支配された不自然な世界。
たった一つの、強大で眩しい力によって統治される不老長寿の楽園なんて、気持ち悪いと思うわけですよ。きっとガキの自分も思ってたはずだ。そして今なら「そう思う」と言い切れる。
私なら、ブラックムーン一族の視点で話を作る。(断言)
プリンスデマ○ドが主役だってばよ。
誇り高き彼の一族は、欺瞞に満ちた強大な力による支配に反旗を翻し、その力によって故郷を追われ、暗く冷たい辺境へと追いやられた。
そして今、その辺境の地で見つけた新たな力を手に、一族の復興と独善的支配からの革命を求めて立ち上がる……! そう、人間に不老長寿の楽園など必要ないのだ。我々は巨大な力に飼いならされるべきではない!!
そこかしこに、月の杖に通じるテーマが見え隠れするかもしれません。って、今の月の杖の状況からじゃ見えないか。どうだろ。
そもそも、巨大な力に庇護されての平和って絶対的に正しいとは言い切れないと思うわけですよ。そこに巨大な力があるから、豊かな支配地があるから、狙う者、奪おうとするものが出るわけで。
力は力。支配者は支配者。そこに「善」と「悪」という単純な区別は存在しないんじゃないかな。良き支配者の条件というのは、支配される側が決めるものであって、被支配者に支持される支配者が良い支配者ならば、被支配者に「良い」「悪い」を決める権限がない時点……つまり奇蹟の力のような絶対的な力で支配している時点でどーなのよ、と言いたくなるのです。
それが出来るのは神くらいなもので、人がやって良いことではないし、人によってもたらされる不老長寿は恐ろしい……とか思うのです。まあ相手が神でもそうだけど、要するにそれって「飼われてる」んでしょ? 相手を飼っておいて、それが幸せそうだから、それを壊すのは悪だ、って論理はかなり傲慢と思うのです。あんた神様かよ、と。
な の で 。
ブラックムーン頑張れとか言いたくなる。しかもその敵の首領に恋をするとか素敵すぎだよプリンス○マンド。
お兄ちゃん大好きすぎなサフィー○も相当いいキャラだ。あの悲劇っぷりがそそるぜ。妄想意欲をな。
ちょっと話は別にずれますが。
闇に生まれ、闇に暮らす者が光に焦がれるはずはない。
闇に暮らす者はその不遇をかこち、光に焦がれ哀れに卑しく光の世界の支配をもくろむなんて、光の世界に住んでいる者の傲慢でしかないのですよ。
シルヴァさん(@月の杖。黒の族長)だって言うはずだ。
「ふん、貴様らの世界に興味などないわ。我々は我々の価値があり、良さがある。うぬぼれるな、愚か者が」
ってね。それは傲慢であり、盲目であり、差別的で失礼で独善的なものの見方なのだというのが私のスタンスです。
光も闇も一長一短。世界はその二つを両極に、微妙なバランスの中に存在する。
って言うのが好きですね。ええ、そういうスタンスで書いてます、月の杖。
光は言う。
戦え、戦え、前へ進め。他者を掻き分け、のし上がれ。
求めよ、その先にこそ栄光はある。
賢しく。勇猛に。激しく。前へ進め、未来を掴め、上を目指せ。
闇は言う。
静まれ、静まれ、立ち止まれ。己を振り返り、省みよ。
満たされよ、幸福は今ここにこそある。
無心に。優しく。穏やかに。来た道を振り返れ、過去を愛しめ、今を大切にせよ。
どっちだけが正しいとも、間違っているとも言わない。
要はバランス感覚の問題でして。
ただ夜の民は闇側に、昼の民は光側に気質が偏ってるので、それぞれの方向に向かいがち、ってだけでね。
そこに、善悪二元論の世界観を持ってきたら、さあどうなるかな?v
と言うのが実は本題だったりしてね、月の杖。
他にも色々、自分の思うところを世界観に詰め込みまくってあるので、消化不良になりそうで怖い、怖い。何で私、この話に一番最初に手をつけたんだろう。他の話ならとっくに終わりが見えてそうな分量書いてるのに、まだ一、二合目ってどゆことよ。ってか、今言った内容を話の中で的確に表現できてる自信がないよ。
これはいわゆるアレだ、ライフワーク。
って、なんでセーラームーンの話を始めて月の杖語りに終わるんだ。それだけ書いてる話の価値観の根は自分の中で深いし、愛着も深いっちゅー話です。
ただ月の杖にも闇とは別に、一つ「悪」に限りなく近い要素は出てきます。お楽しみに……って引っ張るほどでもないですが、その名は「絶望」。
循環型世界観の支持者ですので、直線的世界観のその先にある「無」こそ恐ろしい、と思います。全ての停止ですね。それと、絶望。
オール・オア・ナシングの世界に生きてると、「オール」以外には「ナシング」しかないわけで、ナシング=悪=無=絶望みたいな。そういう、救いがたい虚無を生み出してしまう価値観こそが恐ろしいと思うし、全てをそのナシングに向かって押し流そうとするエネルギーこそ、絶望ではないかと。
