長浜曳山まつり 翁山『碁太平記白石噺 新吉原揚屋の場』宮城野 2019年
『説経節』(東洋文庫)より「付 信太妻」 樟の葉と恋に陥った安倍保名の本名は、安倍権太左衛門保名。子は、安倍晴明。
七月、松竹座において私の好きな演目のひとつである『樟葉』が上演される。
以前にも東洋文庫で『説経節』「付 信太妻」を楽しんだが、今回注意を払って読んで見た。
「付 信太妻」では「芦屋道満大内鑑~葛の葉」に加え「安倍晴明と石川悪右衛門の対決」と言った展開がなされ、果実十五個をネズミに帰るといった有名な話で安倍晴明が勝ち、悪右衛門の首をとるといった話で終わる。
上は岩波の新日本古典文学大系93(緑)の『竹田出雲 並木宗輔 浄瑠璃集』「芦屋道満大内鑑」でのクエあしく展開されているので、いずれ読んでみたい。
樟の葉
安倍保名 (親子)→ 安倍晴明
↓↑(対決)
蘆屋道満 (兄弟) 石川五右衛門(悪右衛門)
晴明は話の上では2枚目であるとイメージの固定化があり、歌舞伎役者でいうならば片岡仁左衛門竹などがピタリと当てはまる感が否めない。
ところが安倍保名の本名は、安倍権太左衛門保名(あべのごんたざえもんやすな)と濁音が多く、フルネームでいうと二枚目のイメージは薄れる。
好きな演目なので書きたいことはいっぱいだが、今回も簡単な記録のみにて失礼いたします。
『説経節』「信徳丸」東洋文庫(『弱法師』『摂州合邦辻』『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」比較)
『説経節』から 「付 信太妻」 東洋文庫 平凡社
『古浄瑠璃 説経集』から「さんせう太夫」 岩波 新版古典大系
『さんせう太夫考』から「説経序説」「さんせう太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書
東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月
『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳
『小栗判官』
『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』塩見鮮一郎著 説経節の名作『小栗判官』を題材に、貴族や高僧、武士ではなく、庶民の目から見た貧困、病、宗教、道行きを描く。
『説経節』(東洋文庫)より「山椒大夫」(天下一説経与七郎)、『古浄瑠璃 説教集』(新日本古典文学大系)より「さんせう大夫」(天下一説経与七郎正本 「さんせう大夫物語」で補う)
『説経節』(東洋文庫)より「付 信太妻」 樟の葉と恋に陥った安倍保名の本名は、安倍権太左衛門保名。子は、安倍晴明。
以下の表記は『新日本古典文学大系 93』▼ ウィキペディアより
第1段
東宮御所の段
朱雀天皇の御代、月を白虹が貫き、暗くなるという天変が発生する。勅命により東宮である桜木親王の御所において、親王の后「御息所」の父である橘元方、もう一人の后である「六の君」の父である小野好古をはじめとした諸官を集めて評議が行われることとなる。
急死した天文博士、加茂保憲の代理で出席した娘の榊が見立てたところでは、今般の天変は凶事であり、東宮周辺の女性の嫉妬に原因があるという。この災いを避ける方法は加茂の家に伝えられている陰陽道の秘伝書『金烏玉兎集』に書かれているが、これを受け継ぐ後継者が決まっていないと言う。候補は2名、安倍保名と芦屋道満だが、いずれかを選ぶ前に保憲が亡くなったので、『金烏玉兎集』の伝承者がいないと告げた。これを聞きつけた六の君と御息所が、両人とも尼となって凶事の原因を取り除くと訴え出る。これに慌てた桜木親王はとりあえず后2人を下がらせ、評議に参加した一同に安倍保名と芦屋道満はどのような人物かと問う。それに応えて橘元方が、芦屋道満は自分の家来であり、保憲の一番弟子であると主張。一方小野好古も、安倍保名は自分の家来であり、師匠である加茂保憲から「保」の字を名乗ることを許された一番弟子であるという。后2人に出家されては困る桜木親王は、神意=くじで天文博士の後継者を決めるよう指示し、元方側は執権(補佐官)の岩倉治部に、好古側は同じく執権の左近太郎が立ち会うよう命じた。
間の町の段
東宮御所からの帰路、榊は安倍保名の使用人である与勘平から手紙を受け取る。榊と安倍保名は加茂保憲も認めた恋仲であり、手紙は逢瀬を求める内容であった。榊は返事をしたため、保名からの手紙とともに与勘平へ渡そうとするが、風に飛ばされてしまう。榊は手紙が他人に読まれることを恐れつつ、屋敷へと戻る。
加茂館の段
加茂保憲の妻、榊の養母(榊は養子)は保憲の死後に出家して「後室」様と呼ばれている。後室は、橘元方側執権である岩倉治部の妹でもある。その後室のもとに刻限より早く治部が到着し、「偶然入手した」と、榊が失くした保名の手紙を見せる。さらに加茂保憲の後継者をくじで決めることになった顛末を語り、「くじでは保名が後継者になってしまうかもしれないので、何か良い方策はないか」と、加茂家の執権乾平馬を加えて相談する。後室は、自分の持つ鍵と榊の持つ鍵の両方がなければ取り出すことができないはずの『金烏玉兎集』を治部に見せ、「こっそり作った合鍵で取り出した」と告げる。治部は狂喜し、この『金烏玉兎集』を隠して、榊と保名が『金烏玉兎集』を盗んだことにする算段を巡らせる。
そこへ何も知らない榊が帰宅、さらに逢瀬を楽しむべく保名も訪れてくる。榊と保名の仲は加茂の者以外には秘密なので、榊は保名を自室に隠す。そうこうしている間に左近太郎が到着。一同揃ったのでくじを行おうとするが、治部が「神前に『金烏玉兎集』を供えよう」と言い出し、これに同意した榊と後室がそれぞれの鍵で保管庫を開けると『金烏玉兎集』がない。治部と後室は事前の打ち合わせ通り素知らぬ顔で「榊が盗んだ」厳しく問い質し、そこへ平馬が榊の部屋に隠れていた保名を引き立ててくる。榊は「保名には罪はない」と弁明するが、保名は師匠の妻に手向かうわけにもいかず、脇差しで自害を試みる。その刀を榊が奪い取り、「身の潔白は神仏が明らかにしてくれる」と自刃して果てた。保名は榊の遺骸にすがりついて嘆いていたが、生真面目な性格が災いして正気を失い、哄笑とともにどこへともなく歩み去る。
事が済んだので、平馬は左近太郎を帰らせようとするが、左近太郎はこれを投げ飛ばす。これを見た後室が左近太郎の狼藉を咎めるが、袖から合鍵がこぼれ落ちてしまい、逃げ出そうとする。これで真相を悟った左近太郎は平馬を斬首。逃げようとした後室は、駆け付けた与勘平が注連縄で梁から吊るして成敗。左近太郎は「事の詳細知れば保名も正気に戻るだろう」と与勘平に後を追わせた。
第2段
岩倉館の段
岩倉治部は加茂館の騒動をうまく抜け出し、その際『金烏玉兎集』も持ち出していた。治部は河内の郷士である石川悪右衛門と自分の娘婿にあたる芦屋道満を呼び出し、後室成敗の真相を明かさないまま加茂館の顛末を語り、『金烏玉兎集』の利用法に関して密議を行う。
治部は『金烏玉兎集』を道満に与え、「これで陰陽道の大家となり、主人である橘元方の望みを叶えよ」と命ずる。道満は感謝してこれを受け取る。なんとか橘元方を東宮の外戚に地位に付けたいと考える治部は、道満に対して、陰陽道の術で橘元方の娘である御息所を懐妊させることが可能かを問う。道満は、御息所の懐妊については荼枳尼の法を用いればよく、そのためにはメスの白狐の生き血が必要と答えた。狐に関しては、悪右衛門の故郷石川郡で難なく手に入るという。
