(写真は奈良の墨阪神社にて)
記録だけ
2008年度 146冊目
『歴史の中で 語られてこなかったこと』
おんな・子供・老人からの日本史
網野 善彦
宮田 登
(株) 洋泉社
1998年11月26日第1版
270ページ 1900円+税
12月25日。
二冊目は 網野善彦と 宮田登 の対談型『歴史の中で 語られてこなかったこと』おんな・子供・老人からの日本史 を楽しむ。
これがまた面白い。
歴史学学者と民俗学学者の立場から話し込んでいる者だから、かみ合ったり、かみ合わなかったり。
和んだり、力の威嚇に努めたり(爆)
学者の方々の対談型内容を読んでいると、時たま個人の性格に触れられて、楽しい。
故網野善彦氏は利口な人なんだ。
故宮田登氏がついつい口を滑らすと、上手くかわしていたよ(笑み)
歴史学と民俗学の交わりや相違点は興味深かったな。
歴史学の方は 実際には歴史的時空も長く、若干、民俗学は軽んじられていたかも(笑み)
但し、実際に現地の方に聞くといった作業は、網野善彦氏によると、歴史学の方ではなされないということらしい。
へぇ、知らなかったよ。
二人の学者のことばかりを記録しているけれど、実際にはこの本には、具体的な内容が多く書かれていて楽しかった。
ノートを付けながら読んだので、内容記録は省くね。
でも、一つだけ、かわいいのを披露しちゃおうかな***
『米』って、毎日食べていることが多いよね。
「こめ」は「よね」とも読むけれど、この「よね」は「かわいいひと」って意味なんだって。
ぎょへぇい!***
*****かわいい「よねちゃん」が 「よね(夜寝)」前に、よなよな 白い「よね」をたべた「よね」*****
・・・なんて言われた日には、頭がこんがらがっちゃうよ。
「よね」は『良い稲』という意味のあるかも知れないって、宮田氏がいっていたよ。
彼の内容って、雑学がふえるよ。
但し、他では使えない、自分だけのお楽しみだけど・・・ね。
網野善彦氏が
「農民と百姓とは違う!!!」
って、耳に蛸ができるほどいっていたよ(笑み)
まるで呪文みたいだった。
これも、
『へぇ、そうなんだ。』
と、のれんに腕押し状態。
少し込み入って、難しい話だったよ(笑み)
この本も 結構楽しめたな。
興味のある人には、お勧めだよ★^^★
網野善彦さんの本は、図書館で参考にさせていただいたことがあります。「商いからみた日本史」だったか忘れましたが、確かに、「農民と百姓はちがう」みたいなことが書いてありましたね。「百姓は農民である」と教科書には書いてあるがそれは事実ではないと。ちょっと学生時代、歴史はよく勉強しなかったものですから覚えていませんが、何ヶ所にも書いていたように記憶しています。
面白いのでメモしましたが、「百姓は決して農民とは同義語ではない」言うことでした。百姓は「ひゃくせい」で、文字通りたくさんの姓を持った人民と言うわけです。それよりも、「市(いち)」は、どうして発生したかが僕の調べる目的でした。網野善彦は、聖なる場所で取引がなされたと言う説を書いていました。それが非常に僕を勇気付けてくれた思いを持っています。こんなことを語りだすと饒舌になりますのでここらでとめます。申し訳ありません。
歴史学者と民族学者の対談、面白そうですね。
また、よろしくお願いします。
深堀大三郎さん、コメントをありがとうございます。
とても嬉しいです。
色々と教えていただき、心より感謝申し上げます。
そうです。深堀大三郎さんがおっしゃるとおり、それなんです^^
「百姓は決して農民とは同義語ではない・・・」
ってやつです(笑み)
「蜜柑はのうかでつくるんじゃなくって、果樹園でつくるんです・・・。」
とかも、何度も出てきました。(笑み)
網野善彦さんで興味を持った部分は、歴史と民俗学を融合なさった部分です。
アナール学派についても、興味深いところですね。
実は宮田登さんの本を探していて、この本に辿り着きました。
今日は網野善彦さんの絵本と中央文庫の『東と西の語る 日本の歴史』(途中)を読んでいます。
絵本は
岩波書店
『河原にできた中世の町
~へんれきする人々の集まるところ~』
網野善彦 文
司 修 絵
ISBN4-00-116405-0
1650円
ですが、「市(いち)」の成り立ちにも一部触れられていました。
かなり論理的で、具体的で詳しい^^V
末の説明も充実。
加えて絵も、分ではいい荒らさせない複雑で細やかな部分まで描きあげられていました。
もし図書館などで見られる機会があるようでしたら、楽しんで見て下さい。
絵本ですが、イメージが広がりやすい良書でした。
深堀大三郎様、これからもご指導下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。