乱鳥の書きなぐり

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没後400年 特別展『長谷川等伯』 京都国立博物館   追記あり

2010-05-18 | 美術・文様・展示物



    没後400年 特別展『長谷川等伯』










 大型連休前日 家族と没後400年 特別展『長谷川等伯』に行く。

 実はわたしはあまり乗る気ではなかった 特別展『長谷川等伯』

 家族が観たいというので、便乗。

 それもせこく、家族の仕事前を利用。

『長谷川等伯』を観たあとは、仕事の家族としばし別れ、ちゃっかりと『京大総合博物館』平常展示 特別展『化学技術X線の謎』を楽しんだと言う感じ。



 気楽に考えてはいた『長谷川等伯』だが、東京国立博物館の混雑ぶりは尋常ではなかった。

 これはひとまず朝一で。

 いつもゆっくり遅く起きる家族を起こし、いざ!京都へ。

 博物館に着くや否や、めげる。

 まだ開場して間もない時間なのに、入り口まで長蛇の列。

 いや。長蛇どころではない。

 大河濁流を思い起こす。

 日差しは暑く、すこぶる並んでおられるご年配方の機嫌が悪い。

 こんなこともあろうかと折り畳みイス。

 家族もまわりも突き刺すような視線。

 みんなに勧めるが辞退され、皆さんは若さを主張される。

『若くとも つらいものはつらい、』
と、内心思い、イス利用。

 この日は常連的観客がまわりにはいなくて、イス持参がすこぶる少ない。

 悲惨な私。

『かわいそうだね。』
と自分を慰めること、しきりなし。


 四月下旬とはいえ炎天下、案の定救急車が到着。

 不幸にも病院に運ばれた人がいらっしゃった。



 この日は混雑を見通してか、博物館側もいつものように博物館真ん前のイスは設置せず。

 身体にハンディのある方や体力にない方は悲惨だったと思う。

『身体にハンディがあれる方くらいは、同伴者共に優先的に入場させてあげれば!』
と内心は腹立たしい。

 百番単位でカードを渡して入場させるなり、もう少し工夫が必要ではないか?

 考えればいろいろな方法がと終えるだろうに、入場案内が価値は数多く雇っておられるのに、観客者には冷たい。

 長蛇の列で展覧会の良し悪しははかれないことを、肝に命じるべきだ。

 

 さてさて、長い前置きはさておき、没後400年 特別展『長谷川等伯』の記録。

 これがある意味面白かった。


 色調は割合に平均して長谷川等伯を思わせる。

 ところが松などの枝振りが若い頃と年老いた頃では別人かと思わせる描き方。

 若い頃は枝ぶりも先まで力とアクセント。

 年老いられてからは枝は水の流れのよう。

 私は力がある方が好きだった。



 四枚の障子に松を描いたものがあった。

 障子は真ん中で開け璃子とが多い。

 大松の幹のど真ん中で左右に開かれリ部屋。

 刀で一気に枝を切り裂いたようだ。

 わざとか?

 わたしにはわからない。



『松林図屏風(右隻)』は途中の描きかけと記されていた。

 向かい側の松を観ると、背景空間に赤金が一面にはられている。

 私は背景は白のままの『松林図屏風(右隻)』を覚えた。



 長谷川等伯の作品は緊迫を貼ったものが多い。

 今でこそ色が落ち着き美しいが、当時はピカピカの金だったはず。

 宗教的なことを考えると派手なものがよしとされたのだろう。



 弁慶の大型絵馬があった。

 これはモチーフの好みとして好きだった。


 釈迦涅槃図は多くあった。

 弁慶の大型絵馬のまん前には、驚くほど大きい釈迦涅槃図、

 ビックリ。

 神社などに奉納されたものも多い。

 また明らかに当時の売り絵と感じれるものも多かった。

 東伯はなかなか商才に長けているようだ。


 
 東伯で有名な猿の絵や達磨の絵もあった。

 二時間くらいで足早に観たが、人が多く疲れた。


追記

 長谷川等伯は好きなものと嫌いなものがはっきりしていました。これはあくまでも私の好みの問題です。

 東伯はデッサン力も素晴らしく、また、西洋的要素を取り入れた波や岩などを描いたものもあり、造形力に長けていました。

 西洋的要素を取り入れた波や岩などを描いたもの、これは当時の日本画家にはまれに見るものです。



 墨絵や水墨画風の上品なものもあるのですが、だいたいにおいて正方形(或は長方形)の金箔が形のまま貼付けられていました。

 長年の月日で金は美しい色に変色していましたが、地(或は板)が痩せ、貼付けの具合が浮き出ていました。

 当時の金ぴかを思うと、心は萎えます。



 鬼子母神の絵も三枚程度ありました。

 これは物語性はなく、単に神化された鬼子母神でした。

 皆があがめ奉るにはもってこいでしょう。

 柘榴文様などは描かれていませんでした。



 十六羅漢など、好まれるモチーフが多かったです。

 全体にゴージャスで、大金持ちが好みそうな被写体と画風のものが多いです。

 その中に突如、東伯本来の美しい上品な絵に出会うと喜びを覚えました。



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 今回のマスコミなどの長谷川等伯の売り出しは少し戸惑っています。

 短期間開催。

 等伯を観ないと日本人ではないといった強迫観念にかられた人たちが多く来られていました。



 まわりの絵に関心のないお年寄りたちは、

「こんなに並んでまで、観たくなかったんやけど。新聞がええて書いてるさかい。」

などを口々におっしゃっていました。

 こういった絵をご存じない方達が美術館、博物館に行かれる機会を与えられるのは非常に良いことだと思います。

 しかし、日本は高齢化社会の一途を辿っています。

 受け入れ態勢をしっかりと設けるシステムの合理化をはかっていただきたいと思います。

 わたしたちならまだしも、ご高齢の方々が二時間三時間立ちすくめで待たねばならない現状を重く受け止めていただきたい。

 これでは私だって人ごとではない。

 年老いてから美術を見る機会を逃すということになります。

 芸術部門での弱者の閉め出しは,見ていて堪え難い苦痛です。

 お年寄りはいたわらねばいけません。


 以上の問題は日本の美術館・博物館全体に言えることを付け加えておきたいと思います。



コメント (6)
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