さらに治部は六の君の拉致を計画しており、すでに試みたが東宮御所の警備が厳しく断念したことを明かした後、道満に人を誘い出すような術が『金烏玉兎集』に書かれていないかと聞く。道満は舅の本意が単なる拉致ではなく、六の君の殺害であることを見抜き、教え渋る。しかし治部は、道満の妹が敵方の左近太郎に嫁いでいることを持ち出し、妹のために己が主の裏切るのかと厳しく詰問し、挙句の果てに娘と離縁させて、舅・婿の縁を切るとまで言い出す。これに負けて道満は人をおびき出す術式を治部たちに教え、「どこで殺すのか」と問うた。治部は「御菩薩池(みぞろがいけ)に沈める」と答え、さらに悪右衛門が実行役を買って出た。悪右衛門は、事が成った暁には、自分の伯父の所領である信太の庄と、伯父の娘「葛の葉」を貰い受けられるよう、橘元方に口添えして欲しいと治部に頼み込み、治部はこれを承知した。
親王御所北門の段
東宮御所内の六の君の住居に近い北門で、石川悪右衛門は道満の指示したとおり、神符を所定の位置に貼る。程なく、心神喪失状態の六の君が歩み出てきたので、悪右衛門は彼女を担ぎ上げ、御菩薩池へと向かう。
御菩薩池の段
御菩薩池(現在の京都市北区上賀茂にある深泥池)まで六の君を担いできた石川悪右衛門だが、そこで疲労困憊して一息つく。意識を取り戻した六の君は「なぜこのような目に合わねばならないのか」と悪右衛門に問うたところ、悪右衛門は「御息所の邪魔になるから、この池に沈めて殺す」と答える。そして、重しになる石を六の君の袖に入れて池へ投げ込もうとしたところ、突如葦原からの大男が現れ、悪右衛門を投げ飛ばし、六の君を背負ってどこかに姿を消す。
信太社の段
信太庄司(石川悪右衛門の伯父)の娘葛の葉は、毎夜身内に不幸が起きる夢を見る。この夢が、都にいる姉の榊(榊は信太庄司の娘で、加茂の家の養子に入った)の身に何かあったことを暗示しているのではないかと考えた葛の葉は、産土神である信太社に詣でる。一方、お供の腰元達は、夢は逆夢で、しつこく言い寄ってくる従兄弟の石川悪右衛門との縁が切れることを暗示した吉兆かもしれないと葛の葉をなぐさめる。そうこうして、ともに参詣する予定の父母の到着を待つ葛の葉であったが…
小袖物狂ひ(景事[注釈 7])
正気を失って加茂館から消えた安倍保名が信太社に現れる。次いで与勘平も追いついて、保名を連れ帰ろうとするが、保名はその手を振り払い、榊の形見である小袖を木の枝にかけてその面影を追い求める。
保名の狂態を幕の内に隠れて目撃した葛の葉であったが、卑しからざるその風体が気になって、保名の前に姿を現す。保名は、姉に容姿が似ている葛の葉を榊と間違え抱きつこうとするが、腰元達に押しとどめられる。与勘平は腰元達に事情を説明し、納得した腰元達が葛の葉に取りなしたところ、葛の葉も保名を哀れと思い、正気に戻るよう保名へ優しく言葉をかける。その言葉を聞いた保名は心を鎮め、葛の葉が榊とは別人であると気づき、無言のうちに正気を取り戻す。葛の葉は、保名の小袖の文様に見覚えがあり、与勘平の話にあった無実の罪で自害した女性が、自らの姉であることに気づく。葛の葉はそのことを保名に告げ、さらに姉の身に何が起こったのか聞きたがったので、保名は葛の葉を伴い幕の内に入る。
程なく葛の葉の両親が信太社に到着すると、姉の小袖を打ち掛けた葛の葉が彼らの前に現れ「この小袖を見覚えありませんか」と問う。母は「それは自分が榊に贈ったもの」と言い、「なぜその小袖をあなたが」と葛の葉に聞く。そこで葛の葉が泣き崩れたため、見かねた保名が両親に対して榊の身に起こった出来事、自分と榊の関係を語る。さらに保名は葛の葉を娶りたいと両親に申し出るが、礼儀知らずの悪党である悪右衛門からも求婚されており、これには返事をしないで放置しているので、この場で即答できないと答えた。
そこへ鐘や法螺貝の音とともに白い狐が逃げ込んでくる。「白い狐は不思議な獣で、伏見稲荷の神使でもあるから助けてやろう」と保名はかたわらの祠の扉を開けて入れてやる。そこへ勢いよく悪右衛門が駆け込んでくると、顔を合わすのはまずいと保名は幕の内に隠れる。悪右衛門は庄司一行がいるのに気づき、狐を取り逃がしてしまった腹いせに無理矢理葛の葉を連れ去ろうとする。庄司と悪右衛門は押し問答の末、もみ合いとなり、庄司がねじ伏せられる。これを見た保名と与勘平は、隠れていた幕の内から飛び出し助けに入る。保名は与勘平に庄司一行を逃がすよう命じ、一人悪右衛門とその供の者達に立ち向かうが、多勢に無勢で取り押さえられる。捕らえられた無念に保名は自刃しようとするが、そこへ突然葛の葉が現れ、これを止める。さらに庄司一行を逃して戻ってきた与勘平が保名達に加勢し、悪右衛門一味を撃退する。保名は身を隠すため、夫婦となった葛の葉ともども自分の生国である安倍野に引き籠もるべく出発した。
第3段
左大将館の段
六の君に御菩薩池で逃げられた左大将橘元方は、事が露見するのを恐れ、家臣の早船主税に行方を捜索させていた。近隣で見つからなかったため、さらに遠国に出向こうとした主税に対して、岩倉治部は「心当たりがある」と留める。その心当たりとは自分の娘である築羽根の婿、すなわち芦屋道満のところであるという。築羽根が夫婦喧嘩の末、治部の元に戻ってきたため事情を聞くと、道満は自宅に荼枳尼天を祀る祠(勧請所)を作り、そこには家の者を近寄らせないという。ところがこの祠から女の泣く声が聞こえる。築羽根は道満が女を囲っていると思い込んで喧嘩となったのだが、六の君はここに匿くまわれている、というのが治部の考えだった。
この話を聞いた橘元方は、道満の妹が小野好古の執権左近太郎の元に嫁いでいる事実に思い当たるが、道満が即座に六の君を好古側に引き渡さず、なぜ自宅に匿っているのか不審に思う。この疑問を解消するべく築羽根を呼んで尋問することとなった。築羽根をうまく誘導することで真相を質そうとする橘元方に対して、築羽根はノロケ話から始まり、道満の不振な行動を語るうちに逆上して、近くにいた治部に掴みかかる始末。これでは埒が明かないと思った橘元方は、とりあえず築羽根を奥に戻して策を練る。治部は道満を捕縛して白状させることを提案するが、橘元方は、この場に呼びつけてある道満が屋敷を留守にする隙に捜索する方がよいと言う。そこへ道満が到着し、治部への挨拶も早々に橘元方との面会に臨む。治部は道満宅の捜索に向かうべく馬の用意をするが、治部と橘元方の密議を盗み聞いていた築羽根が止めに出る。これを振り払って治部は道満宅へと急いだ。
道満屋敷の段
主人夫婦が留守にしている道満の屋敷では女中たちが噂話に興じている。そこへ道満の妹であり、左近太郎の妻である花町が帰ってくる。聞けば左近太郎に離縁されたという。父である将監にその報告をしようとした矢先、岩倉治部がやってきて横柄な態度で将監に対し捜索を行う旨を告げた。落ち着いた態度で応対する将監だが、治部が理由も告げずに荼枳尼天を祀った祠の鍵を壊そうとしたため、これを押し留める。捜索は六の君を匿っている件だと告げる治部に対し、将監はそれを否定し、鍵をもつ道満の帰宅を待って欲しいと訴える。それを無視して鍵を壊した治部だが、将監は留守を預かる立場がないと立ち塞がる。そんな将監に対して治部は「主人の命で来ている自分に刃向かうのか」とすごまれ、しぶしぶ道を開ける。治部は祠から六の君を連れ出し将監の前に引き据えるが、それを見た花町が、父の脇差しを手にして「夫(左近太郎)の探していた姫君を返せ」と迫る。治部も刀の柄に手をかけて一触即発の状態となり、将監が間に入るが果たせず乱闘が始まる。そこへ橘元方の屋敷から帰宅した道満が現れ、治部を投げ飛ばす。道満が六の君隠匿の件は橘元方のところで解決済みであることを告げると、治部は逃げ帰った。
将監は道満の一連の行為を訝しむが、道満は心ならずも六の君誘拐に手を貸すことになったこと、六の君が殺されることは見過ごせないので、御菩薩池でに扮して石川悪右衛門の手から姫を助け出したことを打ち明ける。しかし、そのまま姫を小野好古の元へ返したのでは、自分の主人である橘元方の悪事を暴いてしまい、それは忠義に反するので自宅に匿っていたと告白した。これを聞いた将監と六の君は道満の忠節に感激し、六の君は「自分を生かしてくれたことは情け深い所業だが、それでは罪作りとなる。いっそ殺してほしい」とまで言う。とりあえず道満は姫に入浴を勧め、奥へ下がってもらう。
