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「君が代」が正式に国家となる 明治26年(1893)

2011-06-25 17:26:03 | 歴史隠れ話

2006年08月12日






「君が代は 千代に八千代に 細石の 巌となりて 苔のむすまで」

これが日本の国家・君が代の歌詞である。君が代は、もとは祝祭日の祝礼儀式に選定唱歌が必要だったため、文部省が選定して国家となったものだという。

歌詞は「主君(我が君)の寿命(御代)が、千代にも八千代にも末永く続きますように。小石がやがて大岩となって、そこに苔が生えるようになる時までも」という意味で、つまり、主君の命(統治時代)の永遠を願う歌というわけである。

この歌詞には原型があって、それが歴史上の著名な歌集に収録されている和歌であるらしい。代表的なものとして二首が挙げられるが、その一つ目は奈良時代に編集された『万葉集』の228「妹が名は 千代に流れむ 姫鳥の 小松がうれに 苔生すまでに」。もう一つは平安時代の『古今和歌集』の巻第七賀歌343「わが君は 千代に八千代に 細れ石の いはほとなりて 苔のむすまで」。

ただし、これらの他に、平安時代の『和漢朗詠集』の下巻には、今記載した『古今和歌集』に出ている歌の「わが君」の部分が「君が代」になっている歌が記載されているらしく、「君が代」の原典はこれであるとも言われる。

要するに国家制定当時の国民感情が、この歌にぴったりであったということであろう。

君が代には、はじめ英国調の曲がついていたという。これはイギリスの軍楽長だったジョン・ウイリアム・フェントンという人が作ったもので、薩摩藩の幹部が彼の指揮する軍楽を大変気に入り、頼み込んで作ってもらったものらしい。

しかし、やはりイギリス人のつくったものでもあるし、英国調の曲であったため、和歌にはいま一つしっくりこないということで、明治9年ごろ、海軍の中村祐庸という人物が、「新たな楽譜の作成の建議を」と申し出た。そこで、海軍が依頼して宮内省が作曲にあたることになったのである。

現在もそのときに作られた曲が歌われているが、これは林廣守作曲、ドイツ人のエッケルト編曲のものである。

⇒君が代の由来となったといわれるさざれ石がある岐阜県のさざれ石公園周辺の地図(livedoor地図情報)

※写真は君が代を様々なバージョンで収録した最強の君が代CD『君が代のすべて』。こんなん売っていたんですね~。CDショップで3年くらいバイトしてたことありますけど、こいつは知りませんでしたよ。なんかウイリアム氏の作った君が代初期バージョンも収録されているっぽいですよ。(確認はしてないので気になる方は問い合わせてから購入してネ。)

※君が代歌唱強制問題についての本⇒『「日の丸・君が代」強制の次に来るもの』。


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君が代は、今は学校の卒業式なんかで「歌いたくない」と言って、歌わない先生や生徒もいるようです。それで処分を受けた人もいるんですよね。拒否の理由は詳しくはわかりませんが、歌詞の内容の解釈によっては、「そのような内容の歌を強制的に歌唱せねばならないというのはおかしい」ともなるのかもしれないですね。私は特に気になりませんけど…。

歌詞の内容に関することでの歌唱拒否となると、やはり根本的な問題ですからね。今後は、いろいろと協議しなくてはならないようにも思います。


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