昔、ロシアで学校占拠・爆破事件がありましたよね。
そのテレビを見ていたときの、コメンテーターの言葉が印象的でした。
「彼らの目的は『復讐』です。彼らは既に全てを失い、もう喪うものは何一つ残っていない。だから復讐のために、己の命すら惜しむことはない」
みたいな内容のね。
それって、どんな状況だろう、と。
もう、大切なものも、護りたいものも、引き止めるものも、癒してくれるものもない。あまりにも虚しい「自由」。それこそ、絶望ではないかと。
てなわけで月の杖の世界においては、戦うべき相手は「絶望」です。
絶望=循環の輪が切れた、何もない未来みたいな意味合いで、それから世界を救うのが、真実の目的に……なってく予定。
絶望の種類は大きく二つくらいあって、一つは既出ですが、「私は誰にも必要とされない」という、個人の絶望。もう一つは「この世界に価値はない」という世界全体に対する絶望。
……まあ、この絶望=闇という図式のが一般的な気もしますが。でも、直線的で二元論的な価値観がその絶望(闇?)を生むのなら、悪いのはホントに絶望? という気がするので。克服はしなきゃ明日はないわけですが。
絶望に打ち勝つって、要するに自己に打ち勝つことで……敵は実は、外側には居ないわけですよね。
絶対的な正しさも間違いも存在しない、危ういバランスを自分だけでとっていかなければいけない世界で生きるのは辛いし、苦しい。それは重たい荷物を持って果てない道をあるくようでもあり、小船で大海を旅するようでもある。でもそれが世界であり、人生で、いかにそれを受け入れ、受け流し、希望を見定め、幸せを見つけ、廻る世界に身をゆだねて渡ってゆけるか。時には大きなものにすがりたくもなるし、一人だけで立ってるのは辛すぎるときもある。でも、すがりついた大きなものの影に視界を覆い隠されて、盲目になってはまた辛い。
そういう、究極的には「悟る」のが最終目標みたいな……ううーん、胡散臭い話になってきましたね。まあ、バランスとって行こうよ、みたいな。それでも、私は私として、明日と幸せが欲しいよ、みたいな。そんな話。結構最後のオチは利己主義だったりしつつ、人間そんなもんじゃね? みたいな。
一個決まってる台詞があります。誰に言わせるかは秘密。
「それでも覚えておいてくれ。例え世界中の全ての人々が幸せになっても、君が幸せにならなければ、僕達がこの戦いに勝利したことにはならないんだ」
何故ならその戦いは、「明日、今を生きるための戦い」だから。
とか何とかね。語っちゃいましたよ、くっけっけ。ここまでたどり着くのに一体何年かかるのか。その間に私の価値観が変わっちゃったらオチ変わるじゃん;
うん、こういうこと語れる自分ってまだ若いなあ、って思う(笑)
ところで。
仕事のためにアロマテラピー系の本を借りようと市立図書館行って来たんですが、やあ、胡散臭い本とか楽しそうな本とか一杯あって超幸せですね、あそこ。アレ(図書館)が世界にある限り、私に退屈死する日は訪れないと思います。最近本を読まなくなったと思ったら、なんだ、ただ単に図書館遠いからってだけじゃねえの、と笑ってしまった。大学図書館はまた異空間ですからね、専門書オンリー。堅すぎる。
まあそれはともかく。
その中で見つけた「カルマ(前世)占星術」みたいな本が面白そうで。私前世とかいうの結構好きなんですが、それをホロスコープからみる、みたいな内容でして。
ホロスコープ自体は、ネットがあればナンボでも作れるわけですが(検索かけてみて下さい)、その読解は結構大変そうで半ば諦めてたんですけど、この本でもその「カルマ占星術」流に読解ができるということで、早速やってみました。
で。結果。
まあ、黄道の星座? 太陽の星座はふたご座で、これはかなり昔から色々読んでて大体のイメージはついてたんですが、問題は月の星座ですよ。
牡羊座だったんですね、私。いやー、何かねえ、痛かった。
イタタタタタ。うるせえ、黙ってろ(笑) みたいな。
要するに、イタタな部分で思い当たるところが多すぎて直視に耐えなかったんですな(^^;
わーい、当たったーとか喜べないし。そうだよ、どうせ単純熱血馬鹿だ! 大好きだよ革命家。
ナニが書いてあったのか気になる方はこの本を書店か図書館で探してみてください。
ホロスコープをネットでちゃちゃっと調べて、自分の太陽・月・エレメントだけメモって行くのもアリかと思われます。面白いよ、存外。
首まで科学に漬かってる人種ですが、基本的にオカルト好きなんで。
色々矛盾してやがら、と思っても生ぬるく見守ってあげてください。
この矛盾がいつか矛盾でなくなる日が来る……ってロマンだとおもいませんか(笑)
あー、しかしまとまりない上に長いなあ、今日の記事;