道満の告白を聞いていた花町は、自分が離縁された原因は道満の書いた神符にあったと知り、六の君を返せば元通りになると喜ぶ。しかし将監は「姫を返せるものなら返している。道満は主命ゆえに、六の君の命を奪うつもりだ」と花町に告げる。これを聞いた花町は言葉を失う。将監に質された道満は「確かに先刻橘元方から、姫の命を奪うことを下命された」と白状した。さらに六の君の首を橘元方に差し出したら切腹すると言う。しかし将監は「それは橘元方のためにならない」とし、主命に背かず、六の君を弑することもない方策があるという。ここで花町が、自分を殺して、その首を六の君のものと偽って橘元方に差し出せばよいと訴えるが、将監が、六の君と似ても似つかない花町の首ではすぐに見破られると却下する。将監は、自分が六の君を逃し、その際に道満に討ち取られたこととし、その隙に姫には逃げられたことにすればよい、と言う。しかし、道満も花町も自分たちの父親を犠牲にして事を収めることには到底納得できず、他によい案も浮かばないまま、夜は更けていく。
奥庭の段
花町が誰かを待つかのように佇んでいると、兄嫁である筑羽根が現れる。彼女の悋気が自分と兄、父の苦境の発端であり、花町は筑羽根を罵倒する。ところが筑羽根は自分の行いを悔いており、花町の手にかかって果てるなら本望と言う。これにほだされた花町は、共に六の君を逃そうと筑羽根に提案する。もとより花町は六の君を逃がす算段で、その手助けをしてくれる夫の左近太郎を待っていたのであった。この案に意気投合した二人の元に顔を頭巾で隠した男が到着する。花町はこの男を左近太郎と思い込み、三人で道満宅に忍び込み、六の君を連れ出すが、そこに鑓を手にした道満が立ち塞がる。道満も頭巾の男を左近太郎と信じ、「命は取らないから、六の君を置いて立ち去れ」と警告するが、男は姫を奥に押しやり、道満に斬りかかる。二人の戦いは続くが、道満の鑓が男に致命傷を与え、男は倒れ伏す。それを見た花町が夫の仇と切りつけてきたが、道満は彼女をねじ伏せようとする。しかし、倒れた男がそれを止め、頭巾を脱ぐと、男は左近太郎ではなく、道満・花町兄妹の父将監であった。将監は左近太郎のふりをして、自分が犠牲になることで、道満の体面を保ち、花町の復縁を可能にしたのだった。実の父を手に掛けてしまった道満は自害しようとするが、遅れて到着した本物の左近太郎に止められる。左近太郎は、命を賭して六の君を守った将監の行動に感謝し、彼の忠義に報いるため、あえて橘元方の罪を桜木親王へ告発することはしないと誓うのだった。これを聞き安堵した将監は、家族に看取られ息を引き取る。
そこへ岩倉治部が登場し、道満に対して「左大将に約束した六の君の首級はどうなった」と詰問する。これに逆上した筑羽根が鑓で治部を突き殺す。筑羽根は手にした鑓で自害しようとするが、道満に制止される。道満は、六の君の謀殺は治部の入れ知恵であり、遅かれ早かれ治部はこのような最期を遂げたであろうと諭す。さらに、自分も筑羽根もそれぞれの父を殺した不孝者なので、ともに仏門に入り菩提を弔おうと言う。亡き将監も満足であろうと、左近太郎もこれに賛成する。道満は、出家した暁には「どうまん」を名乗ると語る。道満は、治部を討ち取ったのは将監であると検死役に報告すれば、将監の目論見どおり、道満と筑羽根に咎めはないだろから、六の君は左近太郎が小野好古の元へ連れ帰ってくれと頼む。
第4段
保名住家の段(子別れの段、狐(きつね)別れの段、狐(こ)別れの段とも)
保名と葛の葉が安倍野に隠棲して6年。二人の間には男子が生まれて穏やかな生活を送っている。ある日、保名宅で機を織っている葛の葉のところに何やら怪しげな木綿の買い付け人が現れるが、追い返される。次に安倍野に現れたのが、葛の葉の両親と葛の葉本人。葛の葉の父(信太庄司)は、6年もの間何の連絡もよこさない保名を訝しみ、母娘を待たせて一人で保名宅を訪れるが、保名は不在であった。そのとき宅内で機織りの音が聞こえたので覗いてみると、なんと娘と瓜二つ、声まで同一人物かと思える女性がいる。驚いた庄司は妻と娘の元にとって返し、今見たことを二人に話す。話の真偽を確かめるため母と娘も保名宅に入って、機織り部屋を盗み見ると、葛の葉本人が「どちらが自分かわからない」というほど似た女性がいる。とりあえずその場を離れた三人だが、事情がわからずため息をつくばかり。
そこへ保名が外出から戻ってくる。葛の葉の両親は保名に向かって「保名と添わせるために娘を連れてきた」と言う。これを「正式な婚姻のために、正装させて連れてきた」と勘違いした保名が、信太を出てから今日までの経緯を説明し、長年両親に連絡しなかった非礼を詫びる。話が噛み合わないため、庄司は「今、機を織っている女性を覗いてみなさい」と告げる。保名も葛の葉本人が眼前にいるにもかかわらず、機織りの音が聞こえてくる不思議に気づく。保名はあわてて機織り部屋を覗き見て、葛の葉が二人いることに呆然とする。庄司は、信太での騒動の後、石川悪右衛門の奸計で所領を没収され吉見の里(現在の大阪府泉南郡田尻町)で隠棲していたと言い、葛の葉は保名を慕うあまりに病床に伏していたと言う。そんな折、保名の消息を聞き及ぶや、たちまち葛の葉の体調が回復したので訪ねてきたものの、そこで自分の娘そっくりの女性を見つけたことを話す。ようやく事態を把握した保名は、機を織っているのは人外の物であると察して、葛の葉一行を物置に隠し、何食わぬ顔で機織り部屋に入っていく。
保名は葛の葉似の女に、庄司夫婦と四天王寺で偶然出会って、日暮れまでにここを訪れることとなったと伝える。それを聞く女の様子を観察する保名だが、女は別に驚いた様子もない。あまりの普通さに、庄司一行の方が怪しく思える程であったが、保名は奥に潜んで様子を伺うことにする。すると身支度を整えてきた女が、抱いた我が子に対して、縁を切って別れなければならないと涙ながらに告げる。自分は悪右衛門に追われていたところを助けてもらった狐であること、自分のために傷まで負った保名の恩に報いるため葛の葉の姿に化けて保名の自害を止めたこと、夫婦の語らいをしているうちに情愛が深まったことを告白する。さらに、葛の葉とその両親に預けるので、狐の子と後ろ指を差されないよう精進して生きよと言い聞かせ、泣き崩れる。この言葉を聞いた保名は走り出て、思いとどまるように声をかける。その声を聞いた庄司夫妻と葛の葉も出てくるが、女は童子を置いて消え去る。葛の葉と両親は、この子を我が子として育てる決心をするが、童子は母を慕って泣きじゃくり、保名も「狐の女房であっても何も恥ずかしいことはない」と嘆き悲しむ。さらに保名は一首の歌「恋しくは 尋ねきてみよいづみなる しのだの森のうらみくずのは」が障子に書きつけられているのを見つけ、悲しみを深くする。庄司は、歌には「恋しくなったら信太の森に訪ねて来て」とあるではないかと、保名を慰める。
そこへ今朝追い返した木綿の買い付け人が仲間を引き連れて現れ、自分たちは石川悪右衛門の家来で、主人が心をかけている葛の葉を引き渡せと迫る。保名は、葛の葉に子供を抱いて両親とともに隠れているように命じ、機織り道具や機織り機の部品を投げつけたり、振り回したりして激しく抗戦し、撃退する。隠れていた一同が出てきて保名を褒めそやすが、葛の葉は浮かない様子で、童子のために乳が欲しいという。庄司は「そうでなくても一度は信太の森を尋ねて義理を果たさなければならない。夜が明けたら保名、童子とともに信太の森へ行くといい」と言う。
道行信太の二人妻(景事)
(前半は狐の葛の葉が安倍野から信太へ帰る道行きを、後半はそれを追う本物の葛の葉、保名、童子の道行きが演じられる。前半は「乱菊の段」とも呼ばれる。)
草別れの段(後の別れの段とも)
ようやく信太の森に到着した保名一行は、菊が乱れ咲く中、狐を探して回る。葛の葉が「どうかこの子に会ってやって欲しい」と懇願すると、ふたたび葛の葉そっくりに化けた狐が現れる。保名は狐の葛の葉に走り寄って「物の怪だろうが構わない。せめてこの子の物心が付くまで育てて欲しい」と訴えかける。本物の葛の葉も、保名の面倒を見、童子を産み育ててくれたことを感謝し、自分のせいで親と別れなければならなくなったこの子が、自分を母と思い込んで乳を求めるのが悲しいと泣き伏す。それを聞いた狐は「正体を知られてしまっては1日たりとも人に混じって暮らすことができない。後のことは葛の葉に頼む」と童子に乳を含ませながら答える。それでも保名は戻ってくるように懇願するが、狐は「この姿だから引き留めるのだろう」と白狐の姿に戻って、我が子の身を案じるように草むらに姿を消す。保名は「どんな姿だろうが構わない」と後を追おうとするが、深い草むらに阻まれる。
信太の森の段(前半を童子問答の段あるいは童子物語の段、後半を二人奴の段ともいう)
保名たちの元に芦屋道満が駕籠に乗って現れる。葛の葉は刀を手に「姉の仇」と声をかけるが、道満は「落ち着くように」と言いながら悠然と駕籠から出てくる。僧形の道満を見た保名は、それが罪を逃れるための偽装だと思い「僧籍に入ったとはいえ、仇は仇」と勝負を挑む。しかし道満は、剃髪したのは自分の父将監の菩提を弔うためであること、榊が自らの命を絶つことになったのは後室と岩倉治部の企みであったこと、『金烏玉兎集』を奪い取ったという保名の疑いはもっともだが事実とは異なることを告げる。そして、難儀な目に会った兄弟弟子のことはこれまでも気をかけており、後継者としてふさわしい保名に『金烏玉兎集』を譲るため、故郷の芦屋の庄へ赴く途中に立ち寄ったのだと言う。そして『金烏玉兎集』を取り出し、「この書で陰陽の道を拓き、都へ帰ってきなさい」と言うのだった。これを聞いた保名は平伏し道満への邪推を詫びた後、「もはや出世の見込みがない自分にではなく、跡を継がせる息子に『金烏玉兎集』を譲って欲しい」と頼み込む。道満はこころよく『金烏玉兎集』を童子に手渡す。
受け取った童子は表紙の「金烏玉兎」の文字を見て、「金烏は太陽の中の3本足の烏、玉兎は月で餅をつく兎。よってこの本を読めば、天地の間のすべてが明らかになる」と言う。道満はこれを聞き、保名の教育を褒め称えるが、保名は何も教えていないという。そして、この子の生みの母は長い年月を生きてきた白狐であり、この子はその才を受け継いだのだろうと言う。道満は、中国にも妖狐と人の間にできた子供が成長して高官にまで昇りつめた例があるので、保名の子を試してみることにした。道満の出す質問の数々に、童子は姿を隠した母狐の力を借りて次々と正答していく。童子の才に感じ入った道満は、童子の烏帽子親となるので「晴明」と名乗るように言う。道満は、保名との再会も果たしたことでもあるし、信太社を参拝したいと申し出る。保名は自分も同行しようと言って、葛の葉は晴明とともにここで待つように言い残して去る。
(ここから後半)そこに石川悪右衛門が葛の葉を奪取しようと手下を引き連れて現れる。葛の葉を見つけた悪右衛門は親子を拉致しようとするが、突然与勘平が現れ、孤軍奮闘して悪右衛門らを阻止し、逃げる一味を追撃した。と、そこへまた状箱(書状を収めるための箱)を携えた与勘平が現れる。葛の葉は先程の奮戦を労うが、与勘平は自分は保名の用事で都へ使いに出た帰りで、戦いなど身に覚えがないという。与勘平と葛の葉が噛み合わない話を続けていると、悪右衛門一味が戻ってきて、後から現れた与勘平と争いになる。これを撃退し追撃する与勘平に「深い追いするな」と叫ぶ葛の葉だが、悪右衛門の家来に捕まる。そこにまた与勘平が現れ、応戦する。前後を敵に囲まれ駕籠に逃げ込んだ葛の葉親子だが、その駕籠を二人の与勘平が担いで逃走する。晴明が駕籠から顔を出して「与勘平が二人いる」とうれしそうに葛の葉に報告すると、駕籠を担いでいた与勘平本人もその事実にようやく気づき、自分が本物だと言い争いを始める。見かねた葛の葉が与勘平の生い立ちなどを尋ねて本物の与勘平を明らかにする。すると一方の与勘平が、自分は白狐の仲間の野干平で、助太刀に来たと明かす。そして悪右衛門一味の相手は自分(野干平)に任せて、本物の与勘平は葛の葉親子を連れて草むらに隠れていろと指図する。悪右衛門一味は妖狐の通力に翻弄され、命からがら逃げ帰った。
信太社から戻った保名と道満は一部始終を聞き、これも信太明神の加護と信太社に向かい遥拝する。そして「帰り道に伏兵が残っているかもしれない」と与勘平に提灯を持たせようとしたところ、あたり一帯が狐火の光に満ち溢れるのだった。
第5段
京、一条の橋の段
3年の月日が経ち、晴明は8歳となっていた。小野好古の元を尋ねようと、保名、葛の葉、晴明は京に上る。一行が一条の橋にさしかかったところで、左近太郎と出会う。好古は、左近太郎の労により保名の帰参を認め、利発なことで評判の晴明を明朝参内させるつもりだと言う。その前に一度晴明を好古に会わせるために、左近太郎が保名一行が泊まる宿に迎えにいくところだった。左近太郎は保名一行を小野好古の屋敷へと誘う。保名はその厚意には感謝するが、勝手に好古の元を飛び出た不義理ゆえ、会うのは晴明と葛の葉だけにしたいと言い、二人を送り出す。
一人になった保名は、長櫃を運んでいる石川悪右衛門一味と偶然行き会う。物陰から伺う保名は、この長櫃の中に悪右衛門が六の君を呪詛するための藁人形を運んでいるのを知る。悪右衛門の家来に見つけられそうになった保名は飛び出して一味と戦うが、不覚をとって討ち取られてしまう。保名の遺体は藁人形とともに長櫃へ入れられ、川に流される。
大内の段
内裏では、桜木親王が座る傍らに、左大将橘元方、参議小野好古の両名が控える。そこに葛の葉と晴明が連れてこられる。小野好古は「この者は自分の家臣安倍保名の息子の晴明。8歳と幼いが、陰陽道に通じているので、芦屋道満ともども帝都にあれば長久の基となるでしょう」と奏上する。これを聞いた橘元方は「この者の父保名は未熟者で、先般都を逐電し、落ちぶれ果てた男。その子が才能豊かなわけがない。都には、天下に並ぶ者なしと評判の芦屋道満一人いれば十分」と、晴明を貶める。これに憤った葛の葉が「幼くても才能ある人間はいる。小さな子に対してその態度は…」と食ってかかる。これに怒った橘元方が「卑しい女め」と葛の葉を引っ立てようとしたところ、桜木親王が制止する。桜木親王は晴明と道満の術比べを提案し、近在の百姓が見つけたという長櫃の中身を当てることを命じる。橘元方はこの長櫃が六の君呪詛のための藁人形入れたものと気づいて、なんとか中身当てをやめさせようとするが、桜木親王はこれを聞かない。
中身当てが始まった。道満が晴明から占うよう勧めるが晴明は固辞して、道満が先に占うこととなる。道満の見立てでは、中には人の形をしたものが二体あるが、一方は形だけ模した人形。他方は斬られて死んだ30歳ほどの男だと言う。晴明がこっそり占ったところ、道満の見立て通りで、心の中で悔しがる。晴明はしばらく思案した末、刀傷の男は魂魄がまだ抜け切ってないので落命とは言えないと答える。道満と葛の葉は心配して晴明に再考を促す。詰め所に控えていた石川悪右衛門がここぞとばかりに占いの場に現れ、「蓋を開けて、死体が出れば許さない」と晴明にすごんでみせる。晴明はこうした脅しに臆することなく、「母様ご安心を。刀傷をたちどころに直してみせます。ご覧あれ」と秘文を唱える。
晴明蘇生の祈(節事[注釈 8])
(晴明は一心不乱に祈祷する)
祈祷の効果か、長櫃の上に無数の鳥が集まってくる。鳥たちはしばらく旋回を繰り返した後、悦びの声を上げて飛び去る。晴明は「蘇生の徴。蓋を開けて」と促す。恥をかかせてやると、悪右衛門が蓋を開けようとすると、中から保名が悪右衛門を掴んで足元に踏みつけ、悪右衛門と橘元方による六の君呪殺の悪企みを明らかにする。一部始終を聞いた左近太郎が橘元方を投げ飛ばしたところ、道満が割って入って、「これでも御息所の父なので、命ばかりはお助けください」と嘆願する。これを聞いた桜木親王は「左大将は流刑、悪右衛門は保名父子に任せる」と裁定し、保名は悪右衛門を斬る。桜木親王は晴明に官位を与え、道満ともども末の世まで語り継がれる存在となった。
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『説経節』(東洋文庫)より「付 信太妻」 樟の葉と恋に陥った安倍保名の本名は、安倍権太左衛門保名。子は、安倍晴明。
七月、松竹座において私の好きな演目のひとつである『樟葉』が上演される。
以前にも東洋文庫で『説経節』「付 信太妻」を楽しんだが、今回注意を払って読んで見た。
「付 信太妻」では「芦屋道満大内鑑~葛の葉」に加え「安倍晴明と石川悪右衛門の対決」と言った展開がなされ、果実十五個をネズミに帰るといった有名な話で安倍晴明が勝ち、悪右衛門の首をとるといった話で終わる。
上は岩波の新日本古典文学大系93(緑)の『竹田出雲 並木宗輔 浄瑠璃集』「芦屋道満大内鑑」でのクエあしく展開されているので、いずれ読んでみたい。
樟の葉
安倍保名 (親子)→ 安倍晴明
↓↑(対決)
蘆屋道満 (兄弟) 石川五右衛門(悪右衛門)
晴明は話の上では2枚目であるとイメージの固定化があり、歌舞伎役者でいうならば片岡仁左衛門竹などがピタリと当てはまる感が否めない。
ところが安倍保名の本名は、安倍権太左衛門保名(あべのごんたざえもんやすな)と濁音が多く、フルネームでいうと二枚目のイメージは薄れる。
好きな演目なので書きたいことはいっぱいだが、今回も簡単な記録のみにて失礼いたします。
『説経節』「信徳丸」東洋文庫(『弱法師』『摂州合邦辻』『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」比較)
『説経節』から 「付 信太妻」 東洋文庫 平凡社
『古浄瑠璃 説経集』から「さんせう太夫」 岩波 新版古典大系
『さんせう太夫考』から「説経序説」「さんせう太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書
東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月
『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳
『小栗判官』
『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』塩見鮮一郎著 説経節の名作『小栗判官』を題材に、貴族や高僧、武士ではなく、庶民の目から見た貧困、病、宗教、道行きを描く。
『説経節』(東洋文庫)より「山椒大夫」(天下一説経与七郎)、『古浄瑠璃 説教集』(新日本古典文学大系)より「さんせう大夫」(天下一説経与七郎正本 「さんせう大夫物語」で補う)
『説経節』(東洋文庫)より「付 信太妻」 樟の葉と恋に陥った安倍保名の本名は、安倍権太左衛門保名。子は、安倍晴明。
以下の表記は『新日本古典文学大系 93』▼ ウィキペディアより
第1段
東宮御所の段
朱雀天皇の御代、月を白虹が貫き、暗くなるという天変が発生する。勅命により東宮である桜木親王の御所において、親王の后「御息所」の父である橘元方、もう一人の后である「六の君」の父である小野好古をはじめとした諸官を集めて評議が行われることとなる。
急死した天文博士、加茂保憲の代理で出席した娘の榊が見立てたところでは、今般の天変は凶事であり、東宮周辺の女性の嫉妬に原因があるという。この災いを避ける方法は加茂の家に伝えられている陰陽道の秘伝書『金烏玉兎集』に書かれているが、これを受け継ぐ後継者が決まっていないと言う。候補は2名、安倍保名と芦屋道満だが、いずれかを選ぶ前に保憲が亡くなったので、『金烏玉兎集』の伝承者がいないと告げた。これを聞きつけた六の君と御息所が、両人とも尼となって凶事の原因を取り除くと訴え出る。これに慌てた桜木親王はとりあえず后2人を下がらせ、評議に参加した一同に安倍保名と芦屋道満はどのような人物かと問う。それに応えて橘元方が、芦屋道満は自分の家来であり、保憲の一番弟子であると主張。一方小野好古も、安倍保名は自分の家来であり、師匠である加茂保憲から「保」の字を名乗ることを許された一番弟子であるという。后2人に出家されては困る桜木親王は、神意=くじで天文博士の後継者を決めるよう指示し、元方側は執権(補佐官)の岩倉治部に、好古側は同じく執権の左近太郎が立ち会うよう命じた。
間の町の段
東宮御所からの帰路、榊は安倍保名の使用人である与勘平から手紙を受け取る。榊と安倍保名は加茂保憲も認めた恋仲であり、手紙は逢瀬を求める内容であった。榊は返事をしたため、保名からの手紙とともに与勘平へ渡そうとするが、風に飛ばされてしまう。榊は手紙が他人に読まれることを恐れつつ、屋敷へと戻る。
加茂館の段
加茂保憲の妻、榊の養母(榊は養子)は保憲の死後に出家して「後室」様と呼ばれている。後室は、橘元方側執権である岩倉治部の妹でもある。その後室のもとに刻限より早く治部が到着し、「偶然入手した」と、榊が失くした保名の手紙を見せる。さらに加茂保憲の後継者をくじで決めることになった顛末を語り、「くじでは保名が後継者になってしまうかもしれないので、何か良い方策はないか」と、加茂家の執権乾平馬を加えて相談する。後室は、自分の持つ鍵と榊の持つ鍵の両方がなければ取り出すことができないはずの『金烏玉兎集』を治部に見せ、「こっそり作った合鍵で取り出した」と告げる。治部は狂喜し、この『金烏玉兎集』を隠して、榊と保名が『金烏玉兎集』を盗んだことにする算段を巡らせる。
そこへ何も知らない榊が帰宅、さらに逢瀬を楽しむべく保名も訪れてくる。榊と保名の仲は加茂の者以外には秘密なので、榊は保名を自室に隠す。そうこうしている間に左近太郎が到着。一同揃ったのでくじを行おうとするが、治部が「神前に『金烏玉兎集』を供えよう」と言い出し、これに同意した榊と後室がそれぞれの鍵で保管庫を開けると『金烏玉兎集』がない。治部と後室は事前の打ち合わせ通り素知らぬ顔で「榊が盗んだ」厳しく問い質し、そこへ平馬が榊の部屋に隠れていた保名を引き立ててくる。榊は「保名には罪はない」と弁明するが、保名は師匠の妻に手向かうわけにもいかず、脇差しで自害を試みる。その刀を榊が奪い取り、「身の潔白は神仏が明らかにしてくれる」と自刃して果てた。保名は榊の遺骸にすがりついて嘆いていたが、生真面目な性格が災いして正気を失い、哄笑とともにどこへともなく歩み去る。
事が済んだので、平馬は左近太郎を帰らせようとするが、左近太郎はこれを投げ飛ばす。これを見た後室が左近太郎の狼藉を咎めるが、袖から合鍵がこぼれ落ちてしまい、逃げ出そうとする。これで真相を悟った左近太郎は平馬を斬首。逃げようとした後室は、駆け付けた与勘平が注連縄で梁から吊るして成敗。左近太郎は「事の詳細知れば保名も正気に戻るだろう」と与勘平に後を追わせた。
第2段
岩倉館の段
岩倉治部は加茂館の騒動をうまく抜け出し、その際『金烏玉兎集』も持ち出していた。治部は河内の郷士である石川悪右衛門と自分の娘婿にあたる芦屋道満を呼び出し、後室成敗の真相を明かさないまま加茂館の顛末を語り、『金烏玉兎集』の利用法に関して密議を行う。
治部は『金烏玉兎集』を道満に与え、「これで陰陽道の大家となり、主人である橘元方の望みを叶えよ」と命ずる。道満は感謝してこれを受け取る。なんとか橘元方を東宮の外戚に地位に付けたいと考える治部は、道満に対して、陰陽道の術で橘元方の娘である御息所を懐妊させることが可能かを問う。道満は、御息所の懐妊については荼枳尼の法を用いればよく、そのためにはメスの白狐の生き血が必要と答えた。狐に関しては、悪右衛門の故郷石川郡で難なく手に入るという。
さらに治部は六の君の拉致を計画しており、すでに試みたが東宮御所の警備が厳しく断念したことを明かした後、道満に人を誘い出すような術が『金烏玉兎集』に書かれていないかと聞く。道満は舅の本意が単なる拉致ではなく、六の君の殺害であることを見抜き、教え渋る。しかし治部は、道満の妹が敵方の左近太郎に嫁いでいることを持ち出し、妹のために己が主の裏切るのかと厳しく詰問し、挙句の果てに娘と離縁させて、舅・婿の縁を切るとまで言い出す。これに負けて道満は人をおびき出す術式を治部たちに教え、「どこで殺すのか」と問うた。治部は「御菩薩池(みぞろがいけ)に沈める」と答え、さらに悪右衛門が実行役を買って出た。悪右衛門は、事が成った暁には、自分の伯父の所領である信太の庄と、伯父の娘「葛の葉」を貰い受けられるよう、橘元方に口添えして欲しいと治部に頼み込み、治部はこれを承知した。
親王御所北門の段
東宮御所内の六の君の住居に近い北門で、石川悪右衛門は道満の指示したとおり、神符を所定の位置に貼る。程なく、心神喪失状態の六の君が歩み出てきたので、悪右衛門は彼女を担ぎ上げ、御菩薩池へと向かう。
御菩薩池の段
御菩薩池(現在の京都市北区上賀茂にある深泥池)まで六の君を担いできた石川悪右衛門だが、そこで疲労困憊して一息つく。意識を取り戻した六の君は「なぜこのような目に合わねばならないのか」と悪右衛門に問うたところ、悪右衛門は「御息所の邪魔になるから、この池に沈めて殺す」と答える。そして、重しになる石を六の君の袖に入れて池へ投げ込もうとしたところ、突如葦原からの大男が現れ、悪右衛門を投げ飛ばし、六の君を背負ってどこかに姿を消す。
信太社の段
信太庄司(石川悪右衛門の伯父)の娘葛の葉は、毎夜身内に不幸が起きる夢を見る。この夢が、都にいる姉の榊(榊は信太庄司の娘で、加茂の家の養子に入った)の身に何かあったことを暗示しているのではないかと考えた葛の葉は、産土神である信太社に詣でる。一方、お供の腰元達は、夢は逆夢で、しつこく言い寄ってくる従兄弟の石川悪右衛門との縁が切れることを暗示した吉兆かもしれないと葛の葉をなぐさめる。そうこうして、ともに参詣する予定の父母の到着を待つ葛の葉であったが…
小袖物狂ひ(景事[注釈 7])
正気を失って加茂館から消えた安倍保名が信太社に現れる。次いで与勘平も追いついて、保名を連れ帰ろうとするが、保名はその手を振り払い、榊の形見である小袖を木の枝にかけてその面影を追い求める。
保名の狂態を幕の内に隠れて目撃した葛の葉であったが、卑しからざるその風体が気になって、保名の前に姿を現す。保名は、姉に容姿が似ている葛の葉を榊と間違え抱きつこうとするが、腰元達に押しとどめられる。与勘平は腰元達に事情を説明し、納得した腰元達が葛の葉に取りなしたところ、葛の葉も保名を哀れと思い、正気に戻るよう保名へ優しく言葉をかける。その言葉を聞いた保名は心を鎮め、葛の葉が榊とは別人であると気づき、無言のうちに正気を取り戻す。葛の葉は、保名の小袖の文様に見覚えがあり、与勘平の話にあった無実の罪で自害した女性が、自らの姉であることに気づく。葛の葉はそのことを保名に告げ、さらに姉の身に何が起こったのか聞きたがったので、保名は葛の葉を伴い幕の内に入る。
程なく葛の葉の両親が信太社に到着すると、姉の小袖を打ち掛けた葛の葉が彼らの前に現れ「この小袖を見覚えありませんか」と問う。母は「それは自分が榊に贈ったもの」と言い、「なぜその小袖をあなたが」と葛の葉に聞く。そこで葛の葉が泣き崩れたため、見かねた保名が両親に対して榊の身に起こった出来事、自分と榊の関係を語る。さらに保名は葛の葉を娶りたいと両親に申し出るが、礼儀知らずの悪党である悪右衛門からも求婚されており、これには返事をしないで放置しているので、この場で即答できないと答えた。
そこへ鐘や法螺貝の音とともに白い狐が逃げ込んでくる。「白い狐は不思議な獣で、伏見稲荷の神使でもあるから助けてやろう」と保名はかたわらの祠の扉を開けて入れてやる。そこへ勢いよく悪右衛門が駆け込んでくると、顔を合わすのはまずいと保名は幕の内に隠れる。悪右衛門は庄司一行がいるのに気づき、狐を取り逃がしてしまった腹いせに無理矢理葛の葉を連れ去ろうとする。庄司と悪右衛門は押し問答の末、もみ合いとなり、庄司がねじ伏せられる。これを見た保名と与勘平は、隠れていた幕の内から飛び出し助けに入る。保名は与勘平に庄司一行を逃がすよう命じ、一人悪右衛門とその供の者達に立ち向かうが、多勢に無勢で取り押さえられる。捕らえられた無念に保名は自刃しようとするが、そこへ突然葛の葉が現れ、これを止める。さらに庄司一行を逃して戻ってきた与勘平が保名達に加勢し、悪右衛門一味を撃退する。保名は身を隠すため、夫婦となった葛の葉ともども自分の生国である安倍野に引き籠もるべく出発した。
第3段
左大将館の段
六の君に御菩薩池で逃げられた左大将橘元方は、事が露見するのを恐れ、家臣の早船主税に行方を捜索させていた。近隣で見つからなかったため、さらに遠国に出向こうとした主税に対して、岩倉治部は「心当たりがある」と留める。その心当たりとは自分の娘である築羽根の婿、すなわち芦屋道満のところであるという。築羽根が夫婦喧嘩の末、治部の元に戻ってきたため事情を聞くと、道満は自宅に荼枳尼天を祀る祠(勧請所)を作り、そこには家の者を近寄らせないという。ところがこの祠から女の泣く声が聞こえる。築羽根は道満が女を囲っていると思い込んで喧嘩となったのだが、六の君はここに匿くまわれている、というのが治部の考えだった。
この話を聞いた橘元方は、道満の妹が小野好古の執権左近太郎の元に嫁いでいる事実に思い当たるが、道満が即座に六の君を好古側に引き渡さず、なぜ自宅に匿っているのか不審に思う。この疑問を解消するべく築羽根を呼んで尋問することとなった。築羽根をうまく誘導することで真相を質そうとする橘元方に対して、築羽根はノロケ話から始まり、道満の不振な行動を語るうちに逆上して、近くにいた治部に掴みかかる始末。これでは埒が明かないと思った橘元方は、とりあえず築羽根を奥に戻して策を練る。治部は道満を捕縛して白状させることを提案するが、橘元方は、この場に呼びつけてある道満が屋敷を留守にする隙に捜索する方がよいと言う。そこへ道満が到着し、治部への挨拶も早々に橘元方との面会に臨む。治部は道満宅の捜索に向かうべく馬の用意をするが、治部と橘元方の密議を盗み聞いていた築羽根が止めに出る。これを振り払って治部は道満宅へと急いだ。
道満屋敷の段
主人夫婦が留守にしている道満の屋敷では女中たちが噂話に興じている。そこへ道満の妹であり、左近太郎の妻である花町が帰ってくる。聞けば左近太郎に離縁されたという。父である将監にその報告をしようとした矢先、岩倉治部がやってきて横柄な態度で将監に対し捜索を行う旨を告げた。落ち着いた態度で応対する将監だが、治部が理由も告げずに荼枳尼天を祀った祠の鍵を壊そうとしたため、これを押し留める。捜索は六の君を匿っている件だと告げる治部に対し、将監はそれを否定し、鍵をもつ道満の帰宅を待って欲しいと訴える。それを無視して鍵を壊した治部だが、将監は留守を預かる立場がないと立ち塞がる。そんな将監に対して治部は「主人の命で来ている自分に刃向かうのか」とすごまれ、しぶしぶ道を開ける。治部は祠から六の君を連れ出し将監の前に引き据えるが、それを見た花町が、父の脇差しを手にして「夫(左近太郎)の探していた姫君を返せ」と迫る。治部も刀の柄に手をかけて一触即発の状態となり、将監が間に入るが果たせず乱闘が始まる。そこへ橘元方の屋敷から帰宅した道満が現れ、治部を投げ飛ばす。道満が六の君隠匿の件は橘元方のところで解決済みであることを告げると、治部は逃げ帰った。
将監は道満の一連の行為を訝しむが、道満は心ならずも六の君誘拐に手を貸すことになったこと、六の君が殺されることは見過ごせないので、御菩薩池でに扮して石川悪右衛門の手から姫を助け出したことを打ち明ける。しかし、そのまま姫を小野好古の元へ返したのでは、自分の主人である橘元方の悪事を暴いてしまい、それは忠義に反するので自宅に匿っていたと告白した。これを聞いた将監と六の君は道満の忠節に感激し、六の君は「自分を生かしてくれたことは情け深い所業だが、それでは罪作りとなる。いっそ殺してほしい」とまで言う。とりあえず道満は姫に入浴を勧め、奥へ下がってもらう。
道満の告白を聞いていた花町は、自分が離縁された原因は道満の書いた神符にあったと知り、六の君を返せば元通りになると喜ぶ。しかし将監は「姫を返せるものなら返している。道満は主命ゆえに、六の君の命を奪うつもりだ」と花町に告げる。これを聞いた花町は言葉を失う。将監に質された道満は「確かに先刻橘元方から、姫の命を奪うことを下命された」と白状した。さらに六の君の首を橘元方に差し出したら切腹すると言う。しかし将監は「それは橘元方のためにならない」とし、主命に背かず、六の君を弑することもない方策があるという。ここで花町が、自分を殺して、その首を六の君のものと偽って橘元方に差し出せばよいと訴えるが、将監が、六の君と似ても似つかない花町の首ではすぐに見破られると却下する。将監は、自分が六の君を逃し、その際に道満に討ち取られたこととし、その隙に姫には逃げられたことにすればよい、と言う。しかし、道満も花町も自分たちの父親を犠牲にして事を収めることには到底納得できず、他によい案も浮かばないまま、夜は更けていく。
奥庭の段
花町が誰かを待つかのように佇んでいると、兄嫁である筑羽根が現れる。彼女の悋気が自分と兄、父の苦境の発端であり、花町は筑羽根を罵倒する。ところが筑羽根は自分の行いを悔いており、花町の手にかかって果てるなら本望と言う。これにほだされた花町は、共に六の君を逃そうと筑羽根に提案する。もとより花町は六の君を逃がす算段で、その手助けをしてくれる夫の左近太郎を待っていたのであった。この案に意気投合した二人の元に顔を頭巾で隠した男が到着する。花町はこの男を左近太郎と思い込み、三人で道満宅に忍び込み、六の君を連れ出すが、そこに鑓を手にした道満が立ち塞がる。道満も頭巾の男を左近太郎と信じ、「命は取らないから、六の君を置いて立ち去れ」と警告するが、男は姫を奥に押しやり、道満に斬りかかる。二人の戦いは続くが、道満の鑓が男に致命傷を与え、男は倒れ伏す。それを見た花町が夫の仇と切りつけてきたが、道満は彼女をねじ伏せようとする。しかし、倒れた男がそれを止め、頭巾を脱ぐと、男は左近太郎ではなく、道満・花町兄妹の父将監であった。将監は左近太郎のふりをして、自分が犠牲になることで、道満の体面を保ち、花町の復縁を可能にしたのだった。実の父を手に掛けてしまった道満は自害しようとするが、遅れて到着した本物の左近太郎に止められる。左近太郎は、命を賭して六の君を守った将監の行動に感謝し、彼の忠義に報いるため、あえて橘元方の罪を桜木親王へ告発することはしないと誓うのだった。これを聞き安堵した将監は、家族に看取られ息を引き取る。
そこへ岩倉治部が登場し、道満に対して「左大将に約束した六の君の首級はどうなった」と詰問する。これに逆上した筑羽根が鑓で治部を突き殺す。筑羽根は手にした鑓で自害しようとするが、道満に制止される。道満は、六の君の謀殺は治部の入れ知恵であり、遅かれ早かれ治部はこのような最期を遂げたであろうと諭す。さらに、自分も筑羽根もそれぞれの父を殺した不孝者なので、ともに仏門に入り菩提を弔おうと言う。亡き将監も満足であろうと、左近太郎もこれに賛成する。道満は、出家した暁には「どうまん」を名乗ると語る。道満は、治部を討ち取ったのは将監であると検死役に報告すれば、将監の目論見どおり、道満と筑羽根に咎めはないだろから、六の君は左近太郎が小野好古の元へ連れ帰ってくれと頼む。
第4段
保名住家の段(子別れの段、狐(きつね)別れの段、狐(こ)別れの段とも)
保名と葛の葉が安倍野に隠棲して6年。二人の間には男子が生まれて穏やかな生活を送っている。ある日、保名宅で機を織っている葛の葉のところに何やら怪しげな木綿の買い付け人が現れるが、追い返される。次に安倍野に現れたのが、葛の葉の両親と葛の葉本人。葛の葉の父(信太庄司)は、6年もの間何の連絡もよこさない保名を訝しみ、母娘を待たせて一人で保名宅を訪れるが、保名は不在であった。そのとき宅内で機織りの音が聞こえたので覗いてみると、なんと娘と瓜二つ、声まで同一人物かと思える女性がいる。驚いた庄司は妻と娘の元にとって返し、今見たことを二人に話す。話の真偽を確かめるため母と娘も保名宅に入って、機織り部屋を盗み見ると、葛の葉本人が「どちらが自分かわからない」というほど似た女性がいる。とりあえずその場を離れた三人だが、事情がわからずため息をつくばかり。
そこへ保名が外出から戻ってくる。葛の葉の両親は保名に向かって「保名と添わせるために娘を連れてきた」と言う。これを「正式な婚姻のために、正装させて連れてきた」と勘違いした保名が、信太を出てから今日までの経緯を説明し、長年両親に連絡しなかった非礼を詫びる。話が噛み合わないため、庄司は「今、機を織っている女性を覗いてみなさい」と告げる。保名も葛の葉本人が眼前にいるにもかかわらず、機織りの音が聞こえてくる不思議に気づく。保名はあわてて機織り部屋を覗き見て、葛の葉が二人いることに呆然とする。庄司は、信太での騒動の後、石川悪右衛門の奸計で所領を没収され吉見の里(現在の大阪府泉南郡田尻町)で隠棲していたと言い、葛の葉は保名を慕うあまりに病床に伏していたと言う。そんな折、保名の消息を聞き及ぶや、たちまち葛の葉の体調が回復したので訪ねてきたものの、そこで自分の娘そっくりの女性を見つけたことを話す。ようやく事態を把握した保名は、機を織っているのは人外の物であると察して、葛の葉一行を物置に隠し、何食わぬ顔で機織り部屋に入っていく。
保名は葛の葉似の女に、庄司夫婦と四天王寺で偶然出会って、日暮れまでにここを訪れることとなったと伝える。それを聞く女の様子を観察する保名だが、女は別に驚いた様子もない。あまりの普通さに、庄司一行の方が怪しく思える程であったが、保名は奥に潜んで様子を伺うことにする。すると身支度を整えてきた女が、抱いた我が子に対して、縁を切って別れなければならないと涙ながらに告げる。自分は悪右衛門に追われていたところを助けてもらった狐であること、自分のために傷まで負った保名の恩に報いるため葛の葉の姿に化けて保名の自害を止めたこと、夫婦の語らいをしているうちに情愛が深まったことを告白する。さらに、葛の葉とその両親に預けるので、狐の子と後ろ指を差されないよう精進して生きよと言い聞かせ、泣き崩れる。この言葉を聞いた保名は走り出て、思いとどまるように声をかける。その声を聞いた庄司夫妻と葛の葉も出てくるが、女は童子を置いて消え去る。葛の葉と両親は、この子を我が子として育てる決心をするが、童子は母を慕って泣きじゃくり、保名も「狐の女房であっても何も恥ずかしいことはない」と嘆き悲しむ。さらに保名は一首の歌「恋しくは 尋ねきてみよいづみなる しのだの森のうらみくずのは」が障子に書きつけられているのを見つけ、悲しみを深くする。庄司は、歌には「恋しくなったら信太の森に訪ねて来て」とあるではないかと、保名を慰める。
そこへ今朝追い返した木綿の買い付け人が仲間を引き連れて現れ、自分たちは石川悪右衛門の家来で、主人が心をかけている葛の葉を引き渡せと迫る。保名は、葛の葉に子供を抱いて両親とともに隠れているように命じ、機織り道具や機織り機の部品を投げつけたり、振り回したりして激しく抗戦し、撃退する。隠れていた一同が出てきて保名を褒めそやすが、葛の葉は浮かない様子で、童子のために乳が欲しいという。庄司は「そうでなくても一度は信太の森を尋ねて義理を果たさなければならない。夜が明けたら保名、童子とともに信太の森へ行くといい」と言う。
道行信太の二人妻(景事)
(前半は狐の葛の葉が安倍野から信太へ帰る道行きを、後半はそれを追う本物の葛の葉、保名、童子の道行きが演じられる。前半は「乱菊の段」とも呼ばれる。)
草別れの段(後の別れの段とも)
ようやく信太の森に到着した保名一行は、菊が乱れ咲く中、狐を探して回る。葛の葉が「どうかこの子に会ってやって欲しい」と懇願すると、ふたたび葛の葉そっくりに化けた狐が現れる。保名は狐の葛の葉に走り寄って「物の怪だろうが構わない。せめてこの子の物心が付くまで育てて欲しい」と訴えかける。本物の葛の葉も、保名の面倒を見、童子を産み育ててくれたことを感謝し、自分のせいで親と別れなければならなくなったこの子が、自分を母と思い込んで乳を求めるのが悲しいと泣き伏す。それを聞いた狐は「正体を知られてしまっては1日たりとも人に混じって暮らすことができない。後のことは葛の葉に頼む」と童子に乳を含ませながら答える。それでも保名は戻ってくるように懇願するが、狐は「この姿だから引き留めるのだろう」と白狐の姿に戻って、我が子の身を案じるように草むらに姿を消す。保名は「どんな姿だろうが構わない」と後を追おうとするが、深い草むらに阻まれる。
信太の森の段(前半を童子問答の段あるいは童子物語の段、後半を二人奴の段ともいう)
保名たちの元に芦屋道満が駕籠に乗って現れる。葛の葉は刀を手に「姉の仇」と声をかけるが、道満は「落ち着くように」と言いながら悠然と駕籠から出てくる。僧形の道満を見た保名は、それが罪を逃れるための偽装だと思い「僧籍に入ったとはいえ、仇は仇」と勝負を挑む。しかし道満は、剃髪したのは自分の父将監の菩提を弔うためであること、榊が自らの命を絶つことになったのは後室と岩倉治部の企みであったこと、『金烏玉兎集』を奪い取ったという保名の疑いはもっともだが事実とは異なることを告げる。そして、難儀な目に会った兄弟弟子のことはこれまでも気をかけており、後継者としてふさわしい保名に『金烏玉兎集』を譲るため、故郷の芦屋の庄へ赴く途中に立ち寄ったのだと言う。そして『金烏玉兎集』を取り出し、「この書で陰陽の道を拓き、都へ帰ってきなさい」と言うのだった。これを聞いた保名は平伏し道満への邪推を詫びた後、「もはや出世の見込みがない自分にではなく、跡を継がせる息子に『金烏玉兎集』を譲って欲しい」と頼み込む。道満はこころよく『金烏玉兎集』を童子に手渡す。
受け取った童子は表紙の「金烏玉兎」の文字を見て、「金烏は太陽の中の3本足の烏、玉兎は月で餅をつく兎。よってこの本を読めば、天地の間のすべてが明らかになる」と言う。道満はこれを聞き、保名の教育を褒め称えるが、保名は何も教えていないという。そして、この子の生みの母は長い年月を生きてきた白狐であり、この子はその才を受け継いだのだろうと言う。道満は、中国にも妖狐と人の間にできた子供が成長して高官にまで昇りつめた例があるので、保名の子を試してみることにした。道満の出す質問の数々に、童子は姿を隠した母狐の力を借りて次々と正答していく。童子の才に感じ入った道満は、童子の烏帽子親となるので「晴明」と名乗るように言う。道満は、保名との再会も果たしたことでもあるし、信太社を参拝したいと申し出る。保名は自分も同行しようと言って、葛の葉は晴明とともにここで待つように言い残して去る。
(ここから後半)そこに石川悪右衛門が葛の葉を奪取しようと手下を引き連れて現れる。葛の葉を見つけた悪右衛門は親子を拉致しようとするが、突然与勘平が現れ、孤軍奮闘して悪右衛門らを阻止し、逃げる一味を追撃した。と、そこへまた状箱(書状を収めるための箱)を携えた与勘平が現れる。葛の葉は先程の奮戦を労うが、与勘平は自分は保名の用事で都へ使いに出た帰りで、戦いなど身に覚えがないという。与勘平と葛の葉が噛み合わない話を続けていると、悪右衛門一味が戻ってきて、後から現れた与勘平と争いになる。これを撃退し追撃する与勘平に「深い追いするな」と叫ぶ葛の葉だが、悪右衛門の家来に捕まる。そこにまた与勘平が現れ、応戦する。前後を敵に囲まれ駕籠に逃げ込んだ葛の葉親子だが、その駕籠を二人の与勘平が担いで逃走する。晴明が駕籠から顔を出して「与勘平が二人いる」とうれしそうに葛の葉に報告すると、駕籠を担いでいた与勘平本人もその事実にようやく気づき、自分が本物だと言い争いを始める。見かねた葛の葉が与勘平の生い立ちなどを尋ねて本物の与勘平を明らかにする。すると一方の与勘平が、自分は白狐の仲間の野干平で、助太刀に来たと明かす。そして悪右衛門一味の相手は自分(野干平)に任せて、本物の与勘平は葛の葉親子を連れて草むらに隠れていろと指図する。悪右衛門一味は妖狐の通力に翻弄され、命からがら逃げ帰った。
信太社から戻った保名と道満は一部始終を聞き、これも信太明神の加護と信太社に向かい遥拝する。そして「帰り道に伏兵が残っているかもしれない」と与勘平に提灯を持たせようとしたところ、あたり一帯が狐火の光に満ち溢れるのだった。
第5段
京、一条の橋の段
3年の月日が経ち、晴明は8歳となっていた。小野好古の元を尋ねようと、保名、葛の葉、晴明は京に上る。一行が一条の橋にさしかかったところで、左近太郎と出会う。好古は、左近太郎の労により保名の帰参を認め、利発なことで評判の晴明を明朝参内させるつもりだと言う。その前に一度晴明を好古に会わせるために、左近太郎が保名一行が泊まる宿に迎えにいくところだった。左近太郎は保名一行を小野好古の屋敷へと誘う。保名はその厚意には感謝するが、勝手に好古の元を飛び出た不義理ゆえ、会うのは晴明と葛の葉だけにしたいと言い、二人を送り出す。
一人になった保名は、長櫃を運んでいる石川悪右衛門一味と偶然行き会う。物陰から伺う保名は、この長櫃の中に悪右衛門が六の君を呪詛するための藁人形を運んでいるのを知る。悪右衛門の家来に見つけられそうになった保名は飛び出して一味と戦うが、不覚をとって討ち取られてしまう。保名の遺体は藁人形とともに長櫃へ入れられ、川に流される。
大内の段
内裏では、桜木親王が座る傍らに、左大将橘元方、参議小野好古の両名が控える。そこに葛の葉と晴明が連れてこられる。小野好古は「この者は自分の家臣安倍保名の息子の晴明。8歳と幼いが、陰陽道に通じているので、芦屋道満ともども帝都にあれば長久の基となるでしょう」と奏上する。これを聞いた橘元方は「この者の父保名は未熟者で、先般都を逐電し、落ちぶれ果てた男。その子が才能豊かなわけがない。都には、天下に並ぶ者なしと評判の芦屋道満一人いれば十分」と、晴明を貶める。これに憤った葛の葉が「幼くても才能ある人間はいる。小さな子に対してその態度は…」と食ってかかる。これに怒った橘元方が「卑しい女め」と葛の葉を引っ立てようとしたところ、桜木親王が制止する。桜木親王は晴明と道満の術比べを提案し、近在の百姓が見つけたという長櫃の中身を当てることを命じる。橘元方はこの長櫃が六の君呪詛のための藁人形入れたものと気づいて、なんとか中身当てをやめさせようとするが、桜木親王はこれを聞かない。
中身当てが始まった。道満が晴明から占うよう勧めるが晴明は固辞して、道満が先に占うこととなる。道満の見立てでは、中には人の形をしたものが二体あるが、一方は形だけ模した人形。他方は斬られて死んだ30歳ほどの男だと言う。晴明がこっそり占ったところ、道満の見立て通りで、心の中で悔しがる。晴明はしばらく思案した末、刀傷の男は魂魄がまだ抜け切ってないので落命とは言えないと答える。道満と葛の葉は心配して晴明に再考を促す。詰め所に控えていた石川悪右衛門がここぞとばかりに占いの場に現れ、「蓋を開けて、死体が出れば許さない」と晴明にすごんでみせる。晴明はこうした脅しに臆することなく、「母様ご安心を。刀傷をたちどころに直してみせます。ご覧あれ」と秘文を唱える。
晴明蘇生の祈(節事[注釈 8])
(晴明は一心不乱に祈祷する)
祈祷の効果か、長櫃の上に無数の鳥が集まってくる。鳥たちはしばらく旋回を繰り返した後、悦びの声を上げて飛び去る。晴明は「蘇生の徴。蓋を開けて」と促す。恥をかかせてやると、悪右衛門が蓋を開けようとすると、中から保名が悪右衛門を掴んで足元に踏みつけ、悪右衛門と橘元方による六の君呪殺の悪企みを明らかにする。一部始終を聞いた左近太郎が橘元方を投げ飛ばしたところ、道満が割って入って、「これでも御息所の父なので、命ばかりはお助けください」と嘆願する。これを聞いた桜木親王は「左大将は流刑、悪右衛門は保名父子に任せる」と裁定し、保名は悪右衛門を斬る。桜木親王は晴明に官位を与え、道満ともども末の世まで語り継がれる存在となった